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滞仏日記「日本人が思うマッチョとフランス人が思うマッチョが違い過ぎて草」 Posted on 2022/03/25 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、パリのママ友たち(息子の学校のお母さんたち)とカフェのテラス席でお茶をしていたら、面白い話になった。
たまたま、僕らがお茶をしているカフェの前で小さな男の子が泣き出した。
横にいたおじいちゃんが「男は泣いちゃだめだ」と言った。
するとその隣にいたおばあちゃんが「あら、女だって泣いちゃだめなのよ。それは差別だわ」と訴えた。
するとママ友たちが一斉に僕に意見を求めてきた。
こういう発言をどう思うのか、というのである。
突然日本の男代表になった僕は、おじいちゃんが言った意見は結構日本でよく耳にするもので、おばあちゃんが言った意見はあまり日本ではなじみのないものです、と無難に答えておいた。
そこから、ぼくらは「日仏のマッチョ像の違い」について興味深い議論を展開することになる。

滞仏日記「日本人が思うマッチョとフランス人が思うマッチョが違い過ぎて草」



ブリュノ君のお母さんのレイナとティボ君のお母さんのシルヴィと僕の三人は日仏のマッチョの違いについて激論を戦わすことになるが、結局、僕らは物凄い違いを発見するに至った。
長いことパリで暮らしているのに、はじめて気が付いた新事実でもあった。

レイナが言った。
「ね~、日本のマッチョってどんな? こと女性に対してのイメージを知りたい。体躯的なマッチョじゃなくて、精神論的なマッチョ感みたいなのを教えて」
僕はこう答えた。
「そうだね、一概には言えないけど、日本のマッチョって、女は口出しするな、って感じかな。たとえば日本は昔から、女性が酒を注ぐ役目を担わされていて、いや、もう最近はあまり見かけないけど、でも、今でも、たまに、飲みの席で女性が男性にお酒を注いでたりしている。伝統的な感じで、それが普通みたいな。亭主関白とかいう言葉もある。もっともこれはちょっと前時代的なイメージかもしれないね。僕の父親の時代とか、それよりももっと前の時代とか。日本は長年、男性を立てる文化だったってことかな」
二人のマダムは同時に、へ~、さすが日本ね、と面白がった。
「じゃあ、フランスのマッチョってどんな?」
するとシルヴィが、正反対よ、と断言した。



「フランスはね、女性を立てる文化ってことかしら。フランスのマッチョってね、たとえばお酒を注ぐのは男性の役目であり、つまり、率先して女性にお酒を注ぐのがマッチョってことになるのよ」
その瞬間、僕は大きな声で、なるほど~、と唸ってしまった。
「手紙を書く時、必ず、Madam et Monsieur(マダムとムッシュ)が書き出しになるじゃない。女性が先でしょ?日本って、お父さん、お母さんの順だって昔誰かに聞いたことがある」
「確かに、男性が先になるな」
「フランスで、メールとか手紙とかで、男性の方を先に書くと、なんだこいつってことになるわ。フランス男のマッチョ感って、女性をどれだけ盛り上げられるかが重要だったりするの」
「え? どういうこと?」
「女性を誰よりも盛り上げた男がマッチョって意味よ」
「マジか」
ぼくは苦笑した。
「お酒注ぐのもまず男性がボトルを持ったら、女性から注ぐのが礼儀だし、それがフランスの男性に求められるマッチョ像なんだよね。日本は多分、逆なんでしょ?」
「僕は違うけどね。僕は女性にまずお酒を注ぎます」
「ムッシュ辻、あなたはマッチョとしてフランスでやっていけるということよね」
「マッチョなんだ。それがマッチョってのがフランスだなァ」
シルヴィとソフィは笑いながら、空のグラスをそっと僕の前に差し出した。
僕はマッチョなんかになりたくなかった。
自分のグラスには自分でワインを注ぐのがいいと思っている。
「なんか、どうでもいいね」
ぼくが言うと、ぼくらは笑いあって、手酌でワインを注いで飲むことになった。

つづく。

今日も読んでくださり、ありがとう。
検査結果、心配ですが、前向きにがんばります。

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