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退屈日記「10年ぶりに再会したギャルソンのケヴィン。恰幅のいいおやじに」 Posted on 2022/03/19 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、3年ぶりに我が家が元通りに戻った。
水漏れで壁や天井が長年剥がれ落ちて、玄関と子供部屋は幽霊屋敷みたいになっていたが、壁の湿度が戻り、僅か三日間の工事を経て、真っ白な元の状態(引っ越してきた当初の状態)に戻った。
正直、こんなに時間がかかるとは思っていなかったし、こんな短期間で済むことだったのか、いったいこの三年間は何だったのか、と苦笑してしまった。
工事業者さんが退出した後、(ペンキが乾くまで)すぐには家具の移動が出来ないので、何もない玄関ホールで三四郎とボール遊びをした。
学校から帰ってきた息子も、元通りになった自分の部屋をみて、へー、ホテルみたいだね、と笑った。
「長かったね。ぼくの高校時代を返してほしいな」
三日間、工事中はWi-Fiも使えず、日中の散歩も出来なかったので、太陽が出ているうちに、三四郎と散歩に出ることにした。
ぼくは朝から何も食べていなかったので、知り合いのカフェで何か食べることにした。

退屈日記「10年ぶりに再会したギャルソンのケヴィン。恰幅のいいおやじに」



行きつけのケヴィンの店に行くと、奥さんのマガリとそのお母さんが出迎えてくれた。
この辺では珍しい家族経営のカフェなのだ。
その分、とっても居心地がいい。
「ああ、サンシー、来たね」
満席なのに、全員で出迎えてくれた。

退屈日記「10年ぶりに再会したギャルソンのケヴィン。恰幅のいいおやじに」



「満席だね。すごい」
「半分はアメリカ人だよ。戻ってきた。コロナ規制が緩んだからかな。でも、きっとまた規制が始まると思うからぬか喜びはできないね」
ケヴィンは肩をすくめた。
ケヴィンとの出会いは20年前、ぼくがパリで最初に住んだアパルトマンの近くのカフェのギャルソンだった。
20年前のことだが、良く覚えている。
「いい天気ですね」
彼は英語でそう言ったのだ。
「うん。この辺に引っ越してきた日本人作家のツジーだよ」
ぼくは仏語が話せなかった。
「へー、パリの日本人の作家さんですか、これから毎朝、会えますね」
ご存じのように、その時ぼくにはパートナーがいて、よくそのカフェに二人で出かけていた。
ケヴィンはギャルソンになりたてで、機敏で、一番働く青年であった。
そのカフェは老舗のカフェだから、働くギャルソンも20人くらいいて、ローテンションがあり、常連はだいたい自分のお気に入りのギャルソンが担当する席に座る。
ぼくもケヴィンが担当するテラス席を目指した。
うまくいつもの席に座れると、今日は運がいい日、と喜んだものだった。
しかし、おおざっぱに言うと、10年くらい前から、ぼくはそこに一人で顔を出すようになり、その後、その街を出た。
ぼくと息子はマルシェの近くのアパルトマンに引っ越し、息子の学校の送り迎えをするようになったので、その途中のカフェが行きつけのカフェになってしまった。
とはいえ、狭いパリだから、何度かケヴィンのカフェに顔を出したが、ケヴィンがいなかったり、まぁ、毎日行くカフェじゃないし、ぼくもシングルファザーになってそれどころじゃなくなり、ついに、行かなくなってしまった。

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それから何年も経った。ある日、エッフェル塔の周辺を散歩していたら、こじんまりとしたアメリカンなカフェがあり、中を覗いたら、なんか懐かしい顔のギャルソンがいて、やあ、と言ったら、笑顔が戻ってきたので、なんとなく、引き寄せられるように席に着いた。
どこかで見た記憶があるけど、思い出せない。というのは、恰幅が良くなっているし、髪型も違えば髭もたくわえている。あのケヴィンだとは思わない。
「どっかで見たことあるんだけどね」
「あ、ぼくもそう思ってました」
「ここの前はどこで働いていた?」
「ええと、・・地区のカフェ」
「いや、そこは知らない。その前は?」
「あ、わかった。・・・でしょ?」
ぼくは一気にケヴィンとの日々を思い出して、思わず立ち上がってしまったのである。コロナ禍だったが、ぼくらは握手をした。
「すごいな。ケヴィンか」
「あ、ムッシュ、ツジー!? 小説家の」
「太ったね」
「ええ、結婚したから、今、妻と妻の母親と三人でここを切り盛りしています」
「なんだよ。うち、すぐ近くなんだよ」
「そうでしたっけ?」
「離婚して、シングルになり、息子と一度、彼の学校のそばに越したんだけど、3年前にこの辺に越してきた。でも、この一帯、カフェだらけだから、ここにたどり着くまでに3年かかっちゃった」
「でも、今日からまた、毎日会えますね」
「君がほかの店に引き抜かれなければ」
「それはないですよ。今、この店のオーナーだから」
「おおお!! おめでとう!!!」

退屈日記「10年ぶりに再会したギャルソンのケヴィン。恰幅のいいおやじに」



パリは狭いから、こういうことがかなり頻繁におこる。
ケヴィンの同僚のリオネルはふらっと入ったシャンゼリゼ「ユニセックス」の店長になっていた。リオネル? おお、ムッシュ、ご無沙汰ですー。
同じカフェで人気だったロマン君は、サンルイ島の「フラー・オン・リル」の経営をやっているし、当時はみんなギャルソンの下っ端だったのに、20年という歳月はすごいね。
ぼくは相変わらず、しがない作家でギター弾き・・・。
「歌ってるんですね」
「ケヴィン、悪いけど、ぼくはもともと歌手なんだよ」
大笑い。
何で、((´∀`))ケラケラ笑うのかな・・・。
ということで、今では三四郎もケヴィンの店の大常連に仲間入り。
三四郎がいるとわかると全員近づいてきて、おお、トロミニヨーン(めっちゃかわいい)と笑顔になる。ぼくの新しいパートナーだ。
カフェはぼくにとって憩いの場というだけじゃなく、家みたいな存在・・・。
パリで欠かせないもの、第一位は間違いなくカフェなのであーる。

つづく。

今日も読んでくれて、メルシー・ボク!!!
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