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文章教室に投稿された作品の中から、ぼくがいいな、と思った作品 Posted on 2021/07/03 辻 仁成 作家 パリ

前回、はじめて、「文章教室」なるものをやった。自分にできるかな、と思っていたのだけど、さすがに30年以上作家をやってきただけあって、笑、授業がはじまった途端、言いたいことが溢れて、あっという間の90分となった。終わったあと、まだ、いっぱい話すことがあることに気が付き、第二回「文章教室」を7月18日にやる。

ところで、第一回文章教室で講座のために応募した短文作品の中にきらっと光る文章があったので、第二回目の応募の参考に、ぜひ、読んでいただきたい。人は誰でも文章と向き合って生きていく。文章を書くことは社会と繋がる上でとっても大事なことだったりする。会社の企画書一つにしても、日々のブログにしても、140字以内のツイートにしても、自分のことをどう他者に伝えるかが重要である。文章力というか、人間味のある、しかし上質な知性ある文章が書けることは、今を生き抜く上で大きな武器にも、或いは心強い支えにもなる。

ところで第一回目は「自分の家の近くにある美味しい食べ物屋さん」についての食レポを課題とした。自分が食べた時の感動を他人に上手に届けられるか、を問うのが目的であった。7月18日の第二回「文章教室」はお店の紹介ではなく、食べて感動した料理や食べ物そのものについての食レポとさせていただきたい。

それでは、どういうエッセイが心をくすぐるのか、参考にしていただき、第二回文章教室への投稿をご検討いただきたい。
 

文章教室に投稿された作品の中から、ぼくがいいな、と思った作品



 

『天ぷらそばの海老天の衣』

 

佐藤拓夫

16年前に母が亡くなったあと、父と二人暮らしをしていた時期があった。
食事の用意は私の仕事。
父は食への執着がなく、私が作るものはなんでも黙って食べてくれた。
土曜日のランチだけは出前を取るルールだった。
といっても注文するのはいつも同じ蕎麦屋の天ぷらそば。
緊急事態宣言が解除された翌日。
久しぶりに外で食事をしようと近所を歩いていたとき、ふと蕎麦屋のことを思い出した。
開業から半世紀は経っているはずだが、店で食べたことは一度もない。
なにかを確かめたかったのか吸い込まれるように店の暖簾をくぐった。
注文したのはもちろん天ぷらそばである。
海老天が2本、ほうれん草と刻みねぎが少々、それに風味づけの柚子の皮。
丼を手に汁を一口すすると、カツオ出汁のよく効いた懐かしい味がよみがえった。
食べすすめるうちに「おや」と気づいた。
海老天に歯ごたえがある。
私の記憶にある頼りない海老天ではない。
カリッとした衣が大ぶりのブラックタイガーの身をしっかりと包みこんでいる。
父が仕事を終えて自宅に戻り食卓につくまでのあいだ、私が出前の天ぷらそばに手をつけることはなかった。
父は一家の大黒柱。出前の代金を払うのも父だ。
先に食べるのは失礼である。
古めかしい考え方だが、私はそのように振る舞っていた。
出前のそばの丼には蓋がついており、父が食卓に座るまで決して蓋はとらない。
だからいつも海老天の衣は、温かい湯気としょっぱい汁の水分を目一杯吸い、よれよれに溶けきっていた。
父は母の死後から2年も経たないうちに心臓発作で世を去った。
今年で14年になる。
父は忙しく寡黙な人だった。
息子である私ともろくに会話をせず、子供時代に遊んでくれた記憶もほとんどない。
海老天の衣が溶けるまで父の帰りを待ちつづけた土曜日の昼下がり。
あの静かな時間だけが、いまなお思い出として胸に残っている。
 

◼️Takuo Sato/ライター
コツコツと文章を書き、糊口をしのぐ日々。ライフワークは死生学

 

文章教室に投稿された作品の中から、ぼくがいいな、と思った作品

※思い出の蕎麦屋の天ぷらそば
地球カレッジ

 

『淡水の世界をいただく』

 

山田由美

京都の丹波高地から流れ出た水は安曇川という名を受け、滋賀の平野を潤しながら羅琵琶湖の西岸にたどり着く。
一度も海に交わることなく山から湖へと巡るその水は、そこにしか棲まない魚と料理法を生み、静かに長く育ててきた。
滋賀県高島市、安曇川河口にほど近い北船木という地に、その味を堪能できる居酒屋がある。
8人で満席となるその店を切り盛りするのは高齢のご夫婦だ。
魚の調査をしている研究者が自ら琵琶湖に身を沈めているうちに縁を持ち、通うようになった店だそう。
自力で暖簾をくぐるのは難しそうなその店に、先日はじめて連れてきてもらった。
カウンター席には次々とお任せで運ばれてくる。
見たこともない魚を目にして、まるで博物館の部屋を進むような気分だ。
最初の一皿。聞けば揚げたホンモロコという魚を昆布と甘酢で漬けたのだそう。
身の旨味が強く、頭から丸ごと食べたらいきなり舌が満たされてしまった。
女将さんが「ここら辺の湧き水で作った日本酒だよ」と冷酒を出してくれた。
一口二口含むと、また魚が食べたくなった。
大皿にプリプリした魚が卵を纏って盛られている。鮒の真砂合えだ。
鮒は湖の恵だが、新鮮さと料理人の仕事がモノを言い味はどちらにも転ぶ。
輝く魚卵が散らされ贅沢に大きく切られた身を口に運べば、幸運感は否応なしに高まる。
その後もコイ、マス、ウナギなどの歓喜の焼き物、煮物が続いたが、最後の圧巻は円を描くように50枚ほど皿に並んだ鮒ずし。
鮒ずしは滋賀県の郷土料理でニゴロブナなどと飯と塩で作られる。
ご夫婦は莫大な時間と手間を掛けたに違いないが、どうぞ。と一言それを静かに供し、切り身の一部を椀に入れ出汁を注いでネギを添えてくれた。
余さず丁寧にいただいた。
ちなみに満ち引きのない琵琶湖にも波が起きる。
風波(ふうは)というらしい。
ぜひこの押し寄せる強い味の波と琵琶湖の波を感じにこの地に足を運んでほしい。
 

◼️Yumi Yamada/大学の研究員
実は現地調査のたびにコッソリと美味しい地の物を食べ歩いてます

 

文章教室に投稿された作品の中から、ぼくがいいな、と思った作品

※これが「鮒ずし」です!

 

文章教室に投稿された作品の中から、ぼくがいいな、と思った作品


*7月18日の地球カレッジは・・・

講師、辻仁成
「人生がちょっと豊かになる気まぐれ文章教室2」

この授業に参加されたいみなさまはこちらから、どうぞ

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*定員になり次第、締め切らせていただきます。
 

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posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。