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自分流塾1「Why am I me? – 自分とは何かという問いかけ」 Posted on 2020/09/12 辻 仁成 作家 パリ

なぜぼくはぼくなのか、ということが、自分が表現を始めた時から今日までその変わらない主題である。
今まで書いてきた数多くの小説や楽曲、映画や演劇作品は全て自分探しの旅ということが出来る。
ぼくが表現者を目指しはじめた10代の終わりの頃、ぼくは「自分とは何か」という明確な主題を持ってその問いかけに挑むようになった。
処女小説「ピアニシモ」も、最初のアルバム「welcom to the lost chaild club」も、処女長編映画「千年旅人」も自分の魂を巡る物語だった。
それは現在まで続いていて、謎は深まるばかりだけれど、次第に「Why am I me?」に近づきつつあるような気もする。
いや、近づいたり、遠ざかったりを繰り返し、還暦になった今、その蜃気楼の先へと進む曲がりくねった道の入り口に辿り着くことが出来た。
なぜぼくはぼくなのか、という問いかけのなんらかの答えに、自分が生きている間に辿り着くことが出来るのか。
これは実に興味深い問題である。
ぼくはこの主題を追求するために「自分流塾」という架空の塾をここに創設することにした。
ここでは自分を探す旅を様々な角度で検証し、考察していきたい。

自分流塾1「Why am I me? – 自分とは何かという問いかけ」



まずぼくが最初にこの主題を考え始めた時の記憶を弄ってみよう。それは10歳になる前のことだった。
小学生だったぼくは、教室の中にいた。授業中だった。
なんの授業だったか、思い出せないが、先生は教壇に立ち、黒板に何かを書いていた。
クラスメイトは全員、先生を見ていた。
その時、物凄いことが起きた。
多分、それが、いま思い返すとぼくの創作の始まりの一撃であった。
ぼくはちょうど、クラスの中ほどの席に座っていた。
そして、周囲にぼくを囲むように大勢の生徒たちがいたのだ。
けれど、ぼくは彼らが何を考えているのか全くわからなかった。
不思議なことに、全く分からなかったのである。



「なぜ、ぼくはみんなの気持ちがわからないのだろう」
と思った。
この疑問は、物凄い衝撃をぼくに持ち込むことになる
となりにいる斎藤さんや、後ろにいる高橋君の頭の中がわからない。
「みんな、ぼくはここにいるよ。ぼくが考えていることがわかるかい?」
ぼくは彼らに心の中で問いかけるのだけど、誰一人、ぼくの問いかけに反応を示さない。
それだけじゃない、ぼくはクラスメイトが今、何を考えているのか、驚くべきことに全くわからなかったのである。
もちろん、想像は出来た。授業中だったし、勉強をしているのはわかる。
でも、ぼくがこうやって物凄い思い付きでクラクラしている時にも、ごく普通に日常をやり過ごしている彼らの頭の中がぼくにはわからなかった。
その時、ぼくは「自分以外の人間は自分ではない」という結論に辿り着く。



そして、その時を境に、ぼくはぼくとは何か、について考え始めるようになる。
この時の衝撃が実は60歳になった今もずっと続いている。
ぼくが出会った、或いは周囲の大人たちにこの問いかけをしても、誰一人ぼくを納得させる回答を持っている人物はいなかった。
「なぜ、ぼくはあなたが今考えていることを理解出来ないのか」
という素朴な疑問から、ぼくは他者という概念を導きだすのだけど、物凄い数の他者に対して、たった一人の自分がいることもその時に気が付くのである。
それが、自分とは何か、を主題に生きるようになるきっかけの一つであった。

その二年後、ぼくは北海道の帯広にいて、友人たちと映画を観ていた。
「パットン大戦車軍団」という戦争映画を観に行ったら、なぜか二本立てで、もう一つがサム・ペキンパー監督の「わらの犬」というレイプシーンから始まる暴力的な映画だったのだ。
4人の小学生にはかなり刺激的な内容で、それが戦争映画となぜカップリングされていたのかわからなかったし、なぜ成人指定されてなかったのかも謎だけど、激しい性描写を見た四人は映画館の外に出て、太陽を浴びながら、言葉を失っていた。
そして、その時、彼らは映画について語りだすのだけど、ぼく一人だけ、映画監督の目でこの作品を分析していた。
この監督がなぜこの映画を撮ったのか、を人間関係の中から推測し、指摘した。
すると、友人らは奇妙な目でぼくを見るようになった。
ぼくは主人公を自分と重ね、他者との関係性を語り続けたのである。
その時にも思った。なぜ、ぼくの考えをこの友人たちは理解出来ないのだろう、と。
そして、この映画監督はなぜこんなものを創作したのか…。
ぼくはその瞬間、人間というものの深層を探求しなければならない、と思った。

ぼく、すなわち、このことを思考しているぼくは、ぼくが生きているこの世界の中で、どのような位置にあり、その時のぼくはこの世界の中心なのか、そうじゃないのか、あるいはこの世界がなくなることは、ぼくがなくなることと同一なのか、或いはそうじゃないのか、というようなことを考え出すようになった。自分というものを通して、ぼくはこの世界と対峙し、この世界の意味を見極めようとしはじめたのである。
その時、まず僕の前に出現したのは「詩」であった。
≪つづく≫

自分流塾1「Why am I me? – 自分とは何かという問いかけ」

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。