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音楽をめぐる欧州旅「マヌエル・デ・ファリャとグラナダ」 Posted on 2023/02/03 中村ゆかり クラシック音楽評論/音楽プロデューサー ドイツ、エッセン

「グラナダにいると世界の中心にいるような、グラナダが小さなパリのような気がする。」
−マヌエル・デ・ファリャ

音楽をめぐる欧州旅「マヌエル・デ・ファリャとグラナダ」

©️Fundación Archivo Manuel de Falla, Granada

スペインの古都グラナダのアルハンブラ宮殿のほど近くに、作曲家マヌエル・デ・ファリャが暮らした家がある。
アンダルシアの海の街カディスに生まれたファリャは、30代をパリで過ごし、スペイン人作曲家として、その名を欧州中に知らしめた。第一次大戦を機に母国へ戻った彼は、おそらく自身の終の住処として、43歳でグラナダに理想の場所を求めた。

丘の上に立つそのまほろばは、空へと真っ直ぐに伸びる糸杉が植えられた眺めの良い小さな家だった。カディスの碧い海に似たコバルトブルーの窓枠に、白壁という外観がとりわけ目を引く。家の隅々に絵画や写真、日本の浮世絵も飾られている。プレイエル社製のアップライト・ピアノが置かれた8畳ほどの2階の居間には、ピカソやガルシア・ロルカはじめ、欧州中から文化人が集ったという。その部屋の窓からは、雪をまとったシエラネバダと、ファリャが愛したグラナダのベガ(平野)が広がっていた。丁寧な暮らしの匂いをそのままに閉じ込めたファリャの家で私は、もうすぐ戻ってくるファリャをじっと待っているかのような不思議な感覚を覚えた。

音楽をめぐる欧州旅「マヌエル・デ・ファリャとグラナダ」

ファリャの家 ©️CASA MUSEO MANUEL DE FALLA

音楽をめぐる欧州旅「マヌエル・デ・ファリャとグラナダ」

ファリャの家の居間からの眺め ©️CASA MUSEO MANUEL DE FALLA



スペインの南、アンダルシア地方に位置するグラナダは、イスラムとキリスト教、ロマの文化が混じり合う独特の魅力を放つ街だ。イスラム芸術の最高傑作アルハンブラ宮殿と離宮ヘネラリーフェ、ダロ川を挟んで対岸に位置する旧市街アルバイシンは、いずれも世界遺産で、宝箱のような景色が広がる。長い歴史を刻む街には、音楽やグルメをはじめ新しい文化も根付いていて、その新旧が刻むダイナミズムが、この場所と此処に住む人々を輝かせてみせる。

グラナダには、もう一つ大きな宝がある。それがアンダルシア地方に流れ着いた少数民族「ロマ」を起源とするフラメンコだ。アルバイシンとその東側のサクロモンテの丘には、タブラオと呼ばれるフラメンコ・ショーの店が並び、広場ではギターを奏でる青年に出会う。通りの木陰で無邪気にサパテアード(足踏み)をする少女たちの背中は、グラナダの糸杉のようにすっと伸びていて、白壁のカンバスの中で美しく揺れ動いていた。乾いた狭い路地で上へ向かってこだましていくそのリズムが、この場所へ続く、遠い人々の記憶を運んでくるようだった。

音楽をめぐる欧州旅「マヌエル・デ・ファリャとグラナダ」

アルバイシンの風景

音楽をめぐる欧州旅「マヌエル・デ・ファリャとグラナダ」



アンダルシアに生まれたファリャは、若くしてフラメンコに魅せられ、自身の代表作にその魂を次々と注ぎ込んだ。スペインから世界へとファリャを羽ばたかせたのは、故郷が生んだフラメンコの翼だった。円熟して、ここグラナダに住み始めたファリャは、友人ガルシア・ロルカと共に、国内初のカンテ(歌)・フラメンコのコンクールを立ち上げ、衰退を始めていたフラメンコの復興を試みている。

1939年、63歳のファリャは、スペイン内戦で友人ロルカが銃殺されたこと機に、アルゼンチンへと亡命。その後は、祖国へもグラナダへも戻ることなく1946年に同地で客死している。

グラナダの街には、今日もフラメンコが力強く鳴り響いている。ファリャもどこかでこの歌を聴いているだろうか。

音楽をめぐる欧州旅「マヌエル・デ・ファリャとグラナダ」

ファリャの家に置かれたファリャの帽子 ©️CASA MUSEO MANUEL DE FALLA
地球カレッジ
自分流×帝京大学



Posted by 中村ゆかり

中村ゆかり

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Yukari Nakamura
専門は、フランス音楽と演奏史。博士課程在学中より、音楽評論とプロデュースを始める。新聞、雑誌、公演プログラム等の執筆、音楽祭や芸術祭のプロデュース、公共施設、地交体主催の公演企画、ホールの企画監修などを手掛ける。また5つの大学と社会教育施設でも教鞭を執る。2016年よりドイツ在住。