PANORAMA STORIES
祈りの森に抱かれて Posted on 2026/08/02 中村ゆかり クラシック音楽評論/音楽プロデューサー ドイツ、エッセン
今回は「音楽をめぐる欧州旅」の番外編です。
カメラに収めたたくさんの写真とともに、皆さまにもこの唯一無二の空間を一緒に歩いていただけたら嬉しく思います。
舞台は、今春訪れたスペイン南部・アンダルシア。
何度も訪れてきたこの地で、なぜか最後まで足を運ばずにいた場所がありました。
長い間、心の片隅に残り続けていたその場所。それが、コルドバのメスキータです。

イスラームのモスクとして生まれ、のちにキリスト教の大聖堂がその「胎内」に宿った、という世界でもきわめて稀な祈りの空間。
異なる信仰や文化が幾重にも折り重なり、一つの建築として息づいている。
その静かな調和に、いつか触れてみたいと、ずっと心のどこかで思い続けていました。

とはいえ、その「いつか」は簡単には訪れてくれませんでした。
今回こそは、と行程を調べてみると、やはり滞在先からコルドバへ向かう手段は、長距離バス(それも各駅停車の……)一択。
さらに時間の都合上、宿泊は難しく、日帰りで訪れるしか選択肢はありません。
現地で過ごす時間より、バスに揺られる時間の方がはるかに長い。
そんな少々無謀ともいえる旅程でした。
けれど、長年心に留めてきた場所へ行ける機会は、そう何度も巡ってくるものではありません。
「行けるのであれば、今、行かなければ」
そんな思いに背中を押され、何年かぶりの日帰りバス一人旅を決行することにしたのです。

車窓いっぱいに広がる、世界有数のオリーブ生産地。数百キロにわたって続くオリーブ畑の中を、片道3時間余り走り続けます。
バスを降り、春の熱気を孕んだ風に吹かれて歩くこと30分。

通りかかった、コルドバ大学。優美なファサードの装飾が印象的でした。

旧市街には、土産物屋がずらり。思わず足を止めたくなるような、可愛い民芸品が並んでいました。
食いしん坊の私。もちろん、メスキータへ向かう前に、コルドバ名物を味わうことも忘れません。

コルドバ名物サルモレホ。ガスパチョと違い、水を加えずにつくる濃厚な冷製トマトスープ。味はスッキリ、でも食べ応えがあります。
せっかくスペインまで来たのですから、大好きなタコもいただきます。

タコのガリシア風。下にはジャガイモのピュレ。添えられたシンプルなグリルピーマンも美味しかった。
白壁が続く旧市街の小径を通り抜けると、視界が開けたその先に、天を仰ぐような巨大な鐘楼が姿を現しました。
そこが、時を忘れる迷宮、メスキータへの入り口です。
まずはチケットを購入しましょう。


チケット販売所前の聖霊の門。上部を飾る二重交差アーチの美しさに、入館前から胸が高鳴ります。
チケットを手に、いよいよ敷地の中へ。

かつて巡礼者が祈りの前に身を清めたという「オレンジの中庭」には、今も清らかな空気が流れていました。

3つの回廊に囲まれた中庭で、アンダルシアの陽光を浴びながら30分ほど入館を待ちます。

さあ、いよいよ、入館です!
重厚な扉を潜り一歩中へ足を踏み入れた瞬間、目の前に広がる光景に、私は抗う術もなく呑み込まれていました。
そこにあったのは、人智を超えた柱の森。

約850本の柱が織りなす「柱の森」。一本ごとに異なる柱頭には、ローマ時代や西ゴート時代の建築から転用された部材も用いられ、長い歴史の積層を静かに物語っています。
大天井を支えるために生み出された赤煉瓦と白い石材による二重アーチ。
その反復が描き出すリズムが、どこまでも無限に続いていくようです。
広大な空間には不思議と、掌に包み込まれているような温もりが漂っていました。
一本一本、表情の異なる柱に目を凝らすと、遠い時代に生きた職人たちの、祈りにも似た手仕事の跡が伝わってくるようです。

柱の森の写真の多くは明るく映されていますが、実際の内部は、快晴の日でもこのくらい深い陰影に沈んでいます。

この暗闇の中にこそ、千年の祈りの残響が大切に仕舞われている気がします。
メスキータの真の美しさは、その「混迷」を愛する寛容さにあるのかもしれません。
784年にイスラームのモスクとして礎が築かれたこの建築は、その後も数世紀にわたり増改築を重ねてきました。
大きな転機となったのは、13世紀のレコンキスタ以降に進められたキリスト教化。1523 年から始まった大聖堂化の工事だけでも、およそ 200 年にも及んでいます。
気の遠くなるような時間、膨大な資金、そして当時の最先端技術。
それらすべてが幾重にも注ぎ込まれた末に、メスキータは場所ごとに異なる表情を宿す、唯一無二の建築となりました。
本来、異なる時代や価値観が一つの場所に重なり合うことは、容易なことではありません。
ときには対立や断絶を生むことさえあります。
けれどこの場所では、異なるものが排されることなく、折り重なるように共存しています。
それぞれの時代が刻んできた痕跡を否定せず、むしろ受け入れてきた人々のまなざし。
その積み重ねが、メスキータの「混迷」を魅力へと変えてきたのでしょう。
そしてその寛容さこそが、メスキータならではの美しさを形づくっているように思えるのです。

メスキータの地図です。現在の大聖堂は図の中央、モスクの屋根から大きく突き出た部分に位置します。
今回は入口から、大聖堂を中心に反時計回りに進み、出口へ向かいます。

