ノルマンディ、ツジ村便り
辻村相談窓口、「将来を見据える」 Posted on 2026/06/04 辻 仁成 作家 パリ
おつかれさまです。
今日のご相談は、自分もよく考えていることです。さっそく、窓口を開いてまいりましょう。
☆
匿名希望Bさん
「辻さん、いつ相談窓口を読んで考えさせられています。実は、自分は50代半ばなのですが、これから、どうやって生きていけばいいのか、悩んでいます。若い頃はこんなこと考えもしませんでした。キリギリスと蟻の話じゃないんですが、若い時は老後のことなど、気にもせず、日々、自由気ままに生きてきたんです。でも、自分が還暦を迎えようとしているせいもあるのでしょうが、ちょっとまてよ、となって来たわけです。相談というよりも、辻さんは、自分よりも年齢が上ですから、どういう風に将来を見据えて今を生きているのか失礼ですが、聞いてみたいのです。参考にさせてください」

おこたえしまーす。
☆
「ぼくはですね、何度もここで書いてきたことですが、物心ついた頃からずっと、死ぬことがたのしみでしょうがない人だったんです。死の向こう側にいつか行ける、と思うと嬉しくてしょうがない、かなりの変わり者でしたし、今も、それが根底にあります。こういう風に書くと、不謹慎な人だ、と思われるかもしれません。100冊以上出しているぼくの小説を適当に5冊くらい選んで読んでみてください。どの作品にも死への強い関心が描かれています。憧れじゃないんですが、死を見極めることが、生の意味を深めると思って、死を眺めてきた、その時折々の結晶です。ぼくは書くことで死が何かを探して生きてた、と言えるかもしれません。これは逆を言うと、死んでからではもうわからないことだから、生きているからこそ、死が何かを探求しているわけです。ぼくは、信仰がないので、自分で探さないとならなかった、ということも言えますね。結論から言いますと、やはり、死ぬまで死が何かは分からないかな、と思っています。でも、死を怖いものだとか、悪いものと思わなくなっています。終わりかどうかは、わかりません。生きている人の中で、誰かが死ぬと、周囲の人は、その人が終わった、と思うかもしれませんが、しかし、本当にそうなのか、ぼくにはまだよくわからない。ただ、実際に死ぬその時がいつ来るのか、誰にも分からないのですから、そこを怯えて生きても仕方がない、と割り切っています。こういう話しが前提で、この先を訊いて貰いたいのですが、だからこそ、あなたが今悩んでいるような、老後とか、将来というものを、ぼくはあまり気にしないようにしています。むしろ、大事にしていることは、将来じゃなく、今、ですね。あなたは今の自分を大切にされていますか?
☆
過去の後悔が増えていませんか? 過去の後悔に振り回されて今が辛くなることはないですか? 未来のことを考えると不安になって今が辛くなることないですか? 後悔は後悔でいいんですが、反省をし過ぎても辛くなるだけですから、ネガティブな過去は忘れてみてください。それから将来についてもあれこれ考えると不安になるので、ネガティブな未来は捨てちゃってください。必要ありません。死はみんなに付属するものだから、免れることが出来ないという上にたって物事を見つめてみると、過去や未来に振り回されて今が暗くなるのは実にもったいないことなんです。どうなるか分からないことのために今を苦しめるのもよくないし、もうやり直せない過去の反省ばかりしていても、いけません。それでですね、コロナ禍の時に、ぼくは争う世界から脱出したんです。自分を縛り付けるような世界から離れて、自然の中に身を置きました。そして、雲を見上げて、出来る限り頭の中を空っぽにすることにしたんですよ。ぼくは欲深い男でしたからね、勝負が好きでしたし、頑張って来たと思うんですが、諦めてもいいんじゃないかな、と思った時があって、少しずつ、それまでむきになっていたものを、一つ、二つ、とやめてみたり、諦めてみたりしはじめたんです。欲望の断捨離みたいな。それが実に苦しかったんですが、次第になれてきて、田舎で暮らしていますが、見える世界が変わってきました。今は、絵を描くことを仕事の一つに出来たこともあって、ずっとカンバスに絵を描いています。小説でもよかったんですが、小説だとどうしても意味を求めてしまうじゃないですか、いろいろ蒸し返してしまうんで、余計なことを考えないように、まずは、絵筆だけを動かして、五感で生きるようになりました。ぼくはたまたま絵だったんですが、何でもいいんだと思うんですよ、落ち着くものであれば、なんでも。農作業でもいいし、料理でもいいし、何でもいいんだと思うんです。今日という一日を満足させられることに向かう「今」を手に入れるための、何かを見つけるということが、大事でした。これが不思議なことに無になって絵を描いているんですが、頭のどこかで、ものすごいことを発見しているんです。宇宙なんてないんじゃないか、とか、時間なんかないんじゃないか、とか、生命以前のこととか、そもそもこの世界なんかないんじゃないか、とか、すごいんですよ、笑、壮大なことを毎日、果てしなく考えながら、同時にカンバスには色が積み上げられていきます。誰とも会わないですからね、お金も使わないです。将来がないんですよ、つまり。日々の中にいるので、とまった時間の中で、今、を泳いでいる感じで、未来が怖いとか、死が怖いとか、もうないんです。不思議ですが、本当に、その時をじっと待っている感じです。その時というのは、その時です。でも、その時がいつ来るのか、きっと、自分はもうわからない気がしています。この毎日の繰り返しの中にいる感じです。時々、SNSで世の中のことを見るんですが、もはや、意味が分からないです。ついていけない、というのじゃなく、意味が入って来ないんです。息子や弟から連絡がる時に、我に返るんですが、また、すぐに「今」に戻ります。パリとか東京に仕事で行く時は、心拍数が跳ね上がって、けっこう、きついです。一生、ここから出ないで、沈む夕陽と登る太陽を見ていたいな、と思っています。ぼくの一生はいま、太陽から最も離れた軌道上にあるような気がします。朝、鳥の鳴き声で起こされるんですが、その鳥の鳴き声が実に美しく、よく聞くとかなりのバリエーションがあることに気が付きました。会話のような鳴き方なんですが、この年齢まで、その素晴らしさに気が付きませんでした。そこにはある種の周波数があって、それはもはや、地球の言語のようですよ。ぼくね、朝、一時間くらい、鳥さんの鳴き声を分析しているんです。今日は「わたしはかわいいでしょ」と鳴いていました。そうだね、あなたは素晴らしいよ、と答えたんです。この一生を慈しみ、感謝をし、今日を精一杯生きることの中に、今、ぼくは在ります。それを永遠というのかな、と思いながら、毎日を大切に生きています」

父ちゃんの独り言、&、近況のようなもの。
そうですね、あと、料理は大事にしています。最近は、野菜を育てているので、それを頂く時に、やっぱり、感謝がおきますね。今日もあらゆるものが美味しかったです。
昨日の蒸し鳥が残っていたので、今日は、それを頂くことにします。
☆
8月5日から11日まで、三越日本橋本店、特選画廊にて個展、辻仁成展「鏡花水月」。一日に一度は、在廊したいな、と思ってます。ま、きまぐれですが・・・。
10月22日から25日、パリのモダンアートフェアに出展。
11月5日からリオン市で個展。タイトルは、Les Invisibles 「見えないものたち、リヨン」に決定いたしました。45点くらいになりそう。現在、選別中、楽しみです。





