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退屈日記「ロックダウンひと月経過、ぼくがぼくじゃなくなる」 Posted on 2020/04/14 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ロックダウンから一月が過ぎ、昨日、さらにひと月間の延長が宣告された。もう日付の感覚もないし、正直、今日が何曜日でも関係ない状態を生きている。辛うじて、連載や原稿の締め切り日があるので、なんかと、もってる状態。買い物袋を掴んだぼくに、息子が「パパ、今日、祭日だから、スーパーやってないよ」と言われ、「祭日なんか関係ないじゃん」と八つ当たりしてしまった。実は、精神科医の先生がテレビで、ロックダウンは3週間目あたりから精神状態が不安定になるから注意、と言っていたのを思い出した。思い当たる。ライブも延期になってしまったし、パリのライブも一応、9月に予定されてはいるけど、これも無理だろう。人生のビジョンみたいなものも前ほど持てなくなってきた。映画製作も中断したままで目途は見えないし、そもそも、小説を書きたいという気持ちにもなれない。日記を書くことで、なんとか、自分を維持しているというのが正直な今の状態。料理作りに火が付いた息子君だけが、辻家の希望の星である。



朝も毎日、10時過ぎ、下手すると11時くらいに起きるようになった。食べることしか愉しみがないので、太り過ぎないように注意をしている。絶対、コロナに罹れないので、健康には気を付けているのだけど、宇宙飛行士にはミッションがあるから頑張れたとしても、今のぼくにはどんなミッションがあるのだろう。「パパ、生き抜くことだよ」と昨日、夕食後、息子に諭され、泣きそうになった。きっと、こういうパンデミックはこれからどんどん出てくるような気がする。ビル・ゲイツさんが2015年のスピーチで「今後、一番人類の存続を脅かすのは核戦争じゃない、ウイルスによるパンデミックだ」と語っている映像があって、この人、すげー、と本気で思った。これから、ビルさんのメッセージに耳を傾けたい。

ともかく、ぼくにとって、一番の問題はこのようなロックダウン下にあって、どうやって自分の精神を整え、奮起し、乗り切っていくのか、ということである。やる気が出ず、目標を見失い、ぼんやりしてしまう毎日。散歩に出て、沈む夕陽なんかをぼんやり眺めながら黄昏ている自分、まるで老境の域だ。人に会わないので、いつもジャージ姿だし、お風呂は好きだから入るけど、洗った頭はそのまんま。息子の前でカッコつけてもしょうがないので、だら~っとしてしまう。たまに、鏡に映った自分に愕然とする。ああ、辻のおじいちゃん!

しかし、人に会えないので、おしゃれもできないし、おしゃれに何の意味があるのか、と笑いが起きてしまう。あんなにいっぱい服を買ったのに、今一番役立っているのがジョギングウエアで、気が付けばそれしか着てない。生活上で一番利用しているのは買い物用のエコバックこの倦怠感は今現在、世界中の人が抱えているもっとも大きな毒性じゃないだろうか。

ぼくはもともとひきこもり体質だったので、家にいることはそれほど苦じゃない。おうち大好きなおじさんなので、外出しないでもやっていだ。新型コロナは無気力まで持ち込んできた。けるのだけど、問題は外出制限じゃなく、何かみんなが動いていないこの停滞した空気感や、ひたひたと世界中に蔓延する暗い現実感とか、そもそも、生きることの張り合いのようなものまでもが奪われていくことに、問題があるように思う。テレワークには限界があるし、店を閉めている人はいつ再開できるのか物凄く気を揉んでいるだろうし、ロックダウンが解除された後、それ以前の夢や積み上げてきた成果が消え去っていて、逆に死を考えてしまう人が増えないか、まじで、心配だ。日本の場合、ロックダウンじゃないので、そこらへんがむしろ不透明だから、お金の問題で悩んでいる知り合いの経営者が多く、励ましたいけど、簡単じゃない。そういう全体から押し寄せてくる無力感が怖い。これを頭で理解し、価値観を変えて、価値観が変わったのだ、と理解して、乗り越えて行く力にしないとならない、のだろうけど、これが容易じゃない。能天気な人たちをバカにしていたけど、今は考え過ぎるのも問題かもしれない。なるようになるよね、と逃げる時があってもいいのだ。今日は能天気で生きよっか、と自分に言い聞かせている。だっふんだ。



俳優をやってる若い子たちから、「半年先まで仕事がなくなったんすよ、辻さん、どうしたらいいでしょう」とラインのメッセージが入った。人気のある子たちだけど、観客があってこその生活だったので、またお芝居が彼らの全てだったので、ステージがなくなった現実は、これからじわじわと彼らの心を痛めつけてくることになる。電話をし、話し相手になった。演劇とか映画とかやっている人は大変だ。舞台はなくなるし、映画の撮影だって出来る状態じゃない。映画も音楽もお芝居も全部、延期になり、中には期限切れになってやりたくても出来なくなるものも現れるかもしれない、と覚悟している。舞台しか生きる場所がなかった役者たちを励ます言葉が見つからない。結論として、YouTubeの活用ですかね、となったけど、それもやっぱ安易だし、甘い世界じゃないので、違うかな。何か出来ないか、頭をひねらないと。

そうだ、でも、こういう風に厳しい状況だからこそ、人類が経験したことのない逆境にいるからこそ、生み出せる何かがあるのじゃないか。誰かを批判したい気持ちもわかるけど、そこには生産性がないので、この現状で出来ることは何か、自分と向き合うチャンスがあるのかもしれない、と考え直してみることかもしれない。というのか、ぼくは考え始めている最中だ。終息後の世界にむけて、今は準備の期間に入ったのだ、と思っている。ロックダウンがひと月延長された、ということは締め切りがひと月伸びたということでもあるので、じっくりと作品に向かいあえるじゃないか、と自分に言い聞かせている。作品を人生にお置き換えてみるといい、人生を熟成させるため、意識を変える大事な移行期間になったのだ。まずは、髪の毛でもきれいに梳かして、起きたらジャージを脱いで、なんなら綺麗な服でも引っ張り出してみて、自分をしっかりと保つことが大事なのだ。さて、こうやって文字にしてみたら、納得できた。そして、単純なことに、気力が湧いてきた。昼飯でも作るか。まずは、腹ごしらえだ!えいえいおー。

退屈日記「ロックダウンひと月経過、ぼくがぼくじゃなくなる」

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