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滞仏日記「フランスで差別された時の対処法」 Posted on 2019/09/04 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、昨日、美容室に行って髪をカットしてきた息子が「差別された」と憤慨していたので、どうした、と聞いたら入って来たマダムに「ニンハオ」とからかうように言われたのだ、というのである。「それが差別なのか」と呆れて聞き返したら、「ああいうのを差別というんだ」と珍しく怒ったので、玄関の椅子に座らせた。「アジア人を全部ひっくるめて中国人にするフランス人の考え方こそが差別であり、日本などは中国の一部と思っている」と彼の憤慨がおさまらない。そこで僕は息子の胸倉に人差し指を押し当てて、「差別されたと怒るお前が悪い」と言ってやった。「差別というのは差別を受けたと思った時点で負けるんだ。いいか、胸を張って言い返してやれよ、だからフランスはその中国に頭があがらないんですね、マダム、と。日本とフランスの区別がつかないフランス人がまだいることに僕は驚いたよ、と言ってやればいいことだろ。その場で反論できない段階でその怒りを家まで持って帰って来たお前は敗北者だ」こう告げると「なんで」と息子が小さく吐き捨てた。「パパだったら、そのマダムの前に行き、イタリア人とスペイン人とフランス人の差が俺にはわかるけど、あんたは学校で何勉強してきたんですか、フランスの学校のレベル大丈夫ですか、と言い返す。周りにいるフランス人に聞こえるようにちゃんという。腹が立ってるのに言い返せず、差別されたと思い込んで家に戻って来てパパに怒りをぶちまける段階でお前の負けだ。わかったか、次から差別されたと思ったら、言い返せ、言い返せないならば、自分が悪いと思え」こう告げると、息子君、「むちゃくちゃだよ」と笑い出した。僕は息子の顔を覗き込み、声をすごめ、「いいか、前から何度もお前に言い聞かせている通り、パパはフランスで一度も差別を受けたことがない。それは堂々と自分を主張し、一点の恥もなく生きているからだ。差別されたと騒ぐ連中の共通点はどこかに恥を持っているからだ。そこを突かれて差別だと騒ぐに過ぎない。同じ人間だろ、正々堂々としてろよ。もしも、次に、そういうことがあったら、即座に相手の非を突いてわからせてやれ。日本の方がフランスより礼儀も精神力も立派だというだけでも十分だ。フランスで生きていきたいなら、フランスに媚びを売るな。フランス人に尊敬されるくらい強い自分を持て、フランスとはそういう国だろ。自分を持っている人間はリスペクトされる。自分を主張できない人間は脱落していく、そういう世界だ。一部のバカな人間にちょっとからかわれたくらいでその怒りを神聖な我が家に持ち込むな。そのくらい強くなれ。言い返せないお前の負けだ。わかったか、以上」

息子の怒りは、父ちゃんの怒りの前でしぼんで消えた。僕はこういうことで差別されたと思う人が世界中にたくさんいることの方がおかしいと思ってる。たとえば、数年前、息子をスポーツクラブに連れていこうとしていると狭い道を巨大な清掃車が突っ込んできたので息子が巻き込まれそうになった。僕は即座に、その清掃車の横腹をブーツで蹴飛ばした。すると清掃車が急ブレーキをかけて止まり、中から三人のアフリカ系の大男が出てきて文句を言い出したので、息子を僕の後ろに隠し、大声で「どこ見て運転してんだよ、この馬鹿野郎ども、どこに頭がついてんだ、こら、よく見て見ろ、この馬鹿たれが、うちの子を跳ねるところだったぞ。お前らの母さんが見てたら悲しむぞ、どういう環境で育ったら、こういうめちゃくちゃな運転が出来るんだ。運転が下手なら清掃車なんて運転するな、この馬鹿ったれどもが」と腹の底から日本語で怒鳴ってやったところ、向かって来ていた三人が足を止めて、理解出来ない日本語の怒りを前に、その怒りを引っ込めてしまった。たぶん、僕が言いたいことは通じたのだ。人間の怒りやその本質というのはどの言語で怒っても一緒で、そこがフランスだからと言って下手なフランス語を頭の中で組み立てて抗議したら不利になる。そこがフランスであろうと人権はそれぞれのものだから、抗議は自分の国の言語ですればよい。日本語の方がはるかにフランス語より迫力がある。まず、子供を守る父親の正義感で戦う。その後、運転手はまだ怒りが収まらないようだったが、横にいた二人が、フランス語で、ムッシュ、すまない、俺たちが悪かった、今後は気を付ける、と言ってそこを去っていった。その時も僕は息子に言ったことがある。「堂々と自分を出せば負けることはないんだ。差別されたと思うのは、こういう時に何も言えないでここを逃げ去る時に起きるんだ。覚えとけ」「でも、パパ、殺されてたかもよ」「殺されることにおびえ、一生差別を受け入れて生きることはパパにはできない。パパが殺されたら誇りに思え」
 

滞仏日記「フランスで差別された時の対処法」