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音楽をめぐる欧州旅「ヘンデルとウェストミンスターの鐘」 Posted on 2023/10/20 中村ゆかり クラシック音楽評論/音楽プロデューサー ドイツ、エッセン

ロンドンの街を象徴する時計台ビッグ・ベン。
街の中心を流れるテムズ川の左岸、ウェストミンスター宮殿に建つこの時計台は、ロンドンの人々に毎日、時を告げる鐘を鳴らしている。

音楽をめぐる欧州旅「ヘンデルとウェストミンスターの鐘」



「ウェストミンスターの鐘」とも呼ばれるこのメロディは、この街の音の象徴でもあり、鐘の音の届く所に産まれるのが生粋のロンドンっ子の証し、と囁かれるほどに、街の人々の誇りになっている。

音楽をめぐる欧州旅「ヘンデルとウェストミンスターの鐘」

イギリスの首都、ロンドンは、欧州の中でもとりわけ進歩的で、自由な街だ。
何世紀も遥か昔から、経済的にも文化的にも豊かなこの街には、演劇、ダンス、音楽、アートと、さまざまなジャンルに、華々しいエンターテインメントが生まれ、世界へと発信されてきた。
多くのアーティストが夢を抱き、この街を訪れ、世界有数と賞賛される舞台でその輝きを放った。
私もこの街で、その眩い光に何度心を奪われただろう。

音楽をめぐる欧州旅「ヘンデルとウェストミンスターの鐘」

音楽をめぐる欧州旅「ヘンデルとウェストミンスターの鐘」

今からおよそ300年も昔、
ドイツの片田舎、ハレの床屋外科医の家に生まれた作曲家ヘンデルも、オペラ作曲家となる夢を抱え、ロンドンへやって来た芸術家の一人。
20代半ばでイギリスに渡り、人生の大半をロンドンで過ごした。
音楽だけでなく経営力にも長け、ロンドンから欧州の音楽界を席巻する、時代の寵児となった。
作曲家、実業家として大成功を収めたヘンデルは、多くのロンドンっ子に愛された音楽家であった一方、多くの人を愛する「博愛の人」であったことでも知られている。
ヘンデルは、イギリスやアイルランドの篤志病院や孤児院の設立と発展、貧しい音楽家やその家族の支援に、彼の人生の莫大な時間と資金を費やした。
誰もが耳にしたことのある合唱曲〈ハレルヤ〉コーラスで有名なヘンデルの代表作、オラトリオ《メサイア》は、ヘンデルが理事を務めた孤児病院のための慈善コンサートをきっかけに、ロンドンの人々に愛されることになった作品だ。

音楽をめぐる欧州旅「ヘンデルとウェストミンスターの鐘」

音楽をめぐる欧州旅「ヘンデルとウェストミンスターの鐘」

ロンドンで多くの夢を叶えたヘンデルは、彼の莫大な遺産をロンドンの音楽文化や社会福祉のために分配すること、
そして一つだけ自分自身に関してウェストミンスター寺院に埋葬されることを希望した遺言を残した。
その最後の夢をも叶えたヘンデルは今、ビッグ・ベンを臨むその教会に眠っている。

音楽をめぐる欧州旅「ヘンデルとウェストミンスターの鐘」



ロンドンの街に響く「ウェストミンスターの鐘」。
素朴で懐かしいこのメロディは、ヘンデルが亡くなった後、ケンブリッジ大学の大学教会のために、教員らによって作曲されたものだ。
確たる証拠はないものの、そのアイディアは、おそらくヘンデルの《メサイア》の一節から得たものに違いないと、彼を愛するイギリスの人々に信じられてきた。

音楽をめぐる欧州旅「ヘンデルとウェストミンスターの鐘」

19世紀半ば、ウェストミンスター宮殿にビッグ・ベンが新設された際に採用されたこのメロディは、その後イギリス国内の多くの教会だけでなく、日本の学校のチャイムとしても使われ、私たちにも身近な旋律になった。

音楽をめぐる欧州旅「ヘンデルとウェストミンスターの鐘」

けれど、ビッグ・ベンの奏でるロンドンの空に広がるそのメロディは、なんだか特別な響きを持っている気がしてならない。
ロンドンの街の大気の中に、はるか昔から続く、人々の夢の物語を感じるからだろうか。
今、この時刻を告げる鐘の音は同時に、過去から現在へと続いた、この街の物語の連続性を告げているようにも思える。

今日もまた鐘の音の下、ロンドンの街のどこかで、新たな夢の物語が綴られていく。

音楽をめぐる欧州旅「ヘンデルとウェストミンスターの鐘」

自分流×帝京大学



Posted by 中村ゆかり

中村ゆかり

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Yukari Nakamura
専門は、フランス音楽と演奏史。博士課程在学中より、音楽評論とプロデュースを始める。新聞、雑誌、公演プログラム等の執筆、音楽祭や芸術祭のプロデュース、公共施設、地交体主催の公演企画、ホールの企画監修などを手掛ける。また5つの大学と社会教育施設でも教鞭を執る。2016年よりドイツ在住。