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「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶 Posted on 2026/08/21 中村ゆかり クラシック音楽評論/音楽プロデューサー ドイツ、エッセン

「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

ポルトガルの港町、ポルト。

今回は、初夏に訪れたこの街から「世界一美しい」と称される本屋と、彼らが描く夢の物語をお届けすることにしましょう。

「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

ポルトを象徴するドウロ川沿いの美しい街並みから、幾重にも連なるポルトらしい坂道を登ると、その途中に、まるで羊皮紙の装丁を思わせる優美な建物があらわれます。

それが「世界で最も美しい書店」と称される、レロ書店です。



「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

※Photo:Livraria Lello Instagram(@livraria.lello)

『ハリー・ポッター』の聖地としてもあまりに有名なこの場所(ちなみに私自身は、映画のみならず原作も未読なのですが)。
その息をのむ美しさと熱狂的な『ハリー・ポッター』人気の影響で、いつしか世界中から「本を買わない」観光客が押し寄せるようになり、一時は倒産危機に。
およそ10年前から有料入場制をとり、現在はオンラインで指定時間の入場券を販売する、まるで美術館のような完全予約制の本屋です。

「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

※Photo:@livraria.lello

私にとって旅先で本屋(主に古本屋)や楽譜屋を巡ることは十代の頃からの習性のようなもの。誰かを待つ時間の居場所も、いつも決まって本屋でした。
けれど、このレロ書店ばかりは、どこか敷居が高く、長年その扉の先を遠い世界のように感じて、石畳に伸びる行列を遠巻きに眺めてきたのです。

そんな及び腰だった私を、あの重い扉の向こうへと抗いがたく引き寄せたのは…
地下にひっそりと誕生した“特別室”の存在と、彼らが推し進めるあまりに壮大な試みでした。

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もともと出版社として産声を上げたレロ書店は、現在でも自社出版に力を入れ、一日に数千冊もの本を手渡す文化の一大拠点となっています。
しかし、この書店の真の魅力は、単に本を「作る・売る」という枠組みを超えたその眼差しにこそあります。

たとえば彼らは今夏、国際文学イベント「BABELL(バベル)」を立ち上げました。
これは「本の都」を掲げ、ポルトの街全体を舞台に、書店・作家・読者をつなぐ一大プロジェクト。街の至る所で、文学や文化に触れるイベントが開催されます。

「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

面白いのはその仕組みで、レロ書店だけでなく市内の本屋さんで本を1冊買えば、イベントに参加できるというもの。本を買うという行為が、そのまま「街の文化を支え、参加する」ことへ直結する仕掛けです。
そんな開かれた発想の端々に、いかにもレロ書店らしい、粋な気概を感じずにはいられません。

「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

※2024年にレロ書店は、文化・教育・市民参加型プロジェクトの展開を目的とした「リヴラリア・レロ財団」を設立。写真はポルト郊外にあるポルトガルの建築家アルヴァロ・シザによる財団施設。Photo: Livraria Lello (Official)

そしてそんな彼らが、現在掲げているのが
「世界最大の文学の民間コレクターになる」という壮大なビジョンです。

デジタル化の波や時代の変遷によって、いま世界中で老舗の書店や出版社、図書館の記憶が、惜しげもなく失われつつあります。
レロ書店は、そうして散逸していく文化の断片を買い取り、救い出し、未来へ手渡そうとしているのです。
近年では、惜しまれつつ廃業したポルトガルの老舗出版社「コインブラ・エディトラ」の膨大なアーカイブや、かつてニューヨークで伝説と称された古書店「ブレイズンヘッド・ブックス」の記憶とコレクションを買い取り、無に帰すはずだった言葉たちを保護したことが話題となりました。

一軒の書店の枠組みを飛び出し、私たちの言葉を守る「文化の種子銀行」さながらの広がりを見せる彼らの活動。

レロ書店が掲げる、こうした気高く熱すぎる志に触れたとき、私の心は吸い寄せられるように、この本屋の入口へと向かっていたのでした。

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一日五十人しか立ち入ることを許されない地下の聖域。
その部屋は、ポルトガル語で「宝石の原石」を意味する「Gema(ジェマ)」と名付けられています。

