JINSEI STORIES

滞仏日記「果たして、息子君はこの日記を読んでいるのかという心配に」 Posted on 2021/01/25 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、テレビ制作会社の方たちとZOOM会議の冒頭、昨日日記で書いた「息子の日本史問題」のことが話題になり、その流れの中で、プロデューサーさんに、
「ところでいつも思っていたことなんですが、息子さんはあの日記、読まれてないんですか?」
と突っ込まれた。あはは。
この疑問は結構多くの方から毎回聞かれることなので、
「漢字読めませんから」
と答えるようにしていたのだけど、
「でも、翻訳機にかけたら、分かるかなと思いまして」
と食い下がってこられたので、ぼくは思わず苦笑してしまう。

滞仏日記「果たして、息子君はこの日記を読んでいるのかという心配に」



正直に言えば、翻訳機にかけて読んだことはあると思う。
すくなくとも「息子」という漢字は読めるし…。そう言えば、去年、こんなことを言われたことがあった。
「パパ、パパのフォロワーの人たちって、いつまでもぼくのことを小さな子供だと思ってるみたいなんだよね。なんかパパのツイッターとかたまに見ると、子供扱いされていて、嫌なんだけど」
ぼくは、確かに、そうだねー、と返しといたけど、ということは「読んでる」ということになるね。
すくなくとも、ツイッターとかインスタの返信は、読んでるな、と思った。
漢字も実は小学校4年生くらいまでの漢字なら読めるので、ツイッターの返信くらいなら辞書を使わないでも、理解できると思う。間違いない。
でも、今日現在、彼から「日記」の件で一度もクレームを受けたことはない。
もう少し補足するならば、「日記だからね、家族のことや家のこととか書いてるからね、しゃーないな、日記やし」と説明したこともある。
たとえば、親戚とか知り合いが遊びにくると、わざわざ本人の前でそのことを言う人とかいるので、困る。
息子が、ふーん、そうなんだ、という疑念の流し目をぼくに放り投げてきたこともあった。
ぼくは肩を竦めたりして、その場を交わすのだけど、まぁ、一度もクレームは無し。



それで今日、このことを確認しとこうと思って、廊下ですれ違いざまに、「日記のことね、ほら、君がトマと発表会やるってこと、中世の日本の政治と宗教っていうテーマがパパには難しくて教えてあげられないってことなんかを、いつものように、日記に書いたんだよね」とぶつけてみた。
反応はなし。
で、遠ざかる息子の背中に、
「そしたら、フォローさんから、YouTubeの日本史の先生の動画のリンクが届いたけど、どうする? 結構、笑えて面白い動画だったよ」
と投げつけたら、立ち止まり、ぼくを振り返った。
今時のフランスの高校生って、正直、ぼくなんかが驚くくらいに大人びている。ひげも生やしているし、すらっと背も高いし、威圧感もある。パパに似たのか、映画俳優のようじゃないか。えへへ。
「ほしい」
「あ、そう? じゃあ、送っとくわ」
ということで、話しは終わった。

滞仏日記「果たして、息子君はこの日記を読んでいるのかという心配に」



地球カレッジ

もう少し、詳しく説明をするならば、実害がない限り、ぼくが何を書いても息子は関係ないというスタンスを取り続けている。これも、彼が中学の時の発言だけれど、
「パパは小説家だから、何書いてもいいんだよ。誰かの人格を否定しないものであれば、作品なんだから、それが仕事だし。表現は自由で守られている」
と言ったこともあった。
これは実は、テロがあって、シャルリーエブドが襲撃されて、世界的なニュースになった時のことで、表現の自由について語り合った時のひとこま。
さらに付け加えるならば、息子はぼくが書いているものに興味がまったくない。
ぼくの日記やツイッターに登場している「息子」を自分だと思っていない節がある。
私小説作家が捏造している新聞小説くらいに思っているように思う。
ここに書かれていることはもちろん日々の実話をもとに書いているのだけど、彼が仮に翻訳機にかけて読んだ場合、そこに出てくる話しは、彼にとってはリアルな話しじゃなく、ぼくが作った小説の世界のように感じるのじゃないか、と想像したことがある。わかる?

