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リュブリャナ、建築家プレチュニクと僕らドイツの建築家 Posted on 2020/01/30 川合 英介 建築士 ミュンヘン

スロベニアの首都、リュブリャナはミュンヘンから600キロ東にあり、バスで約7時間。Beer Bembé Dellinger建築都市設計事務所の同僚、約30人を乗せたバスは朝の5時にミュンヘンを出発し、ひたすらリュブリャナを目指して突っ走った。着いてしまうと、拍子抜けするようにそこはスロベニアで、違う言葉を話す人たちが生活していて、顔の雰囲気も明らかにドイツ人とは違う。

リュブリャナ、建築家プレチュニクと僕らドイツの建築家

リュブリャナは今まで見た事がない首都だった。街の中心に庭付き個人住宅が多く建ち、ここは郊外ではないのか、という錯覚を起こさせる。つまり、郊外をただ圧縮したようなエキスがリュブリャナの都心になっていた。僕たちは、そんな一風変わったこの街で、プレチュニクというスロベニアを代表する建築家の建築群と、プレチュニクその人の建築に向かう意思に出会ったのだった。

プレチュニクという建築家がいたことは、リュブリャナという街にとって幸運なことだった。彼はこの街に生まれた。ユーゲントシュティル全盛期に活躍したオットー・ワーグナーの元で修行し、その後、ウィーンで幾つかの建物を残した。特にコンクリートを仕上げに使った聖教会などが名高い。その後、故郷リュブリャナに戻り、新たなリュブリャナを創造し、この地で亡くなった。プレチュニク前とプレチュニク後では、街の様相が全く異なる。

リュブリャナ、建築家プレチュニクと僕らドイツの建築家

建築には様々なスタイルがあるが、彼の建築は、折衷主義に分類されている。プレチュニクが面白いのは彼の建築スタイルの振れ幅の広さで、若き日に情熱に急かされて建築のあり方を模索したであろうウィーン時代を懐かしむようなユーゲントシュティル色の濃い建物を造ったかと思えば、どの時代にもなかったような古典建築の造形言語を用いながら、それでいて独創的な全体を造り上げることもある。

リュブリャナの都市周縁に立つ墓地は、古典様式、ユーゲントシュティル、あるいはロシア正教的なパトスが混ざり合っているような奇妙なものだった。

リュブリャナ、建築家プレチュニクと僕らドイツの建築家

リュブリャナの街の中心を流れるリュブリャニツァ川の東と西岸を結びつける橋の多くも彼の計画で、そのうちの代表的なものが、街の中心の広場、プレシェーレン広場にある三本の橋だ。三本の橋はほとんど隣り合わせにあるので、何故幅広の一本の橋にしなかったんだろうか、という疑問が残る。そもそも、三本も橋をかける必要があったのだろか?しかし、その地に立つと、いやその必要はあったのだ、と納得させられる。つまりは川も、広場も、橋も、旧市街の背後に聳える城までもが、この解決方法によってイキイキとしている。

リュブリャナ、建築家プレチュニクと僕らドイツの建築家

彼の計画した国立図書館のマーブル模様のような奇妙なファサード。レンガの間にある石は、この図書館を建てる際、地面を掘った時に出てきたローマ時代の遺跡の石だ。そもそも、そんなものをファサードに使うという発想が、考古学見地もしくは配慮から、なかなか浮かばない。

リュブリャナ、建築家プレチュニクと僕らドイツの建築家

そして扉を抜けると重厚な中央階段室。ここは一種の瞑想空間のようなもので、図書館という知識の国に入るためのイニシエーション装置でもあるらしい。茶室でいうところの路地のようなものか。日本において慣れ親しんだこのようなアクセス空間を、スロベニアの地で体験できるとは嬉しい限り。

リュブリャナ、建築家プレチュニクと僕らドイツの建築家

石でできた階段ホールは、知の世界でもある本の並ぶ図書空間を支える土台でもあり、そこを抜けると、長細く、天井の高い読書ホールに至る。両側の窓からの光が、人々を知の世界へといざなう。このホールではほぼ石材はなく、木材が多く使われている。それらの木材は、光と、知識という栄養素を吸収し、逞しく成長した樹木から切り出されたもので、知の化身としての木材が、光の燦々と降り注ぐ知の世界を構築しているのだった。
なんて豊富なアレゴリーに満ちた建物なんだろう。

リュブリャナ、建築家プレチュニクと僕らドイツの建築家

ところで、「プレチュニクの建築が身にまとっている折衷主義」とは一体、何なのだろう、というのが僕たちの多くが共有した疑問だった。現代を生き、建築を創ることを生業とする僕たちは、読書ホールのまばゆい知の光を全身に浴びて、それぞれの思索に耽る。

“彼の建物はすごい面白いんだけど、建物がなんか服を着ているように見える。” 
“まるで通販のカタログのように色んな時代のモードが羅列してあって、その中から選んだ服を建物に着せたって感じがしない?”

おそらくその服を脱がせて裸の建築がそこに現れても、プレチュニクのそれは十分に建築なんだ、とプレチュニク建築の強さの真髄を見た、ような気がしたその時に、

「でもこれって、プレチュニクの同時代人、ウィーンでもおそらく顔を合わす事の多かったアドルフ・ロースのウィーンにおける建築群と彼の著作“装飾と罪悪”を思い出させるなぁ」

と思ったら、なんとなく罰ゲームでスタート地点に戻ってしまったような気分になった。

Photography by Eisuke Kawai
自分流×帝京大学



Posted by 川合 英介

川合 英介

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Eisuke Kawai
建築士。静岡県出身。2003年交換留学生として渡独。以来、ミュンヘン在住。ミュンヘン工科大学にて「都市壁撤去後の都市境界形成」について博士論文を執筆、博士号取得。現在、建築士として設計事務所に勤務。住宅、幼稚園、事務所、集合住宅の新築、改修、増築プロジェクトを担当。パティシエの妻、二人の息子とバイエルン生活をドタバタとエンジョイ中。