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退屈日記「ぼくの前では超不機嫌な息子のもう一つの顔」 Posted on 2020/06/03 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、どこの親も同じかもしれないのだけど、やたら息子に気を使ってしょうがない。息子の機嫌をとり、息子の顔色をうかがい、息子にちょっとびくびくしながら、生きている。何か言葉をかけても返事が戻ってこない時の方が多いし、たまに「今、忙しいんだよ、あとにしてよ」と怒られる。怒ってもいいし、無視してもいいのだけど、父子二人家族なので仲良くやりたい。たまに凄く機嫌がいい時もあるので、そういう時のことを日記に書いているけど、特に朝は低血圧なのか、めっちゃムスッとしている。明らかに毛嫌いされているのが分かるので、落ち込むことの方が多い。彼は今ダイエット中なんだけど、心配だから、「でも、一膳くらいご飯食べたらどうだい」と言おうものなら「いらないって百回言ってるでしょ」と吐き捨てられる。



親にしか甘えられない、彼なりの大変さもあるのだろうから、理解出来るのだけど、それが友だち相手だと、なんか奴隷みたいなネコナデ声が部屋から響いてきて、二十人格か、とこれまた心配になるのだ。「ウイリアム、ウイリアム、ウイリアムー、ちょっと、それはないだろー、おー、それはやめてよー、やばいやばい、ウイリアムー」と楽しそうだ。ゲームをやってるみたいなのだけど、テンションがパパに対してと180度違うのだ。そのあと、ランチになり、「ウイリアム? いつも仲いいね、楽しかったの?」と訊いても、むっつりご飯を食べ続ける息子。怖っ。食べ終わると、「ごちそうさま」と言い残して、さっさと食器を片付け自室に戻ってしまう。その間、五分。ううう、どうしたものだろう、ほっとくしかないのかな。



それでも、人生の節目とか、悩んだ時には、ぼくの仕事場に顔を出し、ちょっといい? と相談しにくる。そういう時、親として頼られている、必要とされているのだな、と嬉しくなる。もう少し普段もアメリカンホームドラマのような仲のいい明るい感じになってくれればなぁ。いや、仲良くしないでもいいから、返事くらいしてくれればいいのだけど。甘えられるのは世界でパパだけだから、しょうがないのかなぁ。ま、息子にとっては気を使わないでいい親がいることになるわけだから、よし、とするか…。

最近は、気にしないように、ほったらかしにすることにしている。向こうから何か言われたら、対応してあげればいい。こっちから仲良くしてよ、と行くと、不機嫌で返されるので、必要な時だけ声をかけるようにした。なので、ぼくが息子に言うのは「ご飯出来たよー」という時だけになった。食事時は父子を繋ぐ貴重な時間となる。この子が小さな時から、食べることが会話のかわりを担ってきた。できあいの食品ですませないのは、そこに親子の貴重な繋がりが残されているからである。子供は巣立ってなんぼなので、飛び立つまで見守るのがぼくの役目だと思えば、残さず食べてくれたシンクの中の丸い皿はぼくにとって特大の子育てメダルなのである。

退屈日記「ぼくの前では超不機嫌な息子のもう一つの顔」

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