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日本をこよなく愛するシャネル日本社長、リシャール・コラス Posted on 2017/06/30 辻 仁成 作家 パリ

 
銀座に建つシャネルビルの存在が大きい。あのビルが出来てから銀座は急激に変化したように思う。

あのシャネルビルを建てたのがシャネル日本法人社長のリシャール・コラス氏だ。
50歳をこえて、彼は作家活動も開始した。

一度、彼に招待されて銀座の高架下の驚くほどに狭い、たしか4席しかないような居酒屋に連れて行かれたことがあった。日本人のわたしが知らない日本の味、人情、粋、歴史がそこには犇めいていた。コラス氏はしたり顔で、どこか無邪気な子供のように、銀座の隙間で生き生きと商売するその小さな小さな居酒屋を自慢してみせたのである。

ザ・インタビュー、日本をこよなく愛するシャネル日本社長、リシャール・コラス氏の経営哲学、文化意識に迫ってみた。
 

日本をこよなく愛するシャネル日本社長、リシャール・コラス

 
 コラスさんはとても日本語が堪能です。以前パリの日本文化会館で講演をされた時に、一人の若者が「日本語上手ですね!」と言った。そしたら、「何言ってるんだ。君より僕のほうが長く日本に生きているんだ」ってぴしゃりと怒ったんです。その印象がとっても強くて。見た目はフランス人ですけど、立ち振る舞いは日本人にしか見えないですね。

リシャール・コラスさん(以下、敬称略) もう日本に住んで40年ですから。今日ね、フランスから来たお客さんと食事をしていたら、日本人のレストランのウェイターがきて、「あなたが日本語をしゃべるときは、ボディランゲージまで変わるんですね」と言われました。それが自分では気付かないんですけど、やっぱり違うんですよね。

 僕もコラスさんが話されるのを聞いていて、フランス語で話している時と、日本語で話している時は印象が全然違いますよ。僕はコラスさんとは日本語でしか話してないから、僕の中のコラスさんのイメージは、武家の人のようなイメージなんです。コラスさんの前世は日本で武家だったんじゃないかな。だから今、鎌倉にお住まいなのかなって。

コラス 鎌倉に住んでちょうど12年です。ところで辻さん、フランス語完璧になっちゃってるね!

 完璧じゃないですよ。あまりフランス語は得意ではないですから恥ずかしいです。コラスさんは、パリの東洋語学校 INALCO (Institut National des Langues et Civilisation Orientales)出身ですよね。それからハーバード大学で研究されたそうですね。

コラス はい。ハーバードは、シャネルに入社してから会社が私を送ってくれました。一時、日本から出て、アジア地域のマネージングディレクターをやって、日本のシャネル社長として戻る前に私たちのオーナーが「お前はハーバードで勉強したらいい」ということになって。300年前、ルイ14世の外務大臣で、総理大臣だったコルベールが、その東洋語学校というのを作ったんですよ。当時はラングゾー(Langues O)って呼んでいたのね。

 その当時、もう日本語を教えていたの? 

コラス 教えていたんです。鎖国だったのに。1640年か1650年かな。日本の鎖国時代のど真ん中ですよね。

 僕は「どうしてフランスにいるの?」ってよく聞かれるのだけど、ヨーロッパにおけるフランス人ほど日本人を理解できている外国人はいないと思っているんです。ドイツ人やイギリス人、イタリア人よりも多分世界で一番、少なくともアメリカ人よりはフランス人の方がずっと日本の文化や歴史を理解できている。とくにジャポニズムが早かったですからね。17世紀にはジャポニズム入ってましたから。ラングゾーの学生時代のあと、フランス大使館に就職されて、その後いろんな歴史があって現在、シャネルの社長さんになられているんですけど。僕は、コラスさんが最初の作品を発表された時に、仲介者っていうのかな、日本人たちにコラスさんを紹介する役目みたいな形でインタビューさせていただいたんです。それが最初の出会いでした。あれは「遥かなる航跡」が出た時だから、もう10年くらい前かな。コラスさんの処女作ですよね? あの作品は何歳ぐらいの時に発表されたんですか?

コラス 10年前だから、54歳。遅かったんです。昔から執筆はしていたんですけど、自分はものすごく現実的な人間だから執筆だけでは生きていけないと思っていた。なぜ東洋語学校に行ったかというと、それは父からの影響でした。父から「お前は日本という素晴らしい国を観たほうがいいよ」と言われた。

 お父さんが日本を先に知っていたんですね。

コラス 父はエールフランスの機長だったから、日本にたびたび来てたんですよ。ご存知の通り、「遥かなる航跡」は本当のストーリーだから。最初はブラジルに行く予定だったけど、全然違う目的で日本に切り替えた。目的って、実はカメラを買う目的だったのだけど(笑)。そこでものすごく日本に惹かれて…。

 処女作であるこの「遥かなる航跡」は立派な長編ですが、何歳ぐらいから書き始めたんですか?

