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自分流塾「自分の居場所で頑張ることが誰かを助けている」 Posted on 2021/11/16 辻 仁成 作家 パリ

いくつになっても、人間はいろいろな角度で何かいちゃもんをつけられるのだ。
めんどうくさいけど、これはだいたいどんな人にもついてまわるものである。
どんなに清く生きようとしていても、どこの誰だかわからない人に「え、そこですか」と思うような角度で、つっこまれ、罵倒され、とやかくいわれてしまうのが人間という生き物ということになる。

みんな笑顔で摩擦もなく、お互いを尊重し合って仲良く生きていければいいのだが、それが本当に難しいし、そうは問屋が卸さないのが、我々が生きるこの世界というものだ。
「一生懸命やっていても、非難される世の中だから、これはもう気にしないで大丈夫だよ」
とぼくはぼくに言い聞かせてきた・・・。
そうだ、言い聞かせよう。

涼しく生きている人がいるなぁ、と思ってちょっと観察をしてみたのだけど、そういう人というのはよく見ていると、世界をスルーしている。
何かバリアのようなものをまとっているというのか、笑顔で躱しているというのか、もっと言えば、世界の暗い部分とかあまりちゃんと見ていない。
憎悪とか嫌悪とかそういうものを見ないようにして生きている。

本質を問うと、上手にはぐらかされてしまう。
現実を抱える気なんかさらさらないというのか、そうしないことがその人の生きる方法なのであろう、だから涼しい顔でいられるのに違いない。
なかなか、ぼくには真似が出来そうにない。
ぼくはいつも暗い場所ばかり、つまり、俯いて歩いているからである。

自分流塾「自分の居場所で頑張ることが誰かを助けている」



先日、医療関係で働いているという男性と飲み屋で隣になった。
「高い薬を買えば助かる命なのに、と思いながら働いていて、しんどいです」とその人は呟いた。
ぼくなんかにどうすることも出来ない話しなので、ただ黙って一緒に酒を飲んであげることしかできなかった。
この人は人間の痛みをスルーできない人なんだ、と思ったら、思わず、大丈夫ですよ、と言葉が出てしまった。
しまった、と思ったけど、その人がこちらを一瞥した。

大丈夫だろう、という言葉をぼくらはよくつかう。
この「だろう」は、確定ではないのだけど、そういう未来が来ることを励ますというのか、認めてあげようとする言葉だとぼくは思って、使っている。
大丈夫だろう、と言い合うことで、見ず知らずの人でも寄り添うことが出来る、と都合よく、僕は解釈している。
軽い、と言われればそうだけど、しかし、何もしてあげられないのは当然で、けれども、スルーしないでいたいと思う人間の心を失わないでいられることが、大丈夫だろう、に繋がるのかもしれない。

見ず知らずの人に言われる文句とか誹謗中傷とか難癖とか、ほんとうにそういうことだけはスルーして大丈夫だと思う。
でも、見ず知らずの人間が苦しいのは誰もが共有できる気持ちなので、ぼくはスルーしないで大丈夫だろうと言いたい。
「何にもできないけど、ごめんなさい」と思うのも、人間なのだから・・・。

不条理な世界だから解決策は簡単に見つけ出せないが、人間が人間であるいいところだけを失わないでいたいものだ。
ぼくらは聖人君子にはなれない。
一人の弱い人間でしかない。
そこはだから無理をする必要はないし、全部を受け止めて生きることもできない、ことが人間の前提なのだ。
自分が壊れたら、あなたの家族や周りはどうするのか。
自分に出来ることを出来る範囲でやることで、少しずつ世界と関わっていけばいいし、それが今ぼくに出来ること、あなたに出来ることなのだ、と思えばいい。
それでもぼくらは生きていかなければならない。
あなたに生きてほしい。あなたに、背負い過ぎないでほしい、と思うことは大事なのだと思う。

ぼくの歌に「幻」というのがある。
自分の居場所で頑張ってみる、というフレーズがぼくはとっても好きで、その歌を歌う時、なんでかな、涙が出そうになる。

自分流塾「自分の居場所で頑張ることが誰かを助けている」



スーパーマンは、人間にそれが出来ないから、生み出されたキャラクターであり、本当ならスーパーマンになってみんなを助けたいという人類の願望の結晶なのだと思う。

スーパーマンになれないぼくらは自分の居場所で頑張るしかない。
しかし、みんなが自分の居場所で頑張れば、或いはそこで、誰かのためになりたい、とささやかなながら思うのであれば、その共時的な意識が、見えない人類のスーパーマンを生み出し、その見えざるスーパーマンによって人類は救われるのだと思う。
思わなければ現れないこの幻のスーパーマンのことをぼくらは良心と呼ぶことも出来るのじゃないか。
偽善だといわれても、殺伐としたこの世界を生ききるのに、励ましあうことは大事なのだよ。
ぼくはその人のグラスにお酒を注いだ。

自分流塾「自分の居場所で頑張ることが誰かを助けている」



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posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。