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リサイクル日記「戦わないという生き方」 Posted on 2022/07/27 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくは結構、戦って生きてきた。
向上心とか、闘争心というけれど、負けず嫌いだから、ずっと高い目標を持ってがむしゃらに生きてきたように思う。
でも、最近、この闘う自分というものをやめてみた。
ちょっと立ち止まって考えてみたのだ。自分の一生について…。
ほしいものを手に入れたいと思わない生き方もあるよね、と気づいたのである。
何が何でもそこへ向かう必要がないと自分に言い聞かせることで、諦めるのじゃなく、納得することが出来る。

リサイクル日記「戦わないという生き方」



無駄な野心もあって、そこは何が何でもやらなきゃならないことじゃない、と自分に言い聞かせ、高い目標を見ないようにする生き方である。
こう書くと、負けてるみたいに思うかもしれないが、何でもかんでも手に入れようとせず、必要なところだけ最小限で求める生き方ということもできる。
そうすると、無理がなくなる。
これも、やる必要はない、それも今は無理して手を伸ばすことじゃない、という生き方だ。
楽になった。

極力、戦わないで生きていくという生き方があることに最近気がつけたことは人生の収穫であった。
息せき切って生きる必要などあるかと自分に言い聞かせるのだ。
そのためにはあまり周囲を見回さないのがいい。
他人と比較すると人間というのは不安になる。あの人は頑張っているのに、自分はどうなんだ、と比較しては落ち込んだ経験があるけれど、それは意味がない。
そのためには、闘争心を駆り立てるような話題とか情報から遠ざかるのがいいだろう。
あえて近づかないという選択である。



何か、そういう情報が目に留まるようなことがあったら、人は人、と自分に告げる。
知らなければ、今のままでいいからだ。
人間、みんながこうだから、自分もやらなきゃ、という焦りが生じるものだが、人間の一生というのは杓子定規に決めることが本来できない。
すべてのことを一つの基準や標準にあてはめるから苦しくなるので、何か心が急く場面に出くわしたら、生き急ぐな、と自分に言い聞かせるようにしている。
生き急いで大勢の仲間が死んだ。

ぼくは、遠ざかる人生、を今生きている。
東京から離れて、もうすぐ20年になるけれど、今度は、パリからも離れようとしている。
息せき切って、生き急いで、いったい何になるのか、と自分に問いかけている。
いくつかの野心をぼくは捨てた。
まだ、完全に捨てきれてはいないのは認めよう、しかし、次第に減っている。
手の届く範囲のことを見つめ、慈しみ、大切に生きるようにしている。
欲張らない、焦らない、比較しない、人生を大事にしはじめている。
心を痛めて生きても一生だが、心穏やかに生きても一生である。



心が苦しくなるのはたいだいが他人との関係の中でおこる人間摩擦による。
もう、そのために苦心して生きる必要などあるだろうか?
煩わしいものに触れず、自然を見つめて生きることが今は一番大事だと思うようになった。
これはぜんぜん、負け惜しみではない。
その中で、手の届く範囲の中で届くことを丁寧にやっていく。
これこそ、まさに強さだと思う。

リサイクル日記「戦わないという生き方」



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