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自分流塾「うぬぼれてみるべし」 Posted on 2024/02/13 辻 仁成 作家 パリ

「謙虚であれ、うぬぼれるな」とぼくは父によく言われていた。
なんにでもかんでも反論することを生き甲斐としていたぼくは「謙虚であるべきだとは思うが、謙虚過ぎてはいけない」と考えるようになり、うぬぼれ、に関しては、うぬぼれることができないようじゃ、この世界では生きていけない、と父とは真逆のことを考えるように至った。
「うぬぼれ」とは「自惚れ」と書き、「実際以上に自分がすぐれていると思い込み、得意になること」と辞書に書かれてあった。
たしかに、実際以上に自分がすぐれていると思い込んではいけない、という気持ちもわからないではないが、自分がどのくらいの実際の可能性があるのか、わかりもしないのに、そこでとことん謙虚になっていては、その段階を超えることができないのじゃないか?  まさに、芽を摘む行為である。
少年時代、ぼくはそう思ったのだった。
もちろん、父はとっても怖い人だったので、反論はしたことがない。
しかし、心の中では、自惚れ、は人間に必要なものじゃないか、と思っていた。
もっとわかりやすく言うと、この世界で、誰が自分のことを擁護し、褒めてくれるというのだろう。
見回す限り、人の足を引っ張るような人ばかり、他人の成功をやっかみ、他人の失敗にほくそ笑む世界、まさに、誹謗中傷の世界じゃないか。
先生も、クラスメイトも、会社の上司も、同僚もなかなか褒めてはくれない世界で、自己嫌悪とか、自分だけ謙虚になり続けていたら、出るべき芽も出なくなってしまわないだろうか?
少なくとも、自分くらい、
「お前はすごい。まだ、みんなお前の実力を知らないだけだ。気にするな、思う存分やれや」
と言ってもいいのじゃないか。
少年時代のぼくはこのように自分を啓発したものである。
自惚れて終わる、としても、それは自己責任なのだから、しょうがない。
自分はすごい、と思っていないのに、すごいことなどできやしない、というのは当たり前のことだ。

自分流塾「うぬぼれてみるべし」



思えば、ぼくは「自惚れ」た人間であった。
誰かに、あこがれるということはめったになかった。
「なんだ、こんなの自分ならもっとすごいことができる」
と、たとえば、アメリカの偉大なバンドの音楽を聴いて、本気で、思ったりしていた。英国の偉大な作家の小説を読んで「ぼくならもっと面白く書くことができる」といった感じで、それはそれはひどい自惚れ人間であった。
結論から言うと、アメリカの凄いバンドも、英国の偉大な作家をも今日現在、超えることはできていない。
逆に、今、聞きなおしたり、読み直すと、ああ、こりゃあ、かなわないな、と思って苦笑しか出ない。おそまつぶりである。
でもなぜ、ぼくは超えられると思ったのであろう。その自惚れがなければ、今の自分は存在しないのだから、そこが大事だ。
不思議なことに、若い頃は、ぼくならもっとよくできるはずだ、と思った。根拠のない自信だけが、人一倍あった。
それを自惚れというのかもしれないが、おかげで、ぼくは誰かの影響を受けた時から、それを超えるために訓練を始めたのだった。
で、ぜんぜん、違った自分を発見していくようになり、アメリカバンドとも、英国作家ともぜんぜん違うようなスタイルを生み出すようになった。
というか、もっと言うならば、足元にも及ばないのに、ぜったい、ぼくはもっとすごいことができる、と言い聞かせ続けていたのだった。
ぼくの創作は、彼らに届くこともないので、敗北は明らかなことだが、ただ、崇めているだけでは、ぼくは創作の道へは入らなかった、に違いない。
これを、起業に置き換えてもいいし、学業にかえてみてもいい。自分なら、もっとこうする、と心のどこかに自惚れがあるならば、成長ののりしろがある、ということかもしれない。

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ちなみに、還暦を過ぎたぼくだが、まだ、自惚れ気質は保ち続けている。
先日、英国にライブに行った時、とある有名な国立美術館を覗いたのだけれど、とくに現代アートの絵に関しては、ピンとこなかった。英国人の知り合いがいたので、「なんでこんな絵が」と口にでかかったのだけれど、さすがに失礼だな、と思って、控えた。まことに、馬鹿者、なのである。
でも、ピカソのような巨匠の絵をじっと眺めながら、この構図がおしいなァ、とか、ここでこの色じゃ台無しじゃん、などと、ダメ出しをしている己にまず、あきれ果ててしまうのだった。
自惚れも、適度じゃないと、人に本気で嫌われかねない。
それに、自惚れるからには、それ相応の努力ができていないと、どうにもならない、ということだけは付け加えておきたい。笑。
ここは用心をされて、どんどん、自惚れて頂きたい。
とくに、若い人にこそ。

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。