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ライブレポート:「辻仁成 アコースティック・セレナーデ・フロム・パリ2023」名古屋公演 Posted on 2023/09/06 中村ゆかり クラシック音楽評論/音楽プロデューサー ドイツ、エッセン

 
2023年8月29日。
DIAMOND HALL(ダイアモンドホール/名古屋市)で開催された「辻仁成 アコースティック・セレナーデ・フロム・パリ2023」を聴いた。

当日の名古屋は快晴、最高気温35度。
夏の名古屋らしい、熱く湿った空気を纏いながら会場へ入った私を包んだのは、満員の聴衆の更なる熱気だった。
名古屋では6年ぶりという辻の公演は、即完売の盛況ぶり。
開演前の薄暗いステージにはパリを象徴する街灯が置かれ、この日を待ち焦がれた観客を誘うかのように、淡い光が灯っていた。
 

ライブレポート:「辻仁成 アコースティック・セレナーデ・フロム・パリ2023」名古屋公演



 
公演は、『レイン』で幕開けた。
青いライトに照らし出された辻のギターが力強く鳴り響くと、ホールの空気は一変していく。
ミュージシャン辻仁成の長い軌跡をたどるように『故郷』、『空』、『ガラスの天井』と代表曲が続いた。
織り重なる言葉と音が、ページを次々と捲るように別世界を運んでくる。
辻仁成の生の哲学が、瑞々しいまでの音となってホール全体に放たれていくようだった。

セットリストには、ECHOESと辻のソロ作品に加え、ジャズのスタンダード、フレンチ・ポップスにスティングの名曲や唱歌までもが並んだ。
一見ごちゃまぜな、ジャンルを問わないプログラムの全ては、不思議なまでに真っ直ぐに、辻仁成へと通じているようで、辻を介することでオムニバス映画のような、連続性をもった大きな姿へと変貌していった。

曲間には、インターリュード(間奏曲)のようなナンバーも挟まれ、Dr.kyOn(鍵盤楽器)、ユン・ファソン(トランペット/フリューゲル・ホルン)、山下あすか(パーカッション)、のバンドメンバーが、いくつもの楽器を持ち替え、巡る世界を彩った。
 

ライブレポート:「辻仁成 アコースティック・セレナーデ・フロム・パリ2023」名古屋公演



 
さて、公演の中で私の心を最も捉えたもの。
それは辻の声に尽きるだろう。
驚くほどに広い彼のテッシトゥーラ(声域)は、オペラで例えるならば、テノールとバリトン、双方の音域をカバーするほど。
また技術的には、高音域の男声にはとりわけ難しいパッサッジョ(移行部)を、いとも柔らかく自在に歌い上げていくのが圧巻だった。
辻は、広いテッシトゥーラの中で、歌唱スタイルとその色を千変万化させた。
全身、おそらくは靴底から地面に向かっても放たれているかのような力強い歌は、時にフラメンコのカンタオールのようであり、時にチベットの民謡唄いのようであり、高音は時にスピント・テノールのようでもあり、ロックな人生を生きる、歌手辻仁成そのものでもあった。

声の色という点では、中音域のザラザラとした響きも、大きな魅力だった。
倍音が多く安定感があり、温かく包み込むような色。
「ザラリとしたビロードの声」ともいうべきその音は、古い劇場の椅子に座り、ビロードの起毛の一つ一つを撫でているような感触で、心地よく耳もとを駆け抜けた。
 

ライブレポート:「辻仁成 アコースティック・セレナーデ・フロム・パリ2023」名古屋公演

ライブレポート:「辻仁成 アコースティック・セレナーデ・フロム・パリ2023」名古屋公演



 
私は今、秋を迎えたドイツの景色を眺めながら、名古屋の公演に想いを馳せている。
それは公演を聴いたというより、表現者「辻仁成」を体験したような不思議な時間だった。
鼓膜にザラリと忘れ難いものが残っている。
それが、これから続く未来への期待を膨らませているように思えた。
 

ライブレポート:「辻仁成 アコースティック・セレナーデ・フロム・パリ2023」名古屋公演

自分流×帝京大学



Posted by 中村ゆかり

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Yukari Nakamura
専門は、フランス音楽と演奏史。博士課程在学中より、音楽評論とプロデュースを始める。新聞、雑誌、公演プログラム等の執筆、音楽祭や芸術祭のプロデュース、公共施設、地交体主催の公演企画、ホールの企画監修などを手掛ける。また5つの大学と社会教育施設でも教鞭を執る。2016年よりドイツ在住。