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滞仏日記「今日、息子はついに高校三年生のスタートをきった」 Posted on 2021/09/04 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日、息子は高校三年生の初日を迎えた。新学期が始まり、彼は新しいクラスメイトたちと一緒に高校三年生最初の授業を受けてきた。
夕飯の時、聞いてみた。
「どうだった?」
普通だったら、よかったよ、と短い一言で終わるところだけど、今日は饒舌だった。
「うん。なんだろう、うまく言えないけど、ああ、これが高校三年生って感じ」
「友だちはどう? 仲良くなれそう?」
「いや、もう、みんなよく知ってるから。でも、友だちだけど、親友とかは、いない。なんて言うのかな、友だちの質が違うんだよね。なんか、友だちは友だちだけど、学校の仲間という感じで、学校終わったら、みんな、自分の世界に戻ってく、そういう関係」
「ああ、分かるよ。大学がそんな感じだったな」
「うん、やっぱり、集まって、仲良くしているのは今でも、今までもずっと、小学生の時の連中なんだ。クラスにトマがいる。トマはずっと子供の頃から一緒だから、他の子たちとは違う。マドレーヌも、小さい頃から知ってる。だから、新しい友だちとはちょっと比べられないものがある」
「そういうのを幼馴染みって、日本語では言うんだよ」
「うん、わかるよ。みんな、クールな仲間たちが集まって、大学受験に向かう感じ」
「楽しくないわけじゃないんだろ?」
「まあね」
いや、そうじゃない。学校がつまらなかったわけじゃなさそうだ、この饒舌ぶりからすると、その反対。終始笑顔だし・・・。
本当は学校が嬉しいのである。
この子は理屈っぽいので、本心を読み取る必要がある。
夏休みの二か月間、彼はほとんどずっと家にいて、部屋から出ないで過ごしていた。
コロナ禍だし、親しい子たちは、みんな田舎に家族と引っ込んでいた。
だから、再会できて、楽しいのだろう。
いつもの、暗い感じじゃなくて、何か、学校でエネルギーを貰ってきた、そんな感じだ。
素直に、楽しかった、と言えないところが、思春期。



だから、学校のことをたくさん、批判も含めて、喋っていた。
でも、自分からどんどん喋って来る。
学校で同じ年の仲間たちと会えた嬉しさが伝わってくる。
ぼくは食事をしながら、彼の話しを聞いた。昨日の日記にもちょっと書いたけど、実はぼくは緊張している。ついに、我が子が、高校三年生になったからである。
彼は受験生で、大学受験が待ち受けている。ぼくの責任はいっそう大きくなる。
ここまで怪我もなく、問題も起こさず、もちろん、離婚があって、彼は苦しんだ時期もあっただろうけど、そこを乗り越えて、こうやって、最後の高校生活へと突入をした。
白状しよう。もう、バレているとは思うけど、ぼくは息子が可愛い。
最初は、この子を託された時、重いなぁ、と思ったこともあった。自信がなかったし、多感な時期の子供だったし、異国で、言葉もあまり通じなくて、それでもPTAとか面接とかに顔を出し、辞書をひいたり、ママ友の助けを受けながら、小学校、中学校、高校と育ててきて、今日から、やっと最後の高校生活なのである。



そりゃあ、可愛いなぁ、と思う・・・。
成績がすごくいいわけじゃないし、優等生でもないし、でも、不良でもない。
普通の子なのだけど、やっぱり目に入れても痛くない子なのだ。
あんなに暴言をはかれて、歯向かわれ、そのせいでこっちは寝込んだのに、やっぱり、ぼくは親なのだと思う。
この子を立派な社会人にすることが、今は、どんな仕事をよりも大事だな、と思ってる。
来年1月、あと4か月ほどで、彼はこの国では成人とみなされる。(フランスは18歳で成人なのだ)。これは大変なことだし、背筋が伸びるというものだ。
恋とか音楽ともきちんと距離をとり、今は、大学、つまり、自分の進路に向けて、真剣に、悩み苦しみながらも、向かっていこうと決意を新たにしているところのようだ。
「ぼくは苦し過ぎるんだよ!」
彼は、あの日、そう絶叫して、ぼくの手を振り払った。



苦し過ぎる、理由はいくつもあった。親の離婚もあるし、ぼくのようなおやじに育てられてきたこともある。
進路が見つからない問題もあるし、学校や先輩などアドバイスがバラバラで、何よりも将来自分がどうやってこの国で生きていくのかわからない、という悩みもあれば、友人たちとの別れも思春期だからこそ多かったみたいで、その矛先が、同居人である父親に向かうのも、当然のことだった。
なのに、彼が抱えている苦悩がわからず、ちゃらんぽらんに生きていると思ったぼくが、怒鳴りつけたがために、彼の中の火山が噴火したのである。
ここでも何度も書いたから、結論だけ言うと、しかし、それでよかった、と思う。
彼は、その後、抜けた気がする。
昨日の日記で書いた穴の開いた靴下の件でもそうだけど、ぐっとため込んで、言えない子なのである。
もっとわかってやらないとならないのに、どこを見てるんだ、父ちゃん、と思ってしまう。親の限界もあるが、あと10か月、いや、あとわずかに4か月のことだ。
彼はそこで、フランスでは大人になる。もう、子供じゃない。
悪いことをすれば、犯罪者になる。そういうことだ。



少し前の日記で、家の前の小さな食料品店の酔っ払いのおやじとその息子のこと、を書いた。
酒乱の父親が息子を殴っていて、警察が来たのだ。昨日、この町の世話役みたいなモロッコ人のユセフとばったりあったので、その時の写真を見せたら、
「ツジー。実はこの酒乱の父親だけを責められない。この息子は客のカードをスキャンして、問題をおこしている。そのことであの酒乱の父親は厳しくあたる。悪い仲間たちと付き合ってるのをあのおやじは実は止めたいのだけど、なかなか難しい。不幸がぐるぐるとループしている。同じアラブ語を話す仲だから、ぼくなりに解決策を探して、彼らと何度も話し合ってるんだけど・・・」
これは衝撃的な話しだった。
「あの子、17歳だから、今は捕まらない。でも、18歳になったら、刑務所に入ることになる。今、更生させなきゃならない。だから、あのおやじは殴ったんだろう」
「そんな・・・」
17歳。うちの子と同じ年齢だった。涙が出かけた。



新しいクラスについて、語り続ける息子を見ながら、ぼくは食料品店の父子のことを考えていた。
同じ17歳、来年、成人になる二人なのだ、と思った。
うちの子を支えているのは、小学校の時のクラスメイトたちだ。ウイリアム、アレクサンドル、トマ、エミール、アントワンヌ、etc・・・。
「パパ?」
「え?」
「どうしたの? 聞いてる? 遠くに行ってるけど」
「ああ、聞いてるよ。あの、ほら、アレクサンドルとか、ウイリアムのこと考えていた。あの幼馴染みのおかげで、君も立派な高校三年生だ」
息子がふっと笑った。
「パパ、覚えてない? ぼくが10歳の時に、パパがぼくに言ったんだ。この国で生きていく上で一番大事なことは、お金や成功やキャリアじゃないって」
「え? なんて言ったの?」
「友だちを一番大切にしなさいって。友だちは必ずぼくを救うって。友だちが財産だって。その通りだと思うよ」

滞仏日記「今日、息子はついに高校三年生のスタートをきった」



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