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優しさに包まれる空間 〜親愛なるテオドア・フィッシャー様〜 Posted on 2017/08/27 川合 英介 建築士 ミュンヘン

Lieber Herr Prof. Theodor Fischer
親愛なるテオドア・フィッシャー様、
 
あなたのことを、この文章を読んでくださっている方々はおそらくご存知ないでしょう。でも、ミュンヘンで日々過ごしている人達で、あなたの構想した空間を経験したことがない人など、ほぼいないのではないでしょうか。
あなたはミュンヘンの街を覆いつくす都市システムStaffelbauordnungを計画しました。旧市街とその周辺市街に幾つかのネットワークの焦点を設定し、建物の高さと、壁面を共有する建物geschlossene Bauweise、しない建物offene Bauweiseをコントロールしながら配置していく。加えていくつかの地域の街区、街路を計画し、建物も計画した。まさに建築家の理想像でもある、都市から建築の単体までを構想し、実現し、それらは時に大胆に、時に慎ましく、今もミュンヘンや南ドイツを中心に息づいています。
 

優しさに包まれる空間   〜親愛なるテオドア・フィッシャー様〜

フィッシャー先生によるミュンヘン都市計画 Staffelbauordnung

 
 
例えば、ウルムにある教会を見学に行ったときのことを思い出します。コンクリートが荒々しさや艶かしさなど様々な表情を見せ、教会の内部で無音の大空間という音楽を奏でる。その空間は信者達の一体感を体現したような、まるで体内空間とでもいうようなものでした。竣工は1910年ですね。この時代のコンクリートの可能性を示唆したその造形に感銘を受けたル・コルビジュエさんがあなたの元へ教えを乞いに訪れたと聞いています。このエピソードからも、あなたの中に芽生えていた近代建築の鼓動を感じます。そういえばあのブルーノ・タウトさんもあなたのお弟子さんですね。
 

優しさに包まれる空間   〜親愛なるテオドア・フィッシャー様〜

ウルム教会内部

 

優しさに包まれる空間   〜親愛なるテオドア・フィッシャー様〜

ウルム教会正面玄関
コンクリートの柱頭や動物達は、どうやって造ったんだろう?

 
 
僕が、まだミュンヘンに来て間もない頃、初めて仕事をした設計事務所で携わったプロジェクトは、旧市街に立つ商業施設の改築物件でした。言葉もわからず、それでもドイツでの経験を積みたくて、無我夢中で模型を作り続けていたことも、今となっては遠い昔です。この改修物件の隣に立つ建物があなたが計画された警視庁舎でした。商業施設の凸型の曲線と呼応するような凹型の弧を描く壮麗なファサード。それは旧市街の中心シンボルでもあるフラウエン教会の前広場まで延伸し、包み込みます。この時からです、建築が単体ではなく、周囲と呼応する存在であること、そういった周囲との関係性が繋がっていき、都市を形作っているということを、ヨーロッパで、そして設計事務所という現場で強く意識したのは。
このプロジェクトチームのメンバーだった同僚達も、僕も、やがて結婚し、各々ほぼ同年代の子供達を授かり、子供達の教育や進学に、同じように頭を悩ませ、年に何回か顔を合わせる関係が続いています。
 

優しさに包まれる空間   〜親愛なるテオドア・フィッシャー様〜

商業施設改修計画
(右側写真の模型を作り続けた。右下模型写真の左側下、弧を描く建物が警視庁舎)

 

優しさに包まれる空間   〜親愛なるテオドア・フィッシャー様〜

左側、モスグリーンの警視庁舎
(アンチャンが頬張っているのは南ドイツ名物、プレッツェル)

 
 
そんな人間関係と同じように、僕はあなたの後輩として、建築に携わるものとしてあなたとの関係を意識し続けています。僕達家族は、あなたの住居のあった、そしてあなたの計画したミュンヘン西部の地区に住み、且つ、あなたの計画した住宅群(竣工1911年)が近所に建っています。街路を跨ぐように計画された住棟の門をくぐり、カミロ・ジッテの理論やアンウィンの田園都市よろしく閉じられた街路に入り込むと、まるで異空間にタイムスリップしたような感覚に陥ります。
 

