PANORAMA STORIES

夏休み特別エッセイ「ヒトナリ少年の思い出・学校編」 Posted on 2022/07/24 辻 仁成 作家 パリ

一つ君に言いたいことがある。つまり僕が言いたいのは、君はどうして学校に通っているのかということだ。学校に何故僕たちは毎日通わなくてはならないのか、明確に答えることができる者がどれほどいるだろうか。自分の意思で学校に行こう、と決めた人間がどれほどいるだろうか。僕はほとんどの人と同じように、そう決まっていたから学校に通ったクチである。最初から自分の意思で学校に通うようになったわけではない。幼稚園も小学校も中学校でさえ、僕は迷うことがなかった。なぜなら、行くのが当然だと教えられてきたからだ。

「みんな学校へ行かなければならない」、それが義務教育なのだと、ある日両親が僕に教えてくれた。義務なら仕方がない。だからみんな疑うことなく学校に通っているのだ。高校や専門学校や大学は少し違うが、それでも今の日本の社会においては上の学校へ行かないわけにもいかない構造がでてきてしまっている。そうやって僕たちは少しずつ教育を受けて社会へと出ていくシステムを背負っているのだ。その間、僕たちは大きく疑うこともなく学校に通い続ける。

僕は小学校の六年生の時、一度だけその学校を疑ったことがあった。ほんの些細なことがきっかけだ。友人のDが僕にこう言ったのである。

「よお、辻。どうして学校へ行くんだろうか?」

晴れた日の午後、学校帰りだった。

「さあ、どうしてかな?」

僕はそう言って笑った。Dもつられて笑い、そして僕たちは、いつもの交差点で右と左に別れた。Dと別れた後も、しかし僕はそのことがずっと頭から離れなかった。

地球カレッジ



次の日、僕は学校を休んだ。学校を休んだらどうなるのか、と考えたのだ。学校を無断で休むことは悪いことだと、両親に教えられていたから、ずる休みはそれなりに勇気がいった。休んだら、授業についていけなくなったり、みんなと話題を合わせていけなくなるのかもしれない、という恐怖があった。でも、僕は疑問を持った以上、それを試してみたくなったのだ。両親には、少し頭が痛い、と嘘をついた。それから、僕は子供部屋に籠もり、パジャマのままじっと時計を見て過ごした。

どうして学校に行かなくてはならないのか、僕は学校に行かないことでつきとめてみたかったに違いない。それまで僕は学校を一度も休んだことがなかったのだ。表彰されたこともあった。だから両親も、僕が休んだことを頭痛のせいだと疑わなかった。

静かに時間が過ぎていった。みんなが学校に行っている時間に、僕は一人部屋の中で時計を見ていた。それが学校へ行かない、ということだった。僕は、教科書を開いてみた。それからそれを閉じ、マンガを引っ張りだしてみた。しかしそれもすぐに閉じた。大好きだった絵を描いてみた。しかし二、三枚描いてみると、すぐに飽きてしまった。



僕はまた時計を見た。時計はチクタクチクタク時を刻んでいた。残酷だな、と思った。時間が過ぎていくのは残酷なことだな、と僕はその時思ったのだ。それから今頃みんな学校で何をしているのかを想像してみるのだった。一時間目は国語だった二時間目は体育だった。そこに僕がいない、ということが不思議だった。どうして僕がそこにいないのか。僕はまた考えた。

夕方、呼び鈴が鳴って、降りていくと、玄関にDがいた。Dは心配そうな顔でこう言うのだった。

「どうした? 具合が悪いのか?」

僕は首を振った。

「じゃあ、どうして学校へ来ないんだ?」

僕は答えられなかった。肩を竦めて、分からない、と呟いた。Dはくすりと笑ってから、鞄の中から給食のパンを取り出した。僕の分のパンだった。

「お前がいないと学校がつまらない。明日からちゃんと来いよな」

Dはそう言うと出ていった。僕は自分の部屋に戻り、そのパンを暫く眺めた。それからそれを齧ってみた。美味しくなかった。いつも学校で食べる時は、あんなに美味しかったのに、ぱさぱさなだけで、全然美味しくないのだ。

そして結局僕は翌日学校に戻った。普段と変わらずドッジボールをしてみんなと一緒に遊んだのだ。Dはうれしそうに僕にボールを投げつけるのだった。ボールがあたると痛かった。でも、その痛みが何故かうれしくて仕方ないのである。

これは教育ではなかったが、僕はあの時確かに学んだのである。学ぶことは、教えられることとは違う。自分で捕まえることなのだ。何故学校に行くのか、という問いに対して、僕はあの時から(間違えているかもしれないが)答えを一つ手に入れた。その答えは、友達に会うため、という答えだった。たったそれだけの答えだったが、僕は学校というものを理解したような気になった。今まで以上に好きになれたのだ。なんにも疑わずに生きてきたそれまでの自分とは随分と違う自分がそこにはいた。

今日まで、僕はいつも何故だろう、という疑問を捨てないできた。与えられた学校という社会を自分のものにするためにも、若者は疑問に対して怠惰にならないことを勧める。
一つ君に言いたいことがある。つまり僕が言いたいのは、君はどうして学校に通っているのかということだ。

夏休み特別エッセイ「ヒトナリ少年の思い出・学校編」

第6回 新世代賞作品募集
自分流×帝京大学



Posted by 辻 仁成

辻 仁成

▷記事一覧

Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。