JINSEI STORIES

滞仏日記「今日の日記は特に面白くありませんよ。はい、人生と一緒です」 Posted on 2022/05/28 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、腹筋のし過ぎで腰が痛くなった。
調子にのって毎晩腹筋500回とかやっていたら、(確かにちょっとお腹が割れてきたけれど)同時に、すこーし腹痛になった。
何事もほどほどが大事である。
田舎からパリまで、長時間の運転のせいもあるだろう。
家に戻ったら戻ったで家事が待ち受けていた。
米が切れていたのでアジア食材店まで歩き、重たい米を抱えて運んだのがいけなかったのかしら。朝からくたくたである。
日曜日に迫った文章教室に向けて、準備もあり、気が付いたらベッドの上がその資料でいっぱいに。
腰が痛いので、ごろごろ寝転びながら今日は一日中、文章教室の予行練習に追われた。
おしゃべりなぼくだけど、ライブ講義前は一応毎回、受講生に感動(笑)を届けたくて、ああでもないこうでもない、とリハーサルを繰り返す。
音楽のライブとなんら変わらない。
どうやって伝えれば、受講生に分かりやすい授業になるのか、試行錯誤の繰り返し。
人生と一緒である。

滞仏日記「今日の日記は特に面白くありませんよ。はい、人生と一緒です」



そういえば、ぼくが20代の前半、まだバンドマンで食べていけるようになる前のこと。
ぼくは渋谷の緑風荘という6畳一間のアパルトマンで暮らしていた。
デビューする直前のことで、アルバイトをしながら食いつないでいた。
その頃、辛くなると、毎晩、予行練習をしていた。なんの? 
当時、久米宏さんがニュース番組をやっていて有名だった。
ぼくは六畳間のほとんどを占拠するベッドの上に歌詞カードとか台本とか小説の断片などを広げまくっていた。
疲れると灯りを消し、ベッドに腰かけた。久米宏さんがぼくの前の椅子に座って、ニコニコと微笑んでいた。
「ところで辻さん、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
ぼくは照れたりした。なんかの賞をとる予行練習・・・。
「ミュージシャンでありながら、小説家になられた今のご心境をお聞かせください」
「いやあ、そんな心境だなんてありません。コツコツとやって来ただけです」
久米宏さんは満面の笑顔だから、ぼくは恥ずかしくなり、頭を掻いたりするのだった。
「でも、あれですよね。渋谷のお風呂もないアパートで、ずっと小説書いて、曲とか作ったりされてたんですって?」
「あ、はい。やってました。他にやることありませんでしたから」
「でも、音楽と文学ってぜんぜん違うものじゃないですか?」
このような架空のインタビューが夜中まで続く。かなり、危ない世界だ。
なんのために?

滞仏日記「今日の日記は特に面白くありませんよ。はい、人生と一緒です」



それは、落ちそうな自分を必死で支えようとするためだった。リアルに負けそうな自分を奮起させるためにだ。
久米宏さんとはお会いしたことがないが、ぼくは辛くなるといつも久米宏さんに支えられていた。落選とかすると、久米さんは灯りの消えたぼくの六畳間に出現し、足とか組んで、くすくすと微笑みながら、
「でも、悪くないと思いますよ、あの小説。どういう時に着想されたんですか?」
と言ってくれるのだった。
「あー、ええと、そうですね、いろんな瞬間に」
ぼくもやっと口元が緩んで、まんざらではない顔つきになるのだった。
で、よく覚えてないが、一時間くらい、自分の音楽とか小説世界について架空の久米さんに力説していたのである。
誰もいない部屋、真っ暗な部屋の中心で、ぼくは自分の創作方法について語り続ける。最初はこんな感じだけど、30分くらいすると、
「だから、それが自分の表現方法だからですよ。メソッドなんかない。全部独学で作り上げてきたことですから。だからずっとまだ世界は俺のことを発見してないって思っていました。風呂のないアパートで。早く発見しろよ、と思いながら、世の中に文句言いながら、小説を書いていました。がむしゃらに曲を作っていたんです」
と架空の久米さん目掛けて、自分をアピールしているのだった。なんで?
「さァ、なんでかなァ・・・。あ、久米さん」
一時間くらい力説していると、不意に久米さんが薄れていく。
もう、久米さんは微笑んでない。冷たい顔をしている。
そして、どんどん、消えていくのだ。
で、ぼくが我に戻るのである。
「・・・・ありがとう。久米さん」
ぼくは自分の膝をつかんで握りしめ、
「よし、今日はここまで。まだ俺のことを世界は発見してないんだな。最高だ」
などと呟くのである。
「驚くぞ、いつか、おめーら」

