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自分流塾、不満を満足に変える現代の生き方 Posted on 2025/05/09 辻 仁成 作家 パリ

ぼくはここ最近、たぶん、老子の言葉「足るを知る者は富む」をようやく理解し、実感することが出来るようになった。
この言葉に、若い時代のぼくは強く反発を持ち、到底、理解することなどできなかった、というのに・・・。
若い時代のぼくはこの老子の言葉を以下のように解釈していた。
『満足を知っている人間は、成功していなくとも、精神的に豊かで、すなわち、幸福である」
と・・・・。
その通りなのだけれど、野心家だった20代、30代のぼくには、老子の悟りある言葉が、年寄りの言葉、夢を諦めた人の言い訳に聞こえてならなかった。
こんな言葉をもって生きていては、自分の目標に到達できるはずがない。老子は、のんきな人だ、と思っていた・・・。
ところが、山あり谷ありの人生をそれなりに生きてきたせいもあるが、10年ほど前に、この言葉の本当の意味に気が付き、ぼくは、情けないことに、この言葉にすがることになった。
自分が最終コーナーを曲がろうと最後のチャレンジに向けて人生の舵を切った、もしくは切ろうとしている今、この言葉の真の意味はさらにぼくの人生を強く励ます「教え」となってぼくの眼前に聳えている。
若い頃の自分の愚かさに今更ながらに気が付くことが出来た。
まずは、この一文「足知者富」が出てくる、思想書「老子」の中の長い一説を、紹介させて頂きたい。(余談だが、老子は架空の人物ではないか、という説もある)
原文は、だいたい、こうなっている。
『知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。知足者富、強行者有志。不失其所者久。死而不亡者壽』
勝手な解釈ではあるが、・・・・。
人を知る者は智、自らを知るものは明らかなり、とある冒頭の一節について、相手を理解することは知恵で出来るが、自分を知ったものはそれ以上の光明を持つ、とぼくは解釈した。
人に勝つ者は力あり、自らに勝つ者は強し、というのは、本当に強い者は他人に力で勝つものではなく己に勝つことが出来る者だ、と解釈した。そして、ここで登場する。
足るを知る者は富み、努めて行う者は志あり、につながる。
自分の世界が十分であると知っていることが心の充足を持つことの基本、コツコツと努力を続けている人間にこそ、真の志が宿っている、とぼくは理解した。ここが、老子の言葉として、一人歩きしている。重要な言葉であることは間違いない。
其の所を失わざる者は久し、死してしかも滅びざる者は寿となる、とは、自分自身を見失わないものは永遠になり、そういう人間の志はその人間の死後も生き続ける。
このように、ぼくはこう解釈した。

自分流塾、不満を満足に変える現代の生き方



さて、このようなかまびすしい現代を生きるぼくたちに、紀元前6世紀、中国春秋時代の思想家、老子の言葉は何を教えているのであろう。考えてみよう。
「足るを知る者は富む」
ぼくは、ずっと満足ができなかった。今も、満足が出来ない人間である。なので、長いこと、不満ばかりを見てきた。
しかし、そこで増長したものは、つまるところ、不満だらけの不満足だった。つまり、ぼくは、足るを知ろうとしない者だった。
都会で、溢れる情報にまみれ、その先端で生きないとならない、と思い込んでいた。携帯を握りしめ、意味のない情報をよりどころにしていた。
ところが、ある日、ノルマンディの海に沈む夕陽を眺めながら、老子の言葉を思い出したのだ。この沈む夕陽による、地球規模の見事な納得、に驚かされた。
ぼくは自身の成長しか考えていなかったことに気がつき、足りているのに足りていないと不満を表明し続けてきた愚かさを諭されることになった。
この大自然の前で、ぼくの持つ野心や願望のなんと小さなことか、と気づかされたのである。
見渡すと、世界のほとんどが自然でなりたち、人間が蠢く世界など、その一部に過ぎないことを知った。
足るを知るというのは、自分に納得できる人生を歩く、ということだ、と解釈をした。
そこにはすべてが含まれる。もちろん、今でもそれなりに野心は保持している。そして、不満もあるが、それよりも多くの満足がそこにはあった。
落ち着かなかった一生が、田舎で暮らすようになり、落ち着いたのだ。足るを知った、というわけである。
どんぐりの背比べ、のような世界から離れ、画布に向かって、原稿用紙にむかって、生きている限りの自分の足るを埋めていく、日々の小さな出来事に無限の喜びを悟るようになってきた。
それでも、作品は生まれてくる。しかし、足るを知るものの作品には必要以上の野心がないので、邪念もない。上も下もない。
毎日、太陽を見上げ、寝る前に月に自分を重ねて眠りにつく。
老子の言葉は、この現代にこそ重要なのだ、と気づかされた、という次第である。

自分流塾、不満を満足に変える現代の生き方

自分流×帝京大学



posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。