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滞仏日記「教育学とは何か」 Posted on 2019/06/01 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、今日は友人の紹介で教育学者の山本哲士さんとパリ6区のカフェでお茶をした。主に教育とは何かというとりとめもない雑談だったけれど、閉ざされたパリの仕事場で創作ばかりしている僕にはとっても刺激的な時間となった。山本先生と日本や世界の教育について議論しながら、しかし僕の脳裏にはずっと自分の古い記憶が再生され続けていた。僕は59年もこの世を渡り歩いてきたが、僕という人間はどこで形成されてきたというのだろう。日本の教育の問題点を話し合っているというのに、僕の記憶の中には小学校の時の恩師の優しい顔、福岡の幼稚園の校庭を走り回る学童たちのもはや名前さえ思い出せない残像が過っていった。帯広の小学校の薪ストーブを囲む学友たちと日本の将来について語ったこと、武器の製造をやっていた中九州の一族の大工場の一角で目撃した日本刀の刃先の輝きや、函館西高校の日本史の先生が戦争の残酷な写真集を生徒たちに見せながら語り続けた戦争責任について、それを受けてアメリカ留学を断念した自分の当時の気持ちや、青空に翻る日の丸や、雪に閉ざされた帯広第一小学校前の一般道を真夜中に進軍する自衛隊の戦車のキャタピラの音とか、初恋の人の突然の死の知らせなんかが、次から次に僕の記憶を掘り起こしていった。第二次世界大戦で使用された今村5連式銃を開発した祖父の物静かな生前最後の姿までが蘇っていた。

僕は、この不可解な僕と、もう59年も共存してきた。僕という人間は当初、日本各地の教育者たちとの出会いでそれなりに象られていった。「教育」とは教えて育てると書くけれど、なぜか、僕には馴染めない言葉でしかなかった。だいたいの人間が今の世の中では教育を受けることになるわけだが、(国や環境によって中身は様々)、多くの子供たちはその決められたルールに従うことになる。左翼の先生が日本史を教えることで僕は左翼的影響を受けたし、右の傾向の強い親戚に語られる戦争の話になるほどと思ったこともある。性教育にしても、僕らの時代の性教育なんてフランスの幼稚園児以下の知識だったけれど、週刊プレイボーイがそのかわり親身になって僕らの性の正当性を擁護してくれたりもした。

先日、Eテレの「世界の哲学者に相談」という番組に出たところ、フランスの哲学者ルソーについての特集回で、つまり彼の教育理念のようなことが議題だった。僕はルソーに不慣れだったけれど、とても彼の哲学や教育理念に馴染むことが出来なかった。なので、収録時間、僕は最大限の力を振り絞ってルソー批判を展開することになる。中身は番組に譲るとして、そこにはルソーが説く教育とはこうだという鋳型が存在し、彼はその教育の鋳型を取り除くことの重要性を謳っているにも拘らず、気持ちが悪いほどにそこに逆行していることが僕を不快にさせた。でも、そういうこともひっくるめて番組は面白かった。考えさせるというEテレの制作者の意図通りに動いてしまった自分に赤面しながら・・・。

京都造形大学で9年間、教える側に立った経験があるが、知識だけを教えることへの限界があった。教えるという行動はなんだろう? 人間が人間に物事をただ教えるだけでいいのか、というざらついた気持ちが心に残り続け、僕は結局私塾「人間塾」をスタートさせることになった。人間塾は数年続いて閉塾したが、教育という言葉への率直な抵抗行動のようなものはいまだに僕の中にはある。教育がこれでいいのか、と疑問に思って教壇に立つ先生たちも多いような気がする。偏らず、どうやって子供たちの心を形成する手伝いが出来るのか、をこの時代だからこそ、もう一度考える必要があるように思った。「世も末だ」と嘆く言葉を僕は好まない。ともかく、山本哲士さんとの出会いは僕にまた考える場を与えてくれた。人間は考え続けるべきである。それが苦しくても。
 

滞仏日記「教育学とは何か」