PANORAMA STORIES

ある亀の話 Posted on 2017/04/03 千住 博 画家 ニューヨーク

その浜は石で覆われており、裸足で歩くことができなかった。それゆえであろう、不思議なほどに人がいなかった。だからなのか、その近くの沖には多くの魚たちが生息していた。
私はその魚たちを見るのが好きで、その島を訪れるといつもその浜から沖まで泳ぎ、海中を眺めてきた。

ある時、沖で海面に顔を出して休んでいると、目の前に何か茶色の小さな頭が浮かんでいるのが見えた。何だろう、と思いながら、ゴーグルを付けて海の中を覗いてみた。
 

ある亀の話

するとそこに一頭の亀がいた。
しかも、驚くべきことに、亀はこちらを見ていた。あまりに自然な光景であり、あまりに衝撃的であった。
亀はすぐに大きな腕で水をかき集めるようにして潜って行った。引き付けられるように、その亀を追った。
水深3メートルほどの海底に、打ち捨てられた歪んだ鉄板が突き刺さっている。
亀はその鉄板と砂の海底の間に入り、《ここが僕の遊び場だよ!》
と頭にキンと響く声で言ったような気がした。
亀は出入りをくり返し、砂をかぶって遊び、いつしかその中に消えた。私は息が続かなくなり、海面に浮き上がった。しばらく呆然として波に漂っていたが、少ししてまた潜ってみた。
しかしそれっきり、亀とは会うことができなかった。

 

ある亀の話

私はその亀にもう一度会いたくて、その後も何度か鉄板のあたりに潜ってみるのだが、亀に会うことはできなかった。
時には数メートル先にその亀がいたこともあった。あわてて追ってみても、亀には会えなかった。ちょっと僕忙しいんだよ、と亀は言ったようだった。

私はその亀に “ワイキー” と名を付けた。
時間を作っては、翌年も、更にその次の年も、その浜に行った。しかしワイキーは姿を見せない。ワイキーはもう大人になって、どこか大海原へと行ってしまったのだろうと思った。なぜなら、ワイキーの甲羅はたかだか40センチにも満たなかったからだ。この果てしなく広い海で、よくこんな小さな亀に出会えたな、と感謝し、再会はもう諦めることにした。

 

ある亀の話

今年になって、私は久しぶりにその地を訪れた。
いつものように、石の浜から海へ入り、魚たちを眺めたあと、浜に向って泳ぎ始めた、その時であった。
手の届く所に、なに? という感じで、ワイキーが浮んでいるのだ。
ワイキーは今回も一頭で泳いでいた。幼い頃このあたりに流れ着き、以降ひっそり暮しているのだろうか。
ワイキーは、私の下に回り込み、ゆっくり旋回した。
私も急ぎそれに続く。
ワイキーは砂と同じ色の黄色い甲羅を持ち、手と足はその黄色とパステルブルーの組み合わさった、海にとけこむような色をしている。まさに神秘そのものの姿だと思った。
ワイキーは、大きな手をゆっくり動かし、底へ底へと少しずつ潜っていく。私がちゃんと付いて来ているかどうか確認しながら、彼は泳いでいた。
それはどの位続いたのだろうか。
《もういいよね!》
と再びキンと響く声でワイキーは私に告げ、海の青と区別がつかない深度へとぐんと降下し、やがて消えて行った。私はありがとう、と強く思った。そうすればワイキーに伝わる、と思った・・・。

水面に顔を出し、浜を見た。その浜に隣接して有名な海水浴場があり、いつも大勢の人々でごった返している。私はワイキーの静かで平和な日々がずっと続けばいいな、と思いながら、来た陸地に戻っていくのだった。
 

Posted by 千住 博

千住 博

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Hiroshi Senju
画家。京都芸術大学教授。1958年、東京都生まれ。1982年、東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。1987年、同大学院後期博士課程単位取得満期退学。1993年、拠点をニューヨークに移す。1995年、ヴェネツィア・ビエンナーレ絵画部門名誉賞を受賞(東洋人初)。2007~2012年、京都造形芸術大学学長。2011年、軽井沢千住博美術館開館。2013年、大徳寺聚光院襖絵を完成。2016年、薬師寺「平成の至宝」に選出され、収蔵。平成28年度外務大臣表彰受賞。2017年、イサム・ノグチ賞受賞。日本画の制作以外にも、舞台美術から駅や空港のアートディレクションまで幅広く活躍。