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孤独であるということ、それはイコール「自分流」 Posted on 2020/05/25 辻 仁成 作家 パリ

孤独であるということ、それはイコール「自分流」

冲永さんは柔道家だったそうで、言葉の端々に構えが見えてくる。たとえば、この対話の中で述べられている「地味な努力と遊び心を大切にしていきたい」という一説などは、柔術をやって来た人の言葉だな、と思った。恥ずかしながら、ぼくも高校時代、柔道部に所属していた。ぼくは身体が小さいし、中学の時には結構いじめにあい、ぼこぼこにされた経験があり(超生意気だったからね)、強く生きるために柔道を始めたのだ。柔よく剛を制すとは、小さな者が大きな者を負かすことを言うけれど、強くなったぼくは気が付くと喧嘩にも負けなくなっていて、喧嘩に勝とうという気持ちにもならなくなっていた。冲永さんの言う、「もちろん派手なことを時々やることも重要なんですが、長いスパンでじわじわとじっくりとやっていく、そういう構えを常に持っている」というところに共感し、今回、一番、ぼくの心に残った。地味な努力と遊び心、とってもいい人生の構えだと思う。もう一度、自分もおごらず、構え直してみたい。

 
孤独であるということ、それはイコール「自分流」
 
 ぼくは今までにいくつかの大学とお仕事をさせていただきましたが、まず、その大学がどのようなポリシーを掲げて学生と向き合っているかを重視してきました。帝京大学の岩盤は「自分流」という言葉でした。この「自分流」というメッセージは実に率直で、実に広大な視野を含んでいます。教育姿勢の入り口がよくわかる理念であり、たいへん素晴らしいと思いました。

冲永佳史氏(以下、「冲永」敬称略) ありがとうございます。

 ぼくはこれまで創作活動の一環として、世界各地の哲学的、歴史的、知的創造の故郷とでも呼べるを巡ってきました。その中で特に印象に残っているのは比叡山です。そして「一隅を照らす」という言葉に出会います。「みんなが気づいていないようなほんの片隅で社会を照らしているような人が、国の宝なんだよ」と言う意味なんですが、比叡山に掲げられているこの言葉と出会い、ぼくは強く感動して門を潜り比叡山の住職さんとのご縁が生まれ、それは今も、続いています。  

冲永 それは、本当に素晴らしい出会いでしたね。
 

孤独であるということ、それはイコール「自分流」

 つまりそこに人を惹きつける言葉の力があります。この大学に集まる学生たちは、まさに「自分流」にひきつけられているのだろう、と思いました。人類がどのように進歩しようと、その中に何を哲学していくのかという根本がなければ、経済活動も政治活動も実を得ることができません。その根本理念の中に「自分流」というものがある、それはイコールその人の持つ自分だけの哲学だと思うのです。ぼくは学生たちを前によく「孤独でありなさいよ」と言ってきました。孤独であるということは孤立ではなく、孤独であることによって自分自身が見えてくる、わかってくる、ということです。自分流と通じました。

冲永 「孤独でありなさい」、その通りだと思いますね。

 「一隅を照らす」の一隅とはどこなんだろう、世の中の一隅って誰が照らしているんだろう、と考えました。そういう風な問いかけが大事です。帝京大学の3つの教育指針である「実学」「国際性」「開放性」には、自分で責任を持ちなさい、というシンプルな教育方針があり、納得させられます。その理念についてお聞かせください。

冲永 ありがとうございます。自分自身の存在を自分の責任で受け止める、そこですよね。持って生まれた自分の個性を最大限に生かし行動し、その結果については自分で責任を持つ。つまりそれは育てたい人物像に通じるんです。学生が自分の中にある個性や得意分野に気づき、それを最大限に生かすためのサポートをすること。でもそれは自分勝手な独りよがりなものではなく、社会や組織の中で通用する個性でなくてはなりません。実践で生かされなければ意味はなく、社会に出た後、個性を生かし、実践の場で自らを表現でき、且つ他の表現を受けとめられる人材を育てられる教育に取り組んでいます。自分流とは「自立」と「自律」この二つの言葉を象徴している言葉ですが、これを追求するのが「生きていくこと」だと我々は思っています。それが我々の目指す教育であり「自立」と「自律」を両立すること、イコールそれが「自分流」を育成することなんです。
 

孤独であるということ、それはイコール「自分流」

「遊び」が「学び」に変わる学習空間
ペーパーシートやホワイトボード机などアイディアを形にするツールが満載

 帝京大学は「自立」と「自律」をバランスよく行える人を育てる教育を使命と考え、その教育理念に「自分流」を掲げているのですね。よくわかりました。では帝京大学における「開放性」とはどのようなものなのでしょうか?    

冲永 開放性はですね、既成概念にとらわれずに、多方面な視座から本質を掴んでいく力を学ぶ、ということ。自分なりの物の見方というのが当然人それぞれありますし、持っていなければいけないと思います。でも、やはりものは相対化してみていくことで自分自身を見つめる力にもなりますし、あるいは自分が対象としている知りたいことなども違う角度から見ることによってより明らかにしていくことになりますから、自分の価値観も重要ですが、他の価値基準も少し参考にしていくとか、そういう角度からものを見る癖もつけていくことが必要ということ。必要な知識や技術を偏ることなく幅広く学んでいくことが大切なんです。

 人ってやはり相手のことをリスペクとすることがすごく大事で、自分がリスペクトされることも大事だと思います。そうなってくると相対的に自分が開かれていく、お互いそういう関係を持っていくことが、ものを作ったり生きていく上で大事となる。そういうことが「開放性」の根底にあるのかなと、思いました。         

冲永 時代の変化に対応する柔軟な思考と、その中でいかに自分を輝かせていくか、ということを常に考えた教育。社会という大きな海に送り出せる人材をいかに育てていくか、ということが我々の使命であると思います。そこで欠くことができないのが「自分流」という「個」を尊重した教育です。一人一人が個性の輝きを放つ「自分流」を理念とする教育、個人の中にある生き方の哲学を導き出すための教育に、これからもこだわっていきたいですね。

 まさにそれが人間学だと思います。 

冲永 本学も設立して今年で55年目に入るんですが、50周年を迎えた時に、「地味な努力と遊び心を大切にしていきたい」と私は申し上げたんです。もちろん派手なことを時々やることも重要なんですが、長いスパンでじわじわとじっくりとやっていく、そういう構えを常に持っている、という、そういう思いを決して忘れないでほしい、と。そういう要素を持って様々なことに向き合っていくことがこれからは絶対に必要だと思いますね。

 構えを常に持っている、という一言、まさにその通りですね。心構えが人間には大事だと思うのです。
 

自分流×帝京大学




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辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。