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滞仏日記「女性殺し、フェミニシッド問題で揺れるフランス」 Posted on 2019/12/03 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、知り合いのNさんはドメスティックヴァイオレンス、いわゆるDVを利用して離婚に成功した。友だちの奥さんだった人だけど、その元ご主人は気の荒い性格で、しかもがっしりした体躯の持ち主、さすがに奥さんは力ではかなわない。前々からそのことで相談を受けてはいたけれど、夫婦の問題だし、複雑な事情だから、ぼくは彼女の話しを聞いてあげることしかできなかった。元ご主人は実に温厚なイメージがあり、しかもとある企業で重要な役職についており、誰もがまさかDVをしているとは思わない。なので、彼女が必死で訴えても、実際を見てないぼくらは踏み込むことが出来ずにいた。ところがこの間、連絡があって、離婚が認められた、というのだ。口喧嘩になり、カッとなった元ご主人は奥さんを殴りつけた。拳が顔面にあたり、青痣が出来た。口も切れて出血したが、彼女はそのタイミングを待っていた、というのか、そう仕向けたのかもしれない、そのまま家を出て近所のジェネラリスト(主治医)のところへ行き、診断書を書いてもらったのだ。それが離婚の決め手となった。

滞仏日記「女性殺し、フェミニシッド問題で揺れるフランス」



あとで聞いたことだが、もし、次に暴力を振るわれたらすぐにおいで、と言ったのはその主治医だった。ジェネラリストなので、旦那も含め家族全員のことをよく知っている。Nさんが受けた怪我が暴力によるものじゃないか、と疑っていたのだとか。つまり、見かねての措置でもあった。そして、殴られた瞬間、彼女は「今だ」と思ったのだという。

フランスで最近、「フェミニシッド(女性殺し)」という言葉をよく聞く。パートナーにDVで殺される女性の犠牲者は去年だけで120人を越え、今年はそれを上回っている。メディアは「フェミニシッド」という言葉で啓発活動を行っている。これまで医師には守秘義務があったので、明らかにDVとわかっても当局への通報が出来なかったが、先ごろ法律が改正された。フランスはフェミニズムの国だけれど、死なないまでもDVの被害は昔から多い。日本でもDVという言葉をよく聞くようになった。世界的傾向かもしれない。



15年ほど前に、これを象徴する大事件がフランスで起きた。当時とっても有名だった女優のマリー・トランティニョンがパートナーのベルトラン・カンタに殴られて死んだ。男性はノワールデジールというバンドのシンガー兼ギタリストだった。激怒したべルトランはマリーを怒りに任せ殴りつけ、そのまま出て行った。マリー・トランティニョンはそのまま帰らぬ人になった。5年ほどの服役を終えたベルトランは賛否両論の中、バンド活動を再開させた。有名なバンドだったけれど、さすがにフェミニシッドのイメージをぬぐうことは難しかった。DVの事件が起こる度に、この話題がつい昨日のようにもちだされている。

知り合いのNさんは、いつか自分もマリー・トランティニョンのように殴り殺されるかもしれないという恐怖を持っていた。現在は裁判に勝ち、元ご主人は彼女と彼女の子供たちに近づくことが禁止されている。人権問題には過敏なフランスは今回、強い法規制を導入した。果たして、死者の数を減らすことが出来るだろうか。

ぼくの周りでDVが引き金になって離婚をしたフランスのカップルが2組いる。その中の一人は息子の学校のママ友の一人であった。なぜか、ぼくのところに連絡があり、たぶん、作家なのでいつも家にいて、動きやすいと分かっていたからかもしれない。ぼくが車を出してその人を病院まで連れて行ったことがあった。やはり医者が、診断書を出す時に、警察に届けなさい、と忠告をした。この手の問題は表沙汰になりにくいのだけど、決して少なくはない。どんなことがあっても暴力を我慢してはならない。自分が我慢すれば家族は守れるという考え方は間違えている。DVに対しては毅然と声を上げてほしい。  

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