「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

※Photo:@livraria.lello

しじまに満ちた階段を降り、一歩足を踏み入れた瞬間、古木と古い紙が放つ甘い香りがふわりと立ち上り、胸を満たします。それは、何十年、何百年という歳月の中でゆっくりと熟成されたかのような、甘美で重厚な気配です。



「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

※壁面には、ポルトガル人の誇りである国民的叙事詩、ルイス・デ・カモンイスの『ウズ・ルジアダス』を引用したインスタレーション。天井には、ポルトガル文化と書店の歴史を散りばめたンスタレーションが施されていました。Photo:@livraria.lello

二百年以上前の古木で作られたという本棚。
その金網の向こうには、オスカー・ワイルドの直筆サインが入った初版本や、ジム・モリソンがその手元に置いたという『白鯨』がひそやかに佇んでいます。
サン=テグジュペリやルイス・キャロル、ジェーン・オースティンなどの初版本に、若き日のボブ・ディランが遺した未公開のラブレターまで…
長い時間の中で紡がれた言葉の数々が、この地下の暗がりで深々とした息を吐いていたのです。

「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

※Photo:@livraria.lello

時代を超えて集まった無数の本と、それを生み出し、慈しんできた人々の情熱。
本とは単なる紙とインクの束ではなく、人の思いや思考を宿しながら歴史のあわいを旅する舟なのだと…
「ジェマ(宝石の原石)」の名にふさわしい光を宿した静けさのなかから、幾重にも響きあう言の葉のバルカローレが聴こえてくるようでした。

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地下の静寂をあとにし、一階へ向かうと、現実の世界へ鮮やかに引き戻されます。

「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

中央に鎮座する流麗な螺旋階段―木製に見えて実は当時最先端だったコンクリート彫刻で作られたという、その圧倒的な曲線美のもとには、世界中から集まった人々の熱気が等しく渦を巻いています。

「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

※Photo:@livraria.lello

「労働における名誉」というラテン語の格言が刻まれた光の天井を見上げつつ、入場チケットを手に書籍コーナーをめぐりました。
このチケットは店内でそのまま本を購入する金券として使える仕組みになっていて、本と人をつなぐ最後の一押しをしてくれるのです。

「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

※二階からの眺め。ラテン語の格言が刻まれた天井のステンドグラスは近年修復されたものだそう。Photo:@livraria.lello

地下のコレクションで出会った本の余韻も手伝い、私は高校生以来となるジェーン・オースティン『高慢と偏見』のスペイン語版と、一冊のフランス語の小説を買い求めました。



「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

いつもより、ずしりと重く感じる本を抱えて書店を出ると、ポルトのまばゆい光が目を射ります。

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そのまま向かったのは、ポルトを訪れるたびに立ち寄る「ガルシア&マルケス」というお気に入りのカフェ。
コロンビアの文豪の名を冠したコロンビア豆の珈琲屋なのですが、なぜか床屋の片隅で珈琲が淹れられるという不思議なロケーションなのです。
ここで出される一杯が、まさしくマジック・リアリズム!

「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

カップを口にした瞬間、思わず目を見開きます。
澄んだ深みと、果実のような華やかな香り。
深煎りの旨味が凝縮された最高の一杯が、熱き野望を抱く書店の中で火照った胸にゆっくりと染み渡っていきました。

「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

ちなみに、私は珈琲好きの祖父の影響で3歳からその香りに親しみ(毎朝、祖父の淹れた珈琲を飲んでから幼稚園へ送ってもらう園児でした)、大人になってからも世界中の街で理想の一杯を探してきましたが、これほど完璧な味わいには出会ったことがありません。

一つの書店と本が紡ぐ歴史の記憶と、小さなカップから立ち上る至高の香り。
色鮮やかなポルトの街角で、その心地よい余韻に包まれながら、私は買い求めたばかり本のページを、そっとめくったのでした。

「世界一美しい本屋」が救う、文化の記憶

※Cover photo:@livraria.lello

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Posted by 中村ゆかり

中村ゆかり

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Yukari Nakamura
専門は、フランス音楽と演奏史。博士課程在学中より、音楽評論とプロデュースを始める。新聞、雑誌、公演プログラム等の執筆、音楽祭や芸術祭のプロデュース、公共施設、地交体主催の公演企画、ホールの企画監修などを手掛ける。また5つの大学と社会教育施設でも教鞭を執る。2016年よりドイツ在住。