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滞仏日記「お迎えに行けない、と二コラのお母さんから連絡があった。さぁ、どうする」 Posted on 2021/08/01 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、二コラ君を預かって二日目の朝、二コラのお母さんから電話がかかってきて、明日、誰も二コラを迎えに行けない、と言い出した。
「え、マジですか? 明日もうちで預かる? そうかぁ。明日、たいした用事じゃないんだけど、その、ええと、仲間と飲む約束があって・・・、ま、断ればいいんだけど・・・」
そんなやり取りをしていたら、通りかかった息子が、自分の顔を指さした。
「いいの?」
「いいよ。明日、何もないから、ご飯食べさせればいいんでしょ?」
「うん。ご飯は作っていくし」
「おけ。問題ないよ」
ということで、二コラはもう少し、辻家で、とりあえずお泊りとなった。
なんとなくだけど、二コラのお母さん、・・・母親の看病だけが理由じゃないような気がする。
まだ若いし、なんとなく、声の感じにバネまぁ、想像だけどね・・・。
しかし、人間、休める時に休んだ方がいいので、・・・そこは追求しなかった。
ぼくは明日、パリの古くからのおやじ仲間と「飯しよう」と約束していて、キャンセルはぜんぜん簡単なのだけど、でもぼくもたまには仲間と会いたかった。
息子が、家にいてくれるなら、出かけても大丈夫だ、有難い。
それにしても、息子君、お兄ちゃんになったものである。



昼ごはんの準備をしていたら、二コラがキッチンにやってきて、「フランスが日本に勝ったんだ。柔道混合団体で!」と大騒ぎをした。
二コラは小学校のスポーツでずっと柔道を選択していた。前にも書いたが、フランスのスポーツの選択の一つに柔道があり、これがかなりの人気で、女子も男子も柔道を選らぶ子が多い。
フランスの子供たちは相当JUDOの素地がある。
「そうか、よかったな」
「ごめんね、ムッシュは日本人なのに」
「おじさんはね、3年間、高校で柔道やってたんだよ。函館西高柔道部だった」
きょとん顔の二コラ? 何、自慢しているの? みたいな・・・。えへへ。
「柔道着着て、はだしで近くの神社まで走ってね、松の木に帯を結んで稽古相手にしていたんだよ。青春だった。わかる? こんな感じ」
やってみせたら、驚いた顔をした。
「え? 本当? ぜんぜん、柔道選手だったとは思えないけど、強かったの?」
「え? その質問が来るとは思わなったけど、大会で勝ったことも一度か二度はあるよ。だいたいは一本負けしてたけど・・・」
「そうなんだ。じゃあ、がっかりだね」
「そうだね。がっかりだ」
ぼくが泣きまねをしたら、
「2024年のパリ大会で日本が勝てばいいんだよ。悔しさを跳ね返すチャンスが3年後にあるよ。ぼく、応援する」
と言いだした。
「ああ、本当だ。パリ大会で晴らせばいいんだね。次はフランスが悔しい思いをするぞ」
「うん。その調子」
いい子だ、と思った。頭をさすっておいた。しかし、明日、誰もお迎えに来ないことをどうやって説明しよう、と思った。

滞仏日記「お迎えに行けない、と二コラのお母さんから連絡があった。さぁ、どうする」



買い物に出かけたら新鮮なトウモロコシが売っていたので、季節だし、コーンご飯を食べさせてあげようと思って、買った。
土鍋でトウモロコシとご飯を一緒に炊いた。いい香り。
バターを少し入れるのがおいしさのコツで、これにちょっと醤油をかけて食べると、めっちゃ美味いのだ。
コーンご飯だけだと少ないかな、と思って、冷やし肉うどんも添えた。
二コラと息子はうどんが好きなのだ。最近、日本のさぬきうどんの冷凍ものが出回るようになったので、コシのある、美味しい冷やしうどんを作ることが出来る。
完成して、テーブルに並べたら、いつもよりちょっと賑やかな食卓になった。コーンご飯は残るので、翌日、これにソーセージと人参を入れて、函館名物シスコライスにする!!!
※知る人ぞ知る、函館の名物料理なのである。

滞仏日記「お迎えに行けない、と二コラのお母さんから連絡があった。さぁ、どうする」



「ところで二コラ、明日、お母さんがお迎えに来れないそうなんだ」
「へー」
うどんをすすっている。
「もう少し、ここにいる?」
「うん」
と言った後、顔が曇った。
「でも、幽霊が・・・」
昨夜出た紫の幽霊のことが気になるようだった。
「日本の魔除けのお札があるから、貼っとくよ。それから、おじさんが隣の部屋で見張っておく」
隣の部屋が仕事場だから、ドアを開けておけば、安心するだろう、と思った。
「うん。わかった」
「お兄ちゃんもいるし」
すると息子が、ぼくは朝まで起きてるから大丈夫だよ、と言った。
「うん!」
二コラが大きな声で言った。



夜、ぼくは二コラに面白い日本語を教えた。「はーい」なのだけど、「は」を鼻にかける。「は」というよりも「ふわ」に近く、しかも、鼻づまりのような声で発音し、それを伸ばす。「ふわーーーーーーーーーーーーい」となる。
文字で説明するのは難しいけど、かなりおバカな感じになるのだ。
それをやって見せたら、おお受けで、面白がって真似をし始めた。子供というのは、ちょっと面白いと飛びついてくる。特にこういうくだらないことが大好き。
「はーい」は仏語の「ういーーーー」だよ、と教えた。
「歯を磨いて」
「ふわーーーーい」
「早く寝ようね」
「ふわーーーーい」
「おじさん、隣の部屋で仕事しているから、いつでも呼んで、飛んでくるぞ」
「ふわーーーーーーーい」
ということで、二日目の夜も無事に、終わりそうだ。
紫の幽霊が出ないよう、ぼくは今夜、見張ることになる。

滞仏日記「お迎えに行けない、と二コラのお母さんから連絡があった。さぁ、どうする」



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