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滞仏日記「なぜ人は励まされると頑張れるのか」   Posted on 2019/08/26 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、今日はちょっと時間があったので、ドーヴィルまで足を延ばした。とは言っても、ヴィレルヴィルから車で10分もかからない。隣接するトゥルーヴィルとは双子の街で、リゾート地として最初に栄えたのはもちろんドーヴィルだけど、マルグリット・デュラスが暮らしたことなどで有名になりトゥルーヴィル愛好派も多い。
 

滞仏日記「なぜ人は励まされると頑張れるのか」  

個人的には魚介市場の多い漁師町的なトゥルーヴィルの方が好きだ。この辺は東京で言うならば、鎌倉、湘南、葉山あたりと思ってもらえればよい。パリの人たちの避暑地として昔から栄えた地域である。映画「ほとけ」はドーヴィル映画祭のコンペに招待(2000年だったか2001年)されたことがあった。会場となったのは歴史あるノルマンディーホテル(当時。現在はバリエールグループ)で、映画「男の女」の舞台になった場所でもある。物憂げで、切なく、おしゃれなホテルだった。当時を思い出しながら、浜辺を歩いてみた。何かの賞は頂いたけれど、あまりいい印象は残ってない。残酷なシーンが多いのでお客さんが席を立ってどんどん帰っていく。それを一番後ろの席から絶望しながら眺めていた。その直前に行われたベルリン映画祭でも、同じ現象が起きた。今はああいう無謀な映画はもう作れないかもしれない。それだけ年を取ったということかな。

でも、あの時、一人の少年(たぶん15歳くらい)が近づいてきて、僕の映画を絶賛してくれた。プログラムに僕はサインをした。そして彼はこう言った。「僕もあなたのような監督になりたい。でも、自分に才能があるかどうかわからない。才能ってどうやって探すのですか?」そこで僕は(当時は仏語が喋れなかったので)英語でこう返した。「才能のない人はいません。これは真実で、人間には必ず何か才能があるんです。ただ、自分の才能を見つける才能がない人がいる。物凄い才能があるのにそれに気づかず生きている人がいる。図々しくなるべきです。これがまず大事なこと。次に、あらゆる可能性を捨てないでください。もしかしたらあなたはカメラマンや脚本家に向いているかもしれない。自分の中にある才能を見逃さないことがとっても大事です」あれから20年近く経つので、その時の少年ももう立派な大人(35歳くらい)になっているはずだ。もしかすると映画監督になっているかもしれない、と思った。
 

滞仏日記「なぜ人は励まされると頑張れるのか」  

宿に戻り、市場で買った貝とかカニとかエビで海鮮丼を作って食べた。美味かった。あまりに新鮮で笑いがおきたほどであった。目の前には沈む夕陽があった。僕はまたこうやって生きてしまったことを不思議に思う。こんな僕でいいのか、とこの時間帯になると弱気になってしまう。パソコンを開き、日記を書く準備をしていると、メールが飛び込んできた。作家の桐野夏生さんからであった。なんだろう、と思って目を落としたら、昨日書いた日記の感想だった。こんなことが書かれてあった。「(前文は個人的なことなので省く)これから一人で生きていけるのだろうか、とおろおろしています。まだ何も始まっていないのに。そんな夏の終わりです。でも、辻さんのブログを読んでいると、何だか、人間捨てたものではないという希望が湧いてきます」あまりにタイムリーな、そしてとっても人間臭いメールだった。僕はどこかでこの日記もデザインストーリーズもやめたい、実は作家も全部やめたい、と思っている。こんな独りよがりな日記を誰が読んでいるのだろうと思ったりするのだけど、桐野さんの後ろに同じような思いで読んでくださる読者がいるのかな、と思うと報われた気がした。僕はすぐに返事をした。本が売れない時代に無料でエッセイを毎日書いていることに作家としての疑問を感じる、みたいな愚痴のような一言を添えて。するとまたすぐに、桐野さんからお返事が来た。僕はそれを読んで、ちょっと救われた気持ちになった。
 

滞仏日記「なぜ人は励まされると頑張れるのか」  

「辻さん、あなたのブログで励まされたり、ああ、こうやって生きてていいんだ、と思ったりする人はたくさんいると思います。フランスで男一人で子育てしているのは、本当に大変だと思います。日本にいたって大変なんだから。でも、フランスだからこそ、という伸びやかさを感じる一方で、人間てそんなに変わらないんだという安心感があって、孤独と裏腹の豊かさを感じます。
よいお仕事だと思います。お金にならなくたって(笑)。でも、それが本当の仕事だと思います。
お帰り、お気をつけて。

桐野」(原文まま)
 

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