JINSEI STORIES

滞仏日記、2「ニコラくん、学校で虐待を受ける」 Posted on 2020/01/29 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、Liberté, Égalité, Fraternité 「自由、平等、友愛」を掲げるフランス。
フランス革命時のスローガンの一つであったこの言葉をもとに、フランスという国は成り立っている。

先日、ニコラが遊びに来た時、不意に、「学校がつまらない」と言い出した。その日はデモで学校が休みだったのだ。いつものごとくニコラのお母さんが辻私設保育園(笑)にこの子を預けていった。ところが、昼ごはんを食べた後、不意におかしなことをいいだした。「ぼくは白帯だから、校庭で遊ばしてもらえないの」…自分の訊き間違いもなるので、何度も訊きかえした。子供たちが色分けされているのだという。これ、ちょっと変だ、と思ったので、その夜、彼のご両親にそのまま伝えた。するとお父さんの顔つきが変わり、そんなの訊いたことがない、と怒り出した。そこから問題が発覚となった。以下は、ニコラのお父さんから聞いた後日談である。

12月5日から年金制度改正反対のストやデモが1ヶ月以上続いていたが、ニコラのクラスの新人担任Cは期間中連日ストをする(さすがに毎日する教師は少ない)上、授業の進め方にも問題があったようで、クラスの大半の子供たちがカリキュラムに追いついていない、と、親たちが騒ぎしていた。先週、担任と教育省の監視員、校長、親が集まり、緊急会議が持たれた。

そこで、親たちは衝撃的な事実を知る。担任Cは、クラスの子供たちに色分けされた柔道の帯のようなものを与えており、下から順にピンク、白、黄色、オレンジ、茶色、となっている。帯の色を上げる(昇段する)には、自ら小テストを先生にお願いし、その点数で帯の色が変わる柔道的な仕組みなのである。問題は、ピンクと白の帯の子供たちは学校内のホールで遊ぶ権利が与えられない。その権利を有する黄色以上の帯の子供たちが遊んでいる様子をただ眺めていることしかできない。遊びたければ自らテストを先生に申しでて、ある程度の点数をとり、昇段を目指す。独特の方法だけど、なんかちょっと怖い…

滞仏日記、2「ニコラくん、学校で虐待を受ける」



ニコラの帯の色は白だった。なんで黄色じゃないの?と母親が訊いたら、担任Cに(昇段)テストを頼んでないから、ということであった。ホールで遊べないんでしょ? それでもいいの? と今度はお父さんが訊いた。別にいい。テスト頼むの面倒臭いし。とニコラらしい反応である。子供たちのモチベーションを引き出すために先生が考えた「取引教育」である。ニコラは特にホールで遊べない事を気にしていないとご両親は言ったが、そういう問題じゃない気がする。勉強したくない子はホールで遊べないだなんて、おかしすぎる。

これは一種の格付けみたいな差別にあたらないか、とぼくは思った。子供に先生のやり方はわからない。どうしてダメなんだろう? という疑問を抱くことがあっても、担任が言うことは正しいという大前提がある。なので、変だな、と思っても、子供たち自ら声を上げることはなかった。ニコラがぼくに「時々、みんなと遊びたくなる」と言ったので、めっちゃもやもやした。自分の子ならとっくに学校に乗り込んでるところである。しかし、やはり、これは問題化した。他の子たちの親からも、おかしい、という声が出た。一人の生徒が自宅で、「ホールで遊べなくて寂しかった」と訴えたことで、この謎の帯制度がさらに学校を巻き込んで議論になったのだ。

帯のことを知らなかった親がほとんどであった。この担任C(若い女性の先生である)は生徒を柔道のように帯で分けて、出来ない子に、罰や減点、ハンディが与えられていた。学校に通う全ての子供がホールで遊ぶ権利を平等に持っているはずじゃないか、とニコラの両親は訴えた。色分けは、子供たちに見えないストレスを与える。親たちが学校に乗り込み、この件の会議が行われた。学校側の監視委員が「これはおかしい。改善しなければならない」と注意を促した。もちろん、その場に当事者である担任Cもいたので、この話はここで終結すると思われていた。

ところが、その翌日、ニコラが学校から帰り、「今日は雨だったけど、ホールに入れないから中庭で遊んで寒かった」と言ったのだとか…。この寒い1月の、小雨の降る中、低く色分けされた子供たちは、暖かいホールには入れてもらえず、雨に濡れながら、外で遊んだのである。こうなると、教育でもしつけでもない、立派な虐待になる。怒ったニコラの父親が、即座に校長に電話をし、「この帯制度が明日、廃止されなければ、児童虐待として警察に通報する」と訴えた。しかし、凄いのは、この先生、警察に訴えると言っても自分の教育方針を変えるつもりがないということだった。今日現在、この事件はこのようなところで一進一退を繰り返している。この続報をまたお伝えしたい。学校側がどういう判断をするのか、警察がどういうことをやるのか、その上で、教師はどうするのか? でも、こういう問題で一番辛いのは、それが辛いとまだ気づけない子供たちだったりする。

ちなみに、息子が今のニコラくらいの時に、差別主義者の教師(給食委員をやっていたが子供たちによって量が異なったし、有色人種の子に食事を出さないこともあった)を追い出すために、クラスメイトの半分くらいが参加してデモを繰り返し、最終的にその差別主義を学校から追い出すことに成功している。自由は自分たちで勝ち取る、そこにはフランスの歴史が流れている。

さて、この帯先生がどうなるのか、子供たちがどうするのか、親や学校は、…トランプ大統領じゃないけれど、もう少し、様子をみてみることにしよう。

自分流×帝京大学