優しさに包まれる空間   〜親愛なるテオドア・フィッシャー様〜

優しさに包まれる空間   〜親愛なるテオドア・フィッシャー様〜

優しさに包まれる空間   〜親愛なるテオドア・フィッシャー様〜

予期せぬ訪問者、キツツキ君と遭遇

 
 
住民達にとても愛されているのでしょう、隅々までケアが行き届き、緑に溢れています。歩道に敷き詰められたタイルは他では見ることができないものです。キックスケーターでこの歩道を走ると、表面のでこぼこの振動が直接伝わるため、息子はこの道を「ガタガタの道」と名づけました。そして走りづらいはずのこの道を通るたびに、息子は何故か顔をほころばせながら言うのです、「ガッタガタだねぇ、ドッドッドドドー」と。
 

優しさに包まれる空間   〜親愛なるテオドア・フィッシャー様〜

 
あなたはゲーテの言葉を引用し、こう言います。「住宅は住民の巣であって、住民の体に即したフォームを与えられるべきであり、まず第一に住民の生活のためにあり、決して建築形態の追求のためにあるものではない」と。あれから、しかし少しばかり時間が流れました。大きな戦争が二度もありました。大きな歴史の中での百年なんてちっぽけな時間かもしれないけれど、現代の生活、ひいては人間はあなたの生きた時代と比較すると、大きく変化したと思うんです。人はきっといつの時代でも、百年前なんてすっごい大昔で、それに比べると自分の生きている時代は様変わりしたんだよって、その時代毎に思ってきたんだろうけど、現代の変化のダイナミズムってすごいと思うんです。何が言いたいかっていうと、そんなに人間やそれに付随する環境がダイナミックに変わったにも関わらず、百年前の人間とその環境に即して作られたこの住宅群が、どうして今でもこんなにも人々に愛され続けているんだろうって、思うんです。不思議です。設計のテクニックでは解けそうにないその答えが知りたいです。でも実はなんとなくわかってるんです。その場所には、時代を経ても色褪せることのない、人間と空間に対するあなたの優しさが溢れているから、ということを。
 
viele Gruesse
Eisuke Kawai
 

先日、久し振りにテオドア・フィッシャー設計の警視庁舎に隣接する商業施設改築プロジェクトに携わった仲間達とビアガーデンで顔を合わせた。
一人の元同僚は十年ほどパリで建築士として勤務し、約一年ほど前、彼の出身地であるベルリンへ戻った。その彼が家族とともにサマーホリデーを利用してミュンヘンへやってきたのだった。若きプロジェクトリーダーだった元同僚はその後ミュンヘンで個人事務所を構え、今年の夏の休暇はサルディニア島にある、彼が設計した別荘で過ごすそうだ。
妻達はお互いの現状を報告し合い、話は尽きない。
ベルリンから来た子供達とは初対面なのに、次男君はまるで長年来の友人のようにすっかり打ちとけてじゃれあい、長男君は、ビアガーデンのテーブルの一角で得意の折り紙をはじめ、偶然隣に居合わせた子供達を巻き込み折り紙ワークショップを開催していた。
フランス人である元同僚の妻に独と仏の食文化の違いについて尋ねてみたところ、「フランスのヨーグルトは固めなのに、ドイツのは水みたいにドロドロ、隣国なのに不思議」と、やはり色々と困惑している様子。
子供達の寝る時間が近づき、辺りが暗くなり始める頃、またの再会を期し、各々帰宅の途に就いた。
 

優しさに包まれる空間   〜親愛なるテオドア・フィッシャー様〜

優しさに包まれる空間   〜親愛なるテオドア・フィッシャー様〜

ビアガーデンのテーブルで折紙教室を開催中の長男君。
元同僚の娘ルイーゼちゃんは彼の優秀なアシスタントでもある。

 
 

Posted by 川合 英介

川合 英介

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Eisuke Kawai
建築士。静岡県出身。2003年交換留学生として渡独。以来、ミュンヘン在住。ミュンヘン工科大学にて「都市壁撤去後の都市境界形成」について博士論文を執筆、博士号取得。現在、建築士として設計事務所に勤務。住宅、幼稚園、事務所、集合住宅の新築、改修、増築プロジェクトを担当。パティシエの妻、二人の息子とバイエルン生活をドタバタとエンジョイ中。