JINSEI STORIES

滞仏日記「誕生日の朝、元気が出ない自分に、落ち込んだ父ちゃん。熱血はどうした」 Posted on 2022/10/05 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、田舎の空気が身体に優しい。三四郎と朝、いつもの海に行った。
けれども、正直、こんなに気管支炎が長引くとは思わなかった。
これは絶対、加齢が影響している。昔だったら、2週間もあれば完治していたのに、もう4週間も咳が続いている。
もっとも、夜はぐっすり眠れるようになったので、よくなりつつあるのは間違いないのだけれど、悔しいじゃないの、自分が年齢に負けていくのが、辛い。
朝起きて、鏡に映る自分がびっくりするくらい老けて見えた。
まだ、63歳なのに、親戚のお爺ちゃんみたいになっている。
こんなので「オランピア劇場」に立てるのか、と苛立った。
どんな時も向こう見ずに乗り切ってきたし、笑顔を絶やさずやってきたつもりだ。
でも、この気管支のあたりから登ってくる咳だけは、どんなに頑張っても、根性だけではおさえきれない。
肺がゼーゼー鳴る。咳が4週間続いているので、横隔膜や(特に)背筋やなぜか足の付け根までも痛む。
たぶん、気管支炎は終わったのだけど、長く咳を繰り返してきたので気管が傷だらけで膿んでいるのかもしれない。
怠いし、三四郎を抱えるのもきついのだ。
今日は、63歳の誕生日だというのに、今までにないくらい、気分が沈み込んでいる。こんな最悪の誕生日に・・・。

滞仏日記「誕生日の朝、元気が出ない自分に、落ち込んだ父ちゃん。熱血はどうした」



こういう時に、人間はどうやって、この閉塞的な人生を打開すべきか、である。
こんなことで負けてどうする、と自分に言い聞かせる。絶対、負けない、負けるものか、と歯を食いしばる。
音楽を続けるのであれば、若さを失っていることを認め、もっともっと体力強化、もっともっと体調管理が大事になる。
二時間半のステージを歌い切るためには、それだけの体力や免疫力を維持しないとならないのだ。
この夏、日本での撮影とライブで出し切り、ちょっと気を緩めたばかりにこのざまだ。
この気管支炎は、自分のミスだ、二度と同じミスをしないよう、もっと用心をするべきだろう、と自分に言い聞かせるのだった。
つまるところ、熱血しかない。今の自分には今の自分だからできる戦い方がある。
ぼくは蕎麦を茹でた。大根をすりおろし、ネギをみじん切りにした。
一人で生きる飯、である。

滞仏日記「誕生日の朝、元気が出ない自分に、落ち込んだ父ちゃん。熱血はどうした」



そうこうしていると、息子から、不意にSMSが入った。
「お誕生日、おめでとう」
あ、覚えていたんだ。
この十年、この子を無事に育て切ったので、ちょっと身体が安心して、一度、病気になっとけ、ってことになったのかもしれない。笑。毒素を全部出し切って、生まれ変わるために今日があるのだ、と思えば、いいじゃないか。
人間だもの、毎度、完璧にやれるわけもない。しかも、60歳を超えているのだから、いつまでも、無謀にやることも出来ない。そうやって、自分を説得しつつ、しかし、自分の可能性を信じ、とことん、自分をおだて盛り上げることも大事である。
感染症の時代、戦争の時代、核兵器をちらつかせる独裁国家からの恐喝の時代、円安の時代、いろいろなものがぼくらに襲いかかっている。未来を描きにくい時代であることは間違いない。それでも、人間は前進をしないとならない。生きるためには希望が必要だし、夢が大事だ。遠くの夢はどうなるかわからない。今は、目の前の着実な夢を掴みに行く時代だと思う。10年後よりも、来月をどう生きるか、が大事な時代なのかもしれない。
どんなに体調が悪くても、ぼくは生活をおろそかにはしない。これはロックダウンを経験してきた中で、見つけた今の時代の生き方なのだ。
毎日をきちんと生きる中で、いくばくかの夢があれば、つないでいくことが出来る。気管支炎もそのうち、消え去るだろう。よし、明るい明日を見つめて頑張ろう。
息子からの、おめでとう、はうれしかった。ご褒美のようなものか。単純だから、ちょっと元気になった。単純であることが大切な時代でもある。

滞仏日記「誕生日の朝、元気が出ない自分に、落ち込んだ父ちゃん。熱血はどうした」

※ 単純であること、人からバカみたいと笑われる父ちゃんですけど、能ある鷹は爪を隠す? 何を隠してるの? あはは。ちょっとは隠せよ? 倒れても熱血で起き上がるんだ、63歳のおやじよ。

滞仏日記「誕生日の朝、元気が出ない自分に、落ち込んだ父ちゃん。熱血はどうした」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございました。
浜辺を走り回る三四郎がぼくには救いでした。彼が元気でいてくれることは、ぼくを支えるエネルギーになります。三四郎が、かもめたちを追いかけまわす姿に、ぼくは微笑みを誘われています。どこまでも、どこまでも全力で走る三四郎の若さがぼくを励まします。復活へ向けて、父ちゃんは精進しています。

滞仏日記「誕生日の朝、元気が出ない自分に、落ち込んだ父ちゃん。熱血はどうした」