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夏休み特別エッセイ「ヒトナリ少年の思い出・好きな人と組みなさい編」 Posted on 2022/07/23 辻 仁成 作家 パリ

さて、「好きな人と組みなさい」である。初めてその恐ろしい言葉を耳にしたのは、確か僕が小学生の頃だったかと思う。遠足の時で、先生は僕たち生徒を二人一組にさせる必要があったのだ。バスの席を仲良しどうし座らせようとしたためだった。

「いい、それじゃあ、皆好きな人どうし二人一組になってちょうだいね」

僕が激しく動揺したのは、言うまでもない(そういえば余談になるが、生まれて初めて動揺というものを経験したのもあの時だったのだろうか)。僕は右往左往し、慌てふためきそして最後には泣きそうになった。そう、友達付き合いのへただった僕には、僕と組んでくれるような友達がいなかったのである。そして僕がもたもたしているうちに、僕の周りでは次々に「二人一組」はできていったのだ。僕は僕と組んでくれる人を探しながら皆の中をくるくると回るのだった。

結局、クラスの人数が奇数だったため、僕は一人あぶれることとなってしまった。
「二人一組」になった幸せそうな友達たちは、そんな僕をかわいそうにという目つきで見るのだった。



同じ経験をしたことがある人なら、その時の僕の気持ちを分かって貰えるかもしれないが、なんともいえない敗北感なのである。僕はこのクラスの中で必要のない人間なんだなと、ものすごーく暗い発想をしてしまい、どうしようもないくらいひねくれてしまうのだった(余談になるが、あぶれないためのコツは、友達を選んだり、迷ったりしないことである。一番近くにいる、できれば隣の人にさっと目配せして、しかもどこか強引にカップルになってしまうことだ)。

仕方なくその日は、先生と一緒に席に座ることになったのだが、折角の遠足も台無しであった。あれ以来、僕はクラスからあぶれたような気になり、暫くの間、人間不信に陥ってしまった。その後、友達が出来にくくなったのも、あの時の経験が大きく尾を引いていたに違いない。



その後も、体育や遊戯や理科の実験や課外授業の時などで、「好きな人と組みなさい」は頻繁に行われた。クラスの人数が奇数の時は、仕方なく先生と一緒に組むことになるのだが(これもダンスの時なんかはなかなか辛いものがある)、何といっても、クラスの人数が偶数の時がまた凄い。
結局、最終的にあぶれる奴がもう一人できることになるからなのだ。そうすると必然的にそいつと組まなくてはいけなくなる。こっちも変わり者だが、向こうもさすがに最後まで残るくらいだからすごーく変わっている。クラスにおける最強コンビの誕生である。

ここで問題なのは、先生が言った「好きな人と組む」という意味からは随分と遠くなってしまうということであった。残ったものどうしが組むのだから、そこには大きな妥協が介在することになる。まあ、それも社会へ出るときのための訓練と割り切れば我慢しなくてはならないことなのかもしれない。そして先生たちもそうと分かってこの試練を与えて下さっているのだろう。僕は子供なからに、そういうふうに受け取り、これは協調性のための訓練なんだと自分に言い聞かせることで、乗り切っていったような記憶がある。



それでもこんなことがあった。小学校の五年生の、絵の授業だった。お互いの顔の絵を描くために組む必要があったのだ。あぶれたのは僕と、無口なW子だった。つまり、男が奇数、女が奇数のクラスだったのである。男子と女子がひとりずつ余ったことになった。他はみんな男同士、女同士の組みだったのに、僕たちだけが男と女のカップルになってしまったのだ。クラスメートたちの熱い冷やかしを受けながら、僕たちはお互いの顔を写生しあうことになった。暫くして、無口なW子が、ごめんね私みたいなのと組むことになって、と呟いた。何いってんだよ、と僕は言ったが、W子の気持ちが痛いほどよく分かる気がして胸がふさがる思いだった。

僕は絵を描くのが得意だったので、一生懸命、彼女の気持ちに応えるために絵を描いた。皆がいい加減に写生していた中で、僕だけが、本気になって彼女の顔を描いたのである。それはまた僕自身の心の中を描くということでもあった。僕には、W子の顔の表面ではなく、裏側に隠されているもう一つの素顔が見えていたのだ。

W子は決して可愛いというタイプの子ではなかったが、僕は彼女の顔を描くうちに、彼女の奥ゆかしい表情の美しさにも気づくことができたのだった。あの「二人一組」がなかったら、僕は彼女の存在にすら、ずっと気がつかなかったかもしれない。
そして、出来上がった絵は先生にも褒められるほどのものとなってしまった。クラスの連中も絵の中のW子を見て、感嘆のため息を漏らしていたのである。画用紙の中には、少し違った角度から見たもう一人の、そしてそれこそ彼女の本当の姿だと思うのだが、可愛らしいW子がいた。

地球カレッジ

二人はつきあったりすることはなかったが、それから「二人一組」があると彼女と組むことが多くなっていった。今もあの子の顔だけは、よく思い出すことが出来る。年中はにかんだ顔をした不器用な性格の女の子。あの子は、そして、僕白身でもあるのだ。

僕は六年生になると、遠くへ引っ越してしまったのでその後彼女と会うことはなかったが、画用紙に描いたW子の顔は今でも僕の心の中にはっきりと焼きついている。

教訓。好きな人と組んでばかりいると人間、小さくまとまってしまうものである。

夏休み特別エッセイ「ヒトナリ少年の思い出・好きな人と組みなさい編」

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Posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。