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世界遺産の襖絵を描く Posted on 2017/08/25 千住 博 画家 ニューヨーク

2017年7月31日、私は世界遺産・高野山金剛峯寺の襖絵の制作を開始した。

高野山は空海が816年に開創した宗教都市で、山の上の平野に117もの寺院が建ち並ぶ。ミシュラン・グリーンガイドでも三ツ星を獲得しているので外国からの観光客もとても多い。
その中心ともいえる存在が金剛峯寺だ。
 

世界遺産の襖絵を描く

2015年、高野山開創1200年事業として、今まで手つかずだった大主殿の「囲炉裏の間」と「茶の間」、合わせて40面の襖絵と床の間の壁画の制作の依頼を受けた。
空海のことを調べたり、足跡を追ったりしても、空海のことは全く見えてこなかった。むしろどんどんわからなくなる。それで、空海にとらわれず、この襖絵は勝手に描くことにした。そう決断するまでに2年かかった。
 

世界遺産の襖絵を描く

私がまず行ったことは、崖を描く計画の18面分に胡粉とにかわを練って塗ることだった。残りの襖と床の間には滝を描く予定だから、これの背景は黒い色にするつもりだ。
崖の背景は白い空間で、この世の果てを表わしたい。それには胡粉という日本古来の白色が輝くようなやわらかさがあってとても良いと思った。胡粉は貝殻の細かい粉末なので、これをにかわという接着剤と混ぜるのは、少しばかり手間のかかる作業だ。私は制作助手たちに手伝ってもらいながらこれをつくり、一人で2日かけて全面に塗った。
 

世界遺産の襖絵を描く

それをしながら、私はかつてこのようなことをしたことがある、と漠然と感じ始めていた。
それは私が藝大に入学して最初の授業として、担任の平山郁夫教授(故人)から胡粉とにかわの混ぜ方を手ほどきされ、初めて自分の画面に塗った時の、まさにその感触と緊張感だったのだ。藝大を卒業して30年以上経ち、山のように絵を描き、何百キロも胡粉を混ぜて来たが、それを思い出したのはなぜか今回が初めてのことだった。
 

世界遺産の襖絵を描く

私は初心に帰って来たのかと感じた。
ここから再び、全てが白紙の上に始めなくてはならないと感じた。
「リセットして一からやりなさい」という空海の声が聞こえた気がした。

絵を描くまではどんな本を読んでも、どこに旅しても何も伝わってこなかった。しかし絵を描き始めた途端、空海からの第一声が私に届いた感じだった。

絵を描くということは何から何まで想定外ばかりで、そう簡単にいくものではない。それに加えて、 「いつもの感じ」では、だめということだ。

厳しい日々が始まったな、と思いながら、しかし同時に新しい絵を描く悦びでわくわくしながらの手探りの制作が始まった。
 

世界遺産の襖絵を描く

 
 

Posted by 千住 博

千住 博

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Hiroshi Senju
画家。京都芸術大学教授。1958年、東京都生まれ。1982年、東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。1987年、同大学院後期博士課程単位取得満期退学。1993年、拠点をニューヨークに移す。1995年、ヴェネツィア・ビエンナーレ絵画部門名誉賞を受賞(東洋人初)。2007~2012年、京都造形芸術大学学長。2011年、軽井沢千住博美術館開館。2013年、大徳寺聚光院襖絵を完成。2016年、薬師寺「平成の至宝」に選出され、収蔵。平成28年度外務大臣表彰受賞。2017年、イサム・ノグチ賞受賞。日本画の制作以外にも、舞台美術から駅や空港のアートディレクションまで幅広く活躍。