滞仏日記「今日の日記は特に面白くありませんよ。はい、人生と一緒です」



たぶん、やる気というのは自分で生み出すものなのであろう。
そのことを20代前半のぼくは自覚していた。驚くことに、あれから40年くらいの歳月が流れて、結局、ぼくは久米宏さんとは一度も会っていない。
しかし、ぼくは今でも自分に言い聞かせているフレーズがある。
「まだ世界は俺のことを発見していないですよ。久米さん」
呟く回数は減ったけれど、こんなんじゃだめだ、と自分に言い聞かせる時に、どこからともなく久米宏さんが出てきて、足組んで座ってニコニコと微笑んでいる・・・。
ぼくは自分が何をやりたいのか分かってないまま、年を重ねてしまったが、でも、ずっと「道半ば」という気持ちを持ち続けている。永遠のアマチュアみたいな・・・。
まだ、一冊も代表小説がないし、まだ一枚も納得出来たアルバムがないし、まだ一本も代表的映画作品がないのだ。
「辻さんは欲張りですね。そんなのじゃ、何も手に入れられないまま、人生が終わったりしませんか? そういう恐怖とかないですか」
「いや、大丈夫です。ぼくはまだここからなんです。だから、世界はまだ俺を発見してくれないから、俺もここでやめるわけにはいかないんですよ」
いつの間にか、ぼくは原稿用紙が散乱するベッドで寝てしまっていた。終わらない長い夢を見続けている。
「パパ、ちょっと出かけてくる。夕ご飯いらない」
「あ、うん、分かった。いってらっしゃい」
でも、目が覚めると、そこからもう一度、始めようかな、と思ってしまうのだから、不思議なのである、人生というものは・・・。

つづく。

ということで今日も読んでくださり、ありがとう。
お知らせです。
まずは、あの俳優の成田凌くんとロンドンで過ごしたNHKBSプレミアム「チョイ住みinロンドン」の再放送があるみたい。
NHKBSプレミアム
「チョイ住みinロンドン」
5/28(土)22:40~24:09放送
お時間があれば御覧ください。
そして、辻󠄀仁成 アコースティック セレナーデ フロム パリ
Jinsei Tsuji Acoustic Serenade From Paris
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【ビルボードライブ大阪】(1日2回公演)
8/8(月)1stステージ 開場17:00 開演18:00 / 2ndステージ 開場20:00 開演21:00
[お問い合わせ] ビルボードライブ大阪: 06-6342-7722
〒530-0001大阪市北区梅田2丁目2番22号 ハービスPLAZA ENT B2
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【ビルボードライブ横浜】(1日2回公演)
8/12(金)1stステージ 開場17:00 開演18:00 / 2ndステージ 開場20:00 開演21:00
[お問い合わせ] ビルボードライブ横浜: 0570-05-6565
〒231-0003 神奈川県横浜市中区北仲通5 丁目57 番地2 KITANAKA BRICK&WHITE 1F
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発売日
Club BBL会員、法人会員先行=6/6(月)12:00正午より
一般予約受付開始=6/13(月)12:00正午より

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