JINSEI STORIES

退屈日記「生まれて初めて、火鍋、を経験した夜に」 Posted on 2021/10/10 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、SMSに母さんの主治医の先生から、写真が届いた。
また、母さんは明日まで博多のデパートで展示会をやっているのだという。
お元気でしたよ、と添えられていて、85歳、やるなぁ、と思った。
弟はその手伝いで忙しいようだ。
2人暮らしの85歳の母親と60歳の息子、こういう家族もこの地球上には多いんだろうな、と思った。でも、写真を見る限り元気そうだ。
たぶん、同じ年代の親を持つ、ロベルト(息子の親友、アレクサンドル君のお父さん)と今日、ご飯をした。
ジャン・カルロさんは82歳の時にプロセッコの畑(シャトー)を買い、突然、プロセッコ作りをはじめた。彼もまだ元気なようだ。
いくつになっても、元気に目的をもって生きている年配の人たちを見ると励まされる。
やっぱり、人間は、死ぬまで夢を持ち続けた方がいいのだ、どんなささやかな夢であろうと。

退屈日記「生まれて初めて、火鍋、を経験した夜に」



ところで、火鍋ははじめての経験だった。
リサとロベルトは、ぼくの誕生日を祝って、最近、パリ1区にオープンした火鍋レストランに連れて行ってくれた。
まず、ごった返す店に入って、びっくり。
「ここはパリか」と驚くくらい入口周辺は中国人で溢れかえっていた。
お恥ずかしい話し、火鍋の存在は知っていたけど、はじめてなので食べ方もわからない。
野菜とか肉とか魚とか大量に届き、テーブルの横の小さな棚の中に並べられた。すごい!!!
それをロベルトが、次々、鍋の中に入れていくのだけど、鍋が、野菜スープ、トマトスープ、唐辛子スープ、と三つに分かれていて、どれも味がかなりしっかりしていて、日本の鍋とはもちろん違うけど、唐辛子のスープのやつはあまりに辛くて、口に入れた次の瞬間、むせかえってしまった。辛っ。
コロナ禍なのに、ごった返す人だし、みんなむせて咳をしているし、そういえば、衛生パスの提示を求められなかった。
たまたま、込んでいて、スルーされただけだろうけど、最近、この衛生パスもだんだん、いいかげんになってきた。
冬になると、また、感染拡大をするのかなぁ・・・。

退屈日記「生まれて初めて、火鍋、を経験した夜に」

退屈日記「生まれて初めて、火鍋、を経験した夜に」



火鍋店と入れてググると、パリ市内だけで50店舗ほどが営業していた。
中国の勢いを感じる。
この店に来る前に、タクシーでオペラ地区(かつての日本人街)を通過したが、車が前に進めないくらいの人で溢れかえっていた。
中には、50メートルくらいの行列が出来ている店もあった。そのほとんどが韓国レストランだった。
日系のラーメン店に並んでいた客がそっちへちょっと移動した感じ・・・。韓国食ブームのようである。
ぼくらの席の隣で、インド系の若者たちが誕生日会をやっていた。個室も誕生日会だった。たまたまだけど、ぼくも、ロベルトとリサに祝ってもらった。
みんな、10月生まれなのだ・・・。
仲間なので、ぼくもだよ、と隣のテーブルのインド人の人たちに話しかけたら、その子は20歳の誕生日であった。あちゃ、(笑)。
ともかく、世界はコロナ禍であろうと、こうやって躍動的に動いている、ということなのだ。

退屈日記「生まれて初めて、火鍋、を経験した夜に」



それにしても、今日、今までにないくらい、ロベルトが疲れていた。
ぼくが彼と出会ったのは、息子が小学校に入学した時で、10年ほど前になる。
その時、ロベルトは40歳だった。若々しくてエネルギッシュだったけれど、今、彼はミラノの銀行に勤務していて、毎週末パリに戻って来る、往復生活をおくっている。
木曜日の夜にパリに入り、月曜日の早朝にミラノに戻る。それは疲れる。
でも、生きていくためなので、仕方がない。
お腹も出たし、目の下のクマも気になった。
少し、長い休みが取れる日に、ぼくの田舎に来ないか、と誘った。一緒に、釣りをしよう、と提案をした。
「のんびりする時間が必要だよ。リサと2人でぼくの田舎においでよ。海に座って、じっと夕陽を見ていたら、元気になるよ。休まないとダメだよ」
ロベルトの目が仄かに赤くなった。結構、しんどいのだろうと思った。
みんな、無理をして生きている。
無理も休み休みしなきゃ・・・。

退屈日記「生まれて初めて、火鍋、を経験した夜に」



「そういえば、辻さん、ぼくの父のプロセッコ、第二便が日本に到着したようです。ありがとう。紹介していただいた輸入代理店の人たちもいい人たちで・・・」
ロベルトのお父さんが生産しているプロセッコのことは前に日記で書いたけど、初回分はあっという間に売り切れ、第二便500本が日本に到着したのだそうだ。
船出する直前のコンテナの写真を見せられたけど、なんか、自分のことのようにうれしくなった。
82歳でプロセッコの生産をはじめたロベルトのお父さん、ジャン・カルロ・・・。
彼はなぜ、一念発起したのであろう。
80代の決意の理由を知りたい。
一度、会いに行かなきゃ、と思った。

退屈日記「生まれて初めて、火鍋、を経験した夜に」



リサに、ぼくの息子はどうしているか、と訊かれた。志望校は決まったか、と言うので、たぶん、と返事をしておいた。
「アレクサンドルは? 志望校は?」
「なんだか、まだなのよ」
となぜか、安心するような返事が戻ってきた。
「おかしなことを言うの」
「なに?」
「ぼくには夢がある。本当にやりたい仕事があるんだけど、それを言うと、パパとママが悲しむから言わないって・・・」
うちの子と同じようなことを言うな、と思った。
「それはなんだろうね?」
「わからない。ただ、全然お金にはならない仕事らしい」
ぼくらは笑った。
夢をとるか、お金をとるのか、・・・。
大手銀行で働くロベルトが、小さな声で言った。
「でも、夢がないと、人生はつまらない」
ぼくらは静かに、笑いあった。
「この呼び鈴を骨董品店で見つけたの。あなたの誕生日プレゼントよ。子供部屋から遊んでいる声が聞こえてきたら、これを鳴らす。これが勉強をしなさい、という合図って、どう? いちいち、怒らないですむから、便利でしょ? チーン!」
鳴らしてみたけど、いい音だった。
周辺のみんなが、ぼくを振り返った。
やあ、みんな、夢を持ち続けよう。

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