コラス 母の話では、7歳とか、自分で字を書けるようになってから、怒られた時は引きこもって詩を書いていたそうです。母はそれを未だに全部持っているんだよね。17歳の時かな、セリフを全部書いてね、それがアヴィニヨンのフェスティバルで選ばれた。

 それは戯曲ですか? 戯曲を書いたら、それがいきなりアヴィニヨンのオフの演劇に選ばれたのですか?

コラス はい。アヴィニヨンのオフの演劇フェスティバルに通っちゃった。なぜ通ってしまったかというと、当時ラジオで、「今夜の劇をみましょう」みたいな番組がありました。アニメーターがいて、彼は毎年アヴィニヨンのオフのフェスティバルのために原稿を送ってもらって、その原稿の中から選んで、それをアヴィニヨンに持っていくってことだったんだよね。私の場合は自分が書いたものを、母が内緒で送ったら選ばれたのです。

 それが最初の書くことへの感動につながったんですね。

コラス ええ、結局それが最初にパブリックに出たものだから。書く余裕のある仕事を選ぼうと思って外交官を選んだんです。フランスでたいへん有名な作家で外交官だった人が何人かいます。たとえば日本にも来た、ポール・クロデールとか。

 日本では専属で作家をやっている人間が多いですけど、フランスの作家って、みなさん編集者をやっていたり、副業というか他の仕事を続けながら作家をしている人が多いですよね。やっぱり、人口が半分ですから読者数も当然日本より少ないでしょうから。おそらく生活していくためにも必要なんですよね。文化的には非常に高いレベルなんですけど、日本の場合、エンターテインメントの本も売れるし、ご存知のように日本は新聞も1,000万部以上出ているし、1冊1冊の原稿料も高いですからね。

コラス そうそう、フランスはそんなに高くない。結果的には、私は外交官の仕事を2年ほど勤めて、これは一生続けるのはどうかなと思ったんです。だから民間企業に入った。民間企業に入ったらずっと忙しくなって、執筆する時間がなくなってしまいましたけれど。フランスでは4冊、これから今年の10月には5冊目がでます。日本は6冊ですね。日本の方が多い。

 僕が一番お聞きしたかったのは、コラスさんはとてもお忙しい。14年前にこれだけ立派なシャネルビルを銀座に建てるのだって一大プロジェクトだし、経営をメインにいろいろ意欲的にやってらっしゃる。マルチに活動されている中で、それでも執筆を続けている。この「続けている」ということが、僕は一番の評価だと思ってるんですよ。野心というか、書き続けようという意思はどこから来るのですか?

コラス 私は子供のころから色々な表現の中で「書くこと」が自分にとって一番簡単な表現方法だったんです。技術的に。自分が口では言わない、言いたくない、言えないことも、書くことはできる。自分の中にある暗い部分などについて「しゃべる」のは苦手っていうか「恥ずかしい」けれど、「書く」のは恥ずかしくない。不思議なことなんですけどね。
 

日本をこよなく愛するシャネル日本社長、リシャール・コラス

 
 シャネル本社としては、コラスさんが作家活動してることに対してはどういう反応なんですか? 

コラス うちの会社員がどう思っているかは分からないですが…。「遥かなる航跡」を出版したとき、日本語版が出て、フランス語版も出て、フランスですごく売れた。オーナーには当然ながら「ペンネームでなく自分の名前で出版します」と伝えたんですよ。シャネルの中で誰かが見つけた時、自分が何も言っていなかったら良くないから。それともう一つ、本の裏に僕のプロフィールが載るのだけど、集英社もフランスの出版社も、「シャネルの社長」ということは書きたかったわけです。だから許可をもらわなければ駄目だということで、オーナーに「彼らは私のプロフィールの中に、私が日本に住んでいて、日本のシャネルの社長だって言いたいんだけども、よろしいですか?」と尋ねたんです。そしたらうちのオーナー、なんて言ったと思う?

 なんて言ったんですか?

コラス 「我々の誇りです」と言ってくれました。すごく、いい会社です。オーナーは僕の本を全部読んでくれています。

 素晴らしい。

コラス そうそう。ひとつ言えるのが、創業者のココ・シャネルがすごい文化人だった。
彼女はアートのピグマリオンで、自分の周りに小説家や、音楽家、ピカソであったり、いろいろな人に囲まれて、彼女はその人たちを応援していました。あと一つは、オーナー自身が非常にオープンだということ。組織によっては、おそらく「名前は出すな」ということだけじゃなく、「書くなら仕事してもらったほうがいい。お前は書くと仕事する時間がなくなるんじゃないか」と言われるんじゃないかな。うちのオーナーはそうは思わない。まあ当然、私は仕事をさぼったりはしないですけど。自分自身の中に主義があって、週末しか書かないと決めています。日本人によく聞かれるんです、「お前、どこに書く時間があるの?」って。でも答えは簡単なんです。「私はゴルフをしないから」。そしたら「なるほど、確かに我々はかなりの時間をかけてゴルフをしている。行くのもプレーするのも時間がかかってる。その間、コラスは書く。あっ、そうか!」って突然、分かるんですよね(笑)。でも正直言って、「遥かなる航跡」がうまく行ってなかったら、私は怠け者だから執筆をやめていたと思う。ただ、売れてしまったから(笑)。

 失礼ですけど、フランスでどれぐらい売れたんですか?