8世紀後半に築かれた最初期のエリア。メスキータの基盤を作っただけでなく、その後の建築全体に影響を与えたと言われる場所です。

961年に増築された部分の天井装飾。黄金のモザイクがきらめく壮麗な装飾は、カリフの権威と宇宙の秩序を象徴するとされています。

987年以降に拡張された空間。
柱の森を歩き進めていくと、モスクの中に突如としてゴシック様式の身廊が現れます。ビジャビシオサ礼拝堂です。
13 世紀のレコンキスタ後、最初にキリスト教の礼拝堂へと転用された場所であり、メスキータの歴史が大きく転換したことを今に伝えています。
キリスト教の礼拝堂でありながら、どこかイスラーム建築の香りを漂わせる、メスキータ独特の空間です。

聖堂の身廊から、上部の飾り窓を映しています。奥はモスク。異なる信仰の空間が、静かな均衡を保ちながら隣り合っています。

キリスト教の礼拝堂ですが、よく見るとアーチの細部に施されたムカルナス(蜂の巣状の立体装飾)や木製の格天井など、細部にイスラーム建築の意匠が息づいています。

人が集まる先がビジャビシオサ礼拝堂の見事な主祭壇。

かつてのマクスーラのドームを転用したというヴィラヴィシオサ礼拝堂の主祭壇の天井は、8本のリブが交差する幾何学的なヴォールトでした。見上げていると星のような形が浮かび上がり、無限の広がりを感じます。歴史の愛しき痕跡と、改築した人々の思いも感じます。
ヴィラヴィシオサ礼拝堂を通り抜けると、やがてその先にミフラーブが姿を表します。
イスラム教徒にとって、メッカの方向を示す最も神聖な場所です。
黄金のモザイクに彩られたその壁は、息を呑むほどの美しさで、圧倒的な存在感を放っていました。

現在見ることのできるミフラーブは、965 年の改築で築かれた第三代のもの。アーチを覆う繊細なビザンティン風モザイクは心を奪われる美しさ。しばらくその場を離れることができませんでした。

モザイクの中には金色のアラビア語による碑文も。コーランの一節が、千年の時を超えて今も光を放っています。

吸い込まれるようなマクスーラ(ミフラーブの手前の空間)の天井。以前のミフラーブを転用している先ほどのヴィラヴィシオサ礼拝堂の主祭壇の天井とぜひ見比べてみてください。
さあ、いよいよ中央の大聖堂へ向かいます。
深い「陰影の森」から、「光の満ちる天空」へ。世界が色を変えていきます。

モスクから奥の大聖堂を眺めた様子。奥に光に満ちた空間が見えます。
大聖堂は、かつてのモスクの中央に増築された、十字形の身廊と翼廊の交差部に設けられています。
モスクから翼廊へ入り、主祭壇へ向かうと、祈りの森の中央に大聖堂が建てられていることが良くわかります。

翼廊から主祭壇側(写真右)を写した写真です。

大聖堂の構造がわかりやすい、十字天井の写真です。左右に広がる翼廊、上下に伸びる身廊。この十字形区画の工事だけでも 80年近くかけて行われたそうで、当時の人々にとってこの空間がどれほど大きな意味をもっていたのか。長い年月をかけて築き上げられたその姿に人々の祈りの時間が重なって見えるようです。

主祭壇は、長い年月をかけて造営されたためか、ルネサンスやゴシック、マニエリスムなどさまざまな様式が重なり合っています。上部には「聖母被昇天」を描いたカンヴァスが掲げられ、天井装飾には楽器を手にした天使たちが配されています。視線を上へと導く構成と装飾の緻密さが相まって、モスクの祈りの森と対照的な、突き抜けるような高い天井に息をのみます。

オルガンは、古いスペイン製のものが 2 基設置されていました。福音書側のオルガンは 17 世紀のものですが、現在は MIDIポートが取り付けられ、自動演奏にも対応しているとのこと。歴史ある楽器に現代の技術が静かに寄り添っているところにも、この場所らしい「重なり」を感じました。

主祭壇の向かい側に位置する聖歌隊席。精緻なレリーフには、一つ一つ聖書の物語が刻まれています。

聖歌隊席中央の司教座。最上部に立つ大天使ラファエルが、空間全体を見守るように佇んでいます。
大聖堂をうっとりと眺めているうちに、帰りの時間が迫ってきました。
名残惜しさを抱えながら、帰りのバス停へ向かいました。

実際にメスキータを訪れ、その深い祈りの森の中に身を置いてみると、かつて建築史家クーリーが記した「メスキータは過去と未来の交差点」という言葉が、
単なる比喩ではなく、実感として静かに立ち上がってくるように感じました。
異なる宗教、異なる時代、異なる価値観。
それらが互いを打ち消すことなく、けれど完全に溶け合うわけでもなく、お互いの輪郭を保ったまま絶妙な均衡で共存している。
少し歪で、不完全な、けれどリアリティに満ちたその姿こそが、現代を生きる私たちが目指すべき「共生のあり方」を静かに問いかけている気がして、なんとなく目頭が熱くなったのでした。
長い旅路の記録にお付き合いいただき、ありがとうございました。

Posted by 中村ゆかり
中村ゆかり
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専門は、フランス音楽と演奏史。博士課程在学中より、音楽評論とプロデュースを始める。新聞、雑誌、公演プログラム等の執筆、音楽祭や芸術祭のプロデュース、公共施設、地交体主催の公演企画、ホールの企画監修などを手掛ける。また5つの大学と社会教育施設でも教鞭を執る。2016年よりドイツ在住。