滞仏日記「果たして、息子君はこの日記を読んでいるのかという心配に」



たとえば、「滞仏日記」はその日のことを書いているけれど、「息子のための料理教室」はぼくが息子にある日言ったことを読み物化しているもので、毎日キッチンに二人で並んで料理をしている中から生まれたお話し事というわけじゃない。
二人には長い歴史があるので、ぼくはそれを料理の中にとりこんで、思い出しながら、ああ、あの時こんなこと話し合ったな、とか思い出しながら書いている、ある種の料理エッセイなのである。
実話だけど、昨日今日の話しじゃないということ。
そういう意味じゃ、この「滞仏日記」自体もぼくにとっては私小説である。



永井荷風がフランスで暮らして書いたという「フランス物語」、1907年頃に半年とか一年だったか、暮らしたフランスについて書かれた書物だった。
森有正が記した「エッセー集成」は1961年から68年までの長期に渡ってパリで執筆されたかなり読み応えのあるエッセイというより哲学書だけど、ぼくはこのデザインストーリーズで日記やレシピやニュースを発信しながら、全体で、一つの私小説を織りなしているような気もちになることがある。
毎日、文字数をチェックしているわけじゃないけど、日記が「滞仏」と「退屈」の二本、料理の読み物、他にもいろいろとあるので、6千とか7千字は毎日書いてる。
これを休みなく書いてるので、一冊の本にしたら、一年で何冊の本が生まれている計算になるのだろう、と考えて、眩暈、…。
時々「無料で読ませてもらって申し訳ないです」という読者の方がいらっしゃるので、微笑みを誘われる。
でも、印刷されていないだけで、ここには辻仁成という作家のプラットホームがあるんだよね。コロナの時代、日記は、今を伝える一番の方法になった。



フランソワ・モーリャックというノーベル賞作家の息子が批評家で、クロード・モーリャックというのだけど、彼は生涯、一冊の日記に集中した。「Le temps immobile / Claude Mauriac」(動かざる時)、それがとっても面白いのだ。フランソワの仕事よりも、ぼくは彼の仕事の方が圧倒的に興味がある。
でも、ぼくが書いている日記は、かなりお笑いの様子もあって、最初は笑わせたいとか思ってなかったのだけど、やはりコロナの後かな、「かっちーーーん」って書いた方が、苦しい時代を生きる人に、分かりやすかった。自分も「かっちーーん」する度にストレス解消してる。えへへ。
死ぬまで仮にこのペースで書き続けたら、この「滞仏日記」を読んだ方々の中に何が残るのだろう、と思った。

滞仏日記「果たして、息子君はこの日記を読んでいるのかという心配に」



ぼくは結構、まじめに、日仏の文化や政治の違い、人の生き方の違いや、国民性の違い、信仰の違い、風土とフードの違い、正義の違い、悪の違い、なんかを、まさに、今を今、読んで貰い、まるで欧州で生きているような感覚を持ってもらえたらなぁ、と思ってパソコンに向かっている。
コロナのせいで新しい価値観の中で生きないとならない時代になったけど、価値観というものはそもそも国によって、地域によってこんなに違うんだ、ということも知ってもらいたいし、伝えたいのだ。
ぼくは、ここで暮らしてるからね、日本でも40年生きたし、フランスでも20年生きたから、なるほどねって、思うことが山積みなんだよ。
きっと、息子はそういうパパの仕事や使命みたいなことをなんとなくわかってくれてるんだじゃないかな、とぼくは思ってる。

それでも、実は、この日記では書けないことの方が多い。こんなに毎日、紙面を割いて書いているけど、絶対に書けないこともある。それはいずれ、小説の中で活字にすることになるだろう。
ありゃ、今日も3000字を超えてしまった。ここで筆を置こうかな。あのね、いつも、日記を読んでくれてありがとう。生きましょう、こんな時代だけど共に。良い一日を。パリの空の下から。

自分流×帝京大学