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音楽をめぐる欧州旅「ニーノ・ロータとプーリア」 Posted on 2023/07/23 中村ゆかり クラシック音楽評論/音楽プロデューサー ドイツ、エッセン

ニーノ・ロータの名をご存知だろうか。
彼の名を知らない人も、彼の音楽はきっと耳にしたことがあるはず。

ロータの音楽は、多くの伝説の映画とともにある。
フランシス・フォード・コッポラの映画『ゴッド・ファーザー』シリーズ。
『道』、『8 2/1』、『甘い生活』などフェデリコ・フェリーニのほぼ全ての作品。
フランコ・ゼッフィレッリの『ロミオとジュリエット』。
ルキノ・ヴィスコンティの『若者のすべて』、『山猫』。
ルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』。
手がけた映画音楽は170本を超え、アカデミー賞やゴールデングローブ賞の作曲賞も手にしている。
ロータはクラシック音楽にも重要で膨大な作品を、またモーリス・ベジャールとも協働したバレエや演劇などの舞台作品、放送分野にも多くの作品を残している。

音楽をめぐる欧州旅「ニーノ・ロータとプーリア」

映画『ゴッドファーザー』 
TM & (C)1972 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. Restoration
(C)2007 by Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved. TM,
(R) & (C)2014 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.



眩しいほどのキャリアの一方で、ロータは本国イタリアでも時折、「イタリアで最も有名な無名作曲家」と紹介される。
それはシャイで秘密主義だったロータが、華々しい場所を避けていたことにも理由があるのかもしれない。
けれどそれはおそらく、ロータが心の真実を追い求めた人、誰かの「いいね」ではなく、自分の「いいね」を探し続けた人であったからだろう。
ロータを知る人たちは口を揃えて、彼は時代や流行を追わず、常に自分自身であり続ける勇気を持った人だったという。

そんなニーノ・ロータが愛し、多くの音楽を書き上げた場所。
それが、イタリアの南にある。
ブーツの形をしたイタリアの踵(かかと)に位置するプーリアだ。

音楽をめぐる欧州旅「ニーノ・ロータとプーリア」

プーリアの名所:アルベロベッロのトゥルッリ

プーリアは、地中海文化の地であり、古代ギリシャの時代からオリエントへの玄関口を担ってきた。歴史的に多くの国に支配されたことで、多様な民族と文化が混じり合う、活気ある風土が育まれた。

音楽をめぐる欧州旅「ニーノ・ロータとプーリア」

プーリアの名所:カステル・デル・モンテ(ロータはこの城の名の作品も作曲しています)

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プーリアは、イタリアが誇る食材の王国としても知られている。
「Cucina povera /クチーナ・ポーヴェラ」。直訳すると「貧しい料理」を意味するこの地方の伝統料理は、地元産の新鮮な食材を余すところなく活かしたもので、昨今は食のトレンドとしても注目されている。
アドリア海とイオニア海、2つの海からもたらされる海の幸と、広大で肥沃な大地から生まれる山の幸にも恵まれ、パスタ用の小麦やオリーブ・オイルのイタリア屈指の産地であり、葡萄の収穫高も国内トップクラス。小さくも個性的なワイナリーが多く存在する。
濃厚なブッラータ・チーズを生んだのもプーリアだ。

音楽をめぐる欧州旅「ニーノ・ロータとプーリア」

<オレキエッテ(耳たぶ型のパスタ)はプーリア発祥のパスタ。チーマ・ディ・ラーパ(イタリアの菜の花)のソースに、パン粉をまぶすのがプーリア流>

音楽をめぐる欧州旅「ニーノ・ロータとプーリア」

<初夏の野菜フィオリ・ディ・ズッカ(ズッキーニの花)の天ぷらと海の幸のパスタ。大勢でレストランへ出かけると、大皿で何種類ものパスタを楽しみます>

私もプーリアを何度か訪れるうちに、この地でいくつかの本物の味を知った。
パスタ、そのものがこれほどに美味しいのかと発見したのも、採れたての雲丹と搾りたてのオリーブオイルがこの上なく相性が良いことも、
生タコの最高の茹で方を教わったのもこの場所だ。

