日々のことば
日々のことば「助かる」 Posted on 2025/07/24 辻 仁成 作家 パリ
おつかれさまです。
実は神戸におりました。
個展と個展のあいまに、プライベートライブをやっております。
やっぱりぼくの場合、歌は愛なんです。
絵は人生です。小説は哲学なんですね。笑。
もう引退した身ですから、堂々とライブが出来ないので、こっそり、ぼくのラジオで募った方々などを相手に、神戸、福岡(完全なプライベート・ライブです)、東京でのライブツアーをやっておる次第で、ある意味、愛をばらまいている感じ・・・。笑。
ぼくには夢があって、いつか、日本全国、北海道から石垣島まで、何年かにわけて、たとえば、初年度は北海道ツアーみたいな感じで、旅をしながら弾き語りをやり、その都度、収益で食料を買って、その地域の子供食堂に立ち寄り、料理を作って、次の会場へと向かう、みたいなことをやってみたい・・・。
まぁ、いつかの、夢です。
「先生、そんな時間あるんですか」
とうちの皮肉屋のスタッフに言われながら、想像しております。
☆
とまれ、神戸を楽しみました。
ところが、神戸のライブでちょっとしたハプニングがありまして、あまりに演奏に熱がこもってしまい、ふらっとして、椅子の背もたれによりかかろうとしたら、背もたれのない椅子で、後頭部から転倒しそうになったのです。
一瞬のできごとでした。
笑ってごまかしましたが、危なかった・・・。
もしも、万が一、転倒をしていたら、助からなかった可能性もあります。今も思い返すと、いや、まさに
「九死に一生を得る」
だったな、と思うわけです。
でも、詩の朗読会のようないいパフォーマンスが出来たので、夢の実現に向けて、精進してまいりたいと思います。
※ 普通に歩いている人が絵になるハーバーランド神戸。
※ 神戸のライブ風景です。
さて、「九死に一生を得る」ということばですが、
このよく知ることばがどこから来たのか、ちょっと調べてみたのですが、中国の古典『楚辞』の一節にあるようですね。
本来「九死すと雖も猶未だ悔いず」という一節から、始まっているようで、これは「たとえ何度も死ぬような目に遭っても、後悔することはない」ということなのだとか・・・。
つまり、死を覚悟するほどの過酷な状況でも、後悔しないという強い意志を本来は意味していたわけです。
それが、時代の長い流れの中で転じ、「危うく死を免れる」という、より具体的な状況を表すことばに落ち着きました。
ひやっとした、ぼくでしたが、どこかで、やはり、誰かに守られているんだ、と気が付く瞬間でもありました。
そして、何事もなかったのように、ライブは続行されたのです。
歌いながら、あの時、後頭部からひっくりかえっていたら、大変なことがおきていたかもしれない、と思うと、ぞっとしました。
同時に、日々、人生というものは「九死に一生を得る」ということの繰り返しの中にある、実にありがたいものなのかもしれません。
「禍を転じて福と為す」
につながりますね。
いや、楽しいライブでした。
また、ことばに救われたわけです。
はい、今日も精一杯生きたりましょう。
えいえいおー。
※ トランぺッターのゆん君、52歳に、乾杯!
☆
「Le Visiteur」展、
現在、岡山で個展開催中です。新作37点展示。
岡山、7月28日まで、岡山天満屋本店、美術画廊にて。
パリ、10月13日から26日まで、パリ、ピカソ美術館そば、GALERIE20THORIGNYにて。
問い合わせは、各画廊へお願いします。
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そして、毎月3回やっているラジオ・ツジビルはこちらから、です。どうぞ。
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posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家、画家、旅人。パリ在住。パリで毎年個展開催中。1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。愛犬の名前は、三四郎。