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退屈日記「食事の時間は親子を繋ぐ時間である」 Posted on 2021/08/03 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、子供というのは成長をし、大人になると親をうざがるようになる。
それは逆を言えば、順調に成長している証である。
でも、進学のこととか、友人や恋人たちとの付き合い方とか、今どういう精神状態で過ごしているのかを知る時間は必要で、それは食事の時だ、と決めている。
だから、大事なことを美味しいご飯の合間に尋ねるようにしている。
それが習慣化しているので、相手も食事の時は気を付けている。ふふふ。
なんか言われるな、と思いながら食べているのが分かる。
それに、向こうも何か言いたい時は食事のタイミングを狙ってくる。
今日はイワシのフリット付き、トマトソースパスタにした。かなり、美味かった。で、何かもじもじしているので、来るな、と思った。
「あの」
来た。

退屈日記「食事の時間は親子を繋ぐ時間である」



「なに?」というようなことを優しい声で言わないとならない。萎縮させてはいけない。
お母さんなら、「なーに?」というだろうが、父ちゃんは、「なんや、言うてみなさい」と古風に告げる。
「あの、ルーシーの家族と旅行に行きたいんだけど、前に話したよね?」
「あ、はいはい、聞きました」
「で、11日から25日までになった。それはまだ言ってなかった」
「あれ、25日は君、二回目のワクチン接種だよ」
「うん。だから、行きはみんなと車で行き、帰りは電車でたとえば23日とかに帰る。それでいいかな。電車代を出してもらいたい」
ちょっと考えた。これは前にも聞いたことだし、反対をするタイミングではない。ルーシーのお母さんとその新しい恋人さんも来る。
「ダメとはいいません。勉強はいつするのか? 大学受験に向かって頑張らないとならない時期だから、その辺の考えを聞かせて」
「だから、やるよ。勉強は、分かってるよ。自分の人生だから」
「音楽は?」
「やるよ。バランスよくやる。自分の人生だから」
「恋愛もだな?」
「当たり前じゃん。ぼくの人生だから」
「じゃあ、パパに何も言う権利はないね」
「でも、親だから。言わないと」
どっちやねん・・・。なんか言われたいのか、いちいち面倒くさい奴である。
「そうか、分かった。じゃあ、ルーシーのお母さんの電話番号を教えてくれ。一度、直接パパが話す。名前はなんていうの?」
「サラ」
サラー、スマイルー。懐かしいメロディが頭を過った。

退屈日記「食事の時間は親子を繋ぐ時間である」



ということで、息子からサラの電話番号をもらった。
息子がコロナの時期に一週間、旅行をする。ワクチンはまだ一回しか接種していないので、そういうもろもろを電話で伝える必要がある。
お世話になります、とご挨拶をし、言うべきことを一通りいい、どういう旅行になるのか、聞いておく必要もあるだろう。
「わかった。明日にでも、電話してみる」
「失礼のないようにね」
「あはは」
かっちーーーーーーーーん。
「ホテルなの? 別荘なの?」
「キャンプなんだよ」
「キャンプ!!!!!」
「テントでか?」
「いや、バンガローを借りてだよ。キャンプ場があるんだ。田舎の海辺に」
という今日の会話であった。
気が付くと、皿は二人とも空っぽになっていた。なんであろうと、美味しいご飯の時にいろいろと話しをする。それは親子にとって大事なことなのである。
やれやれ。

つづく。



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