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自分流塾「あくせく生きることから離脱し、自然を見つめ直す生き方」 Posted on 2023/09/07 辻 仁成 作家 パリ

どっちへ向かっていいのかわからない時、ぼくは霊的なものに身も心もゆだねることにしている。
説明が難しいのだけれど、日本語的に言うと「虫の知らせ」などの言葉がそれに寄り添うのかもしれない。
第六感が働くというようなことを聞いたことがあるだろう。
自分が考えたことではなく、何か人智の及ばないところからの導く光のようなものを頭ではなく心のどこかがキャッチする瞬間、それが動く・・・。
それは予期せぬ時に出現する。思考してできることではない。
なので、見過ごすこともままあるが、長く生きてきたからかこそ、ぼくに関して言えば、この第六感がとくに発達してきたように思う。
分かれ道に立つ時、自然と身体が向く方向を信じるようになった。
偶然を、ただの偶然と思わないようになった。
何か、腑に落ちるというか、こっちだ、と思える瞬間を逃さないようにしてきた。
単なる「行き当たりばったり」ではないのか、と言われそうだが、そうとも言えない。
昆虫や動物が本能で巣を作ったり、子供を育てたりしているのを見る時、あきらかに、人智では解決できない導く光を見ることがある。
ぼくが暮らすノルマンディの田舎の家は高台の屋根裏にある。
そこは下に広がる村を一望することができる。
村の上を飛び交うカモメなどが、誰に習ったわけでもないのに、木の枝などを加えて飛んで来て、実に巧みに、自分の子供のための巣を作る・・・。
立派な家なのである。
しっかりとした構造を持っている。
そういうのを静かに目撃している時、人間だって、本来、カモメに負けない本能があったのじゃないか、と思ったりもする。
トンボがぼくの目の前で滞空している時、ぼくは数多くのメッセージをトンボから受け取ることがある。
自然は、ぼくたち人間に計り知れないメッセージを届けてくる。
ぼくの目の前で滞空するトンボから、超自然の波動を受けとることもある。
この夏、失声をした直後、九州の先祖の墓参りに行った。
すると、トンボが墓石の周辺で滞空し、いつものように、ぼくを見ていた。
手を合わせ、祈ってみた。まもなく、ぼくの声は戻り、翌々日のコンサートを乗り切ることが出来たのだった。
これは思い込みであろうか、それとも、霊的な力が及んだのだろうか?

自分流塾「あくせく生きることから離脱し、自然を見つめ直す生き方」



人間は物心がついた頃より、社会概念の中で生きることを余儀なくされる。
そこには時間という可逆的な運動があり、死という避けられない出口がある。
概念を植え付けられた人間は、それが当たり前と疑わずに生きてきた。
しかし、トンボにもカモメにも、時間という概念や死という概念はない。
生まれて死ぬまで本能の中で切に生きているだけだ。
餌を探し、巣作りをし、子育てをし、高く高く風に乗って空を舞う。
学校も、政治も、ルールもない。
けれども、彼らは風の中で、上手にバランスをとり、実に絶妙に滞空してみせるのだ。
人間は本能を取り戻さないとならない。
自然との協和を思い出さないといけない。
一人一人の人間がこの星の上で、あらゆる自然と共生していることを思い出す必要があるのだ。
そして、時に、人間社会の齷齪(あくせく)から離脱し、自然の中で本来の自分を取り戻す必要があるように思う。
人間にも、かつて、昆虫や動物に負けないほどの第六感があった。
未来に怯え、過去に苦しみ続けるよりも、今のこの瞬間を大切に生きていきたい。
生きることも死ぬことも、昨日も明日も、自然の中にある。
時に、人生をそういうものにゆだねてみることが必要なのかもしれない。
自分の第六感を磨くことで、眠っていた能力が覚醒をするのだ。

自分流×帝京大学



自分流塾「あくせく生きることから離脱し、自然を見つめ直す生き方」

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。