音楽をめぐる欧州旅「ニーノ・ロータとプーリア」

<魚のカラマラータ(イカリング型のパスタ)>

けれど、プーリアで私を最も魅了したもの。
それは何より、海と山に近い場所に育った私にとって、異国でありながらも、どこか懐かしさを感じる、この土地に生きる人々との出会いに尽きるだろう。
そしてそんな人々と食卓を囲む中で、プーリアに生きた音楽家、ニーノ・ロータについても深く知ることとなった。

音楽をめぐる欧州旅「ニーノ・ロータとプーリア」

<海辺で作業をする漁師たち。右側の建物は、ロータの名を冠した音楽院の旧校舎>

音楽をめぐる欧州旅「ニーノ・ロータとプーリア」

<海辺でタコを釣る漁師。プーリア一体の風物詩で、朝の海辺でよく見かけます>



ニーノ・ロータ。本名はジョヴァンニ・ロータ・リナルディ
(ジョヴァンニを短くした幼少の頃からの愛称「ニーノ」を、ロータはペンネームとして使った)。
1911年にミラノの裕福な音楽一家に生まれたロータは、11歳で作曲したオラトリオ(宗教的音楽劇)を、当時フランスでも上演するほど音楽の神童として名を馳せた。
イタリアとアメリカの名門で名だたる巨匠たちに指揮と作曲を学び、米国で伝説の指揮者トスカニーニにアシスタントとなるよう誘われるも、指揮者でなく作曲家になりたいと、母国へ戻った。

音楽をめぐる欧州旅「ニーノ・ロータとプーリア」

プーリアの名所:ポリニャーノ・ア・マーレ

帰国したロータは、プーリアの州都バーリの音楽学校(現バーリ国立音楽院)で教職に就いた。その後30年近くにわたり、院長として学校の発展に尽力しただけでなく、オーケストラや音楽祭の設立など、プーリアと周辺地域全体の音楽文化発展のため、多岐に渡る活動を行った。学生のために自費を投じた支援も惜しみなく行なっている。

ロータは、1979年に67歳の若さで亡くなるまで、映画音楽のためにローマへ行き、作曲と教育と自身の時間のためにプーリアへ帰る、往復生活をした。
プーリアでは、小さなシャワーとベッドを備えた音楽院の簡素な部屋に住み、学校から生徒がいなくなる夜9時になると、決まってピアノの前に座り、作曲に集中したそうだ。

音楽をめぐる欧州旅「ニーノ・ロータとプーリア」

<世界遺産の洞窟居住で知られるバジリカータ州(プーリアの隣)マテーラにもロータは1965年に音楽院を創設した>

ロータの愛弟子であり、彼をメンターと慕った指揮者リッカルド・ムーティは言う。
「ロータの心にはいつも、プーリアとオリーブの木と海があった」と。

プーリアの景色に身を置くと、ロータの代表作の一つ、映画『道』のテーマ曲が聞こえる瞬間がある。
風が色を纏うように、あのトランペットの音に生まれ変わると、私の心の中にある遠い記憶と目の前の景色が繋がって、いつかの懐かしい場所に座っているような不思議な感覚を覚える。
プーリアが私の田舎とどこか似ているからだろうか。
プーリアの大地と海から生まれたロータの音楽にも、私たち誰もが抱くような憧れと郷愁があるような気がしてならない。
それは人々が失くした何か。欲しいのに見つからない何かにも似ている。

音楽をめぐる欧州旅「ニーノ・ロータとプーリア」

映画『道』(1954年製作・公開)のポスター

自分流×帝京大学



Posted by 中村ゆかり

中村ゆかり

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Yukari Nakamura
専門は、フランス音楽と演奏史。博士課程在学中より、音楽評論とプロデュースを始める。新聞、雑誌、公演プログラム等の執筆、音楽祭や芸術祭のプロデュース、公共施設、地交体主催の公演企画、ホールの企画監修などを手掛ける。また5つの大学と社会教育施設でも教鞭を執る。2016年よりドイツ在住。