コラス 10年経って、10万部。ポケット版にもなっています。私もびっくりしてますけど、いまだに売れている。フランスから仕事で日本に来る新しいエキスパートたちが私に会う時、「シャネルのコラス氏ですね」ではなくて、「あっ、『遥かなる航跡』の」という(笑)。「なんでわかるの?」と言うと、「日本に赴任が決まった時、周りの人はみな、あなたはこの本を読むべきだって言うんです」って。いつの間にか…。

 なるほど! 現代の日本を知るためのガイドブックになってるんだ。

コラス ということになってるみたいです。幸せだなあ。2冊目の「紗綾―SAYA」が出て、ある日、母から「あなたは、文学賞にノミネートされてることを知ってますか?」という連絡が来たんです。自分は「えっ、ママ何言ってるの? そんなことはありえないよ」って言ったら、「いや、目の前に雑誌があって、あなたの顔が他の3人といっしょに出てるんだよ」って(笑)。

 へえー。何の賞だったんですか?

コラス PRIX CULTURE ET BIBLIOTHEQUE POUR TOUSという賞。フランスの「ゴンクール賞」のように有名ではないけど、非常にまじめな賞です。なぜかというと、フランスの1800人の図書館の館長たちが選ぶ本なんです。その賞の最後の4人の候補者の一人に選ばれて、毎月母が読んでいる雑誌に僕の顔写真が載っていたもんだから、母はびっくりしてしまった。周りに連絡したら「これはすごい。最高の賞だ。お前がもらったら最高だ」と沸いて。それで、賞をもらいました! だから、それもモチベーションになった。自分が言いたいこと、自分が書きたいことを書くときって興奮するよね。クライマックスだよね(笑)。

 おめでとうございます。経営の方でも文学のようにエキサイトするということはありますか?

コラス いっぱいあります。例えば、シャネルビルの土地を買収した時。入札だったから、勝つか負けるか分からなかった。

 一等地ですもんね。

コラス そう! ここには色々な高級ブランドがありますが、唯一のオーナーは我々だけなんです。他のブランドはみんな借りている。入札でダイエーさんから買ったので。そういう興奮もあるし、いいアイディアがあってそのアイディアが実現できるかとか…。例えば、2年半前に私は自動販売機を作りたいなと思ったんです。ラグジュアリーと自動販売機はまったくつながらない。冗談じゃないかって思うでしょう? コカ・コーラの隣にシャネルを売る自動販売機があったら、みんな「イメージ的になにこれ?」ってなる。でも私は自動販売機のイメージが悪いのはなぜかと考えて、お金をいれたら、商品が「ダバダバダバダバ」って音をたてながら落ちてくるところだと思ったんです。シャネルで商品が落ちてくるってね、お客様にお渡しするときに、「はい」ってすることはありえないじゃない。逆に、「はーい」ってね。

 上げなきゃいけない(笑)。

コラス だから、我々の自動販売機、「リップゲート」は商品が上がってくるんです。もしくは、物のままじゃなくて、ちょっとしたペーパーバッグの中に入って出てくる。そのイメージが浮かんできて、昔からずっと考えていたんですけど、2年半前には、お客さんはそういうことに抵抗がなくなってるんじゃないかと思ったんです。それでうちの社員に「開発してみよう」と言って開発したんです。もちろんフランスには内緒にして(笑)。最初から言っていたら「お前、何言ってるの? 完璧にクレージーになった」って言われるから。内緒で作って、出来た時に初めてフランス人たちにビデオに撮って見せたんです。そしたら、あまりに美しいからみんな驚いた。みんな「欲しい!」と言っています。だから今、我々は、グッドタイミングなんですよ。自動販売機とラグジュアリーは関係ないじゃない?

 すごく面白い話です。はい、自動販売機とシャネルはつながらないですよ。

コラス でしょ! でもね、シャネルだからできることもあるんです。例えば、他のブランドがやったら「えー、何これ?」ということになるけれど、シャネルだから、「はあ、やっぱりシャネルだからこんなことするんだ」となる。シャネルの創業者がいつも決まったことではなく、新たなことを革新し、考えていた。髪を短くしたのはココ・シャネル。女性もパンツを履いてよいと決めたのもココ・シャネル。当時社会の中で考えられなかったことをやってたから、うちのお客さんや消費者たちは、他のブランドだったら「何考えてるの?」となってしまうところを、「やっぱり、シャネルだから! なるほど」ということになる。
 

日本をこよなく愛するシャネル日本