地球カレッジ DS EDUCATION

自分流塾「最悪の場合をつねに頭の片隅に携えながら、期待するのがよい」 Posted on 2023/06/08 辻 仁成 作家 パリ

ぼくは期待し過ぎないよう常に自分に、言い聞かせている。
しかし、人間なので、そこはやはり、どうしても期待しないわけにはいかない場合だって、ありうる。
まったく期待しないで生きていくのは至難の業だ。
ぼくらは仙人ではないので、やはり、欲が出て当然であろう。
そこで、ぼくは「最悪の場合」をつねに頭の片隅に携えて、世の中と向き合い、一定の期待をするように心掛けている。
「期待したって、いいんだよー」と自分を言いくるめているという次第である。
期待してもいいのだけど、ダメだった場合を考慮して、期待を許す、というわけだ。
これが、実に役立っている。

自分流塾「最悪の場合をつねに頭の片隅に携えながら、期待するのがよい」



期待過ぎる傾向にある突進型のぼくという人間はダメだった場合の落胆も大きいので、そうなった場合を常に最初にイメージするようにしているのだ。
できるだけ悲惨な場合をしっかりと最初にイメージすることが大事だったりする。
うわ、そこまで最悪になったら、それはそれでもうしょうがないわな、と自分に言い聞かせながら、期待をすれば、ダメでもそこまで辛くはならない。笑。
そうすると人間は、背後にある崖がわかるから、無邪気に喜びすぎないものなのだ。
期待したけれど、ダメだった場合、
「やっぱりね、ほら、最初に思った通りだったでしょ。でも、ぼくはへっちゃらだ。いつまでもこんなところで浮かれている場合じゃない。先へ進もう」
と、こうなるのである。

自分流塾「最悪の場合をつねに頭の片隅に携えながら、期待するのがよい」



人生は長い。
もちろん、まぐれが続いて、奇跡のようなことがおこる場合もあるけれど、そうじゃない場合だって起こりうるのだ。
最初に、最悪を心の中で用意しておくと、傷が大きくならずに済む、というわけである。
ぼくはここ最近、これを肝に銘じて生きている。
どんなことがあっても、浮かれない、で次を目指す、のである。
何もかもがうまくいく人生なんて、ない。
むしろ、多くの失敗をするのが常なのである。
あと、そうならば、いくつもの期待を持って生きていけばいいだけのことである。
全部がダメということもあり得るけれど、一つくらいは奇跡が起きる可能性もある。
なので、一つだけに全力を傾ける、というのは危険だ。
大学受験の滑り止めみたいなものを無限に持っていると、本命が期待外れな結果になっても、無限の滑り止めがぼくを助けてくれることもある。はい、笑。
大きな成功ばかりを目指さないで、小さな成功こそが、大きな成功を導くのだ、と言い聞かせて、ささやかな幸せをきちんと喜ぶことを心がけるのが大切なのだ、ということ。
誰かに褒められたら、それをもの凄く大事にしよう。
その小さな喜びが結局、大きな喜びを連れてくる布石になる。

自分流塾「最悪の場合をつねに頭の片隅に携えながら、期待するのがよい」



最悪の場合をつねに頭の片隅に携えながら、期待する人生というのは、ちょっと情けない感じもしないではないが、しかし、人生というのは長いので、期待し過ぎて落胆し、前進できなくなるよりはよっぽどいい。
毎回毎回、期待が叶わないのでは、まじ、落ち込んでしまう。
そもそも、理想が高すぎると人間は辛くなる。
だから、少しずつ、少しずつ、小さな幸福を勝ち取りながら(人一倍の努力が大事だけれど)、ここぞという時に、運を全部そこに注ぎ込むのがいいのである。
ここぞという時というのは、逆に言うと、小さな幸せを積み重ねていく桃源郷の先に出現する虹のようなものかもしれない。

自分流×帝京大学

自分流塾「最悪の場合をつねに頭の片隅に携えながら、期待するのがよい」



地球カレッジ

posted by 辻 仁成

辻 仁成

▷記事一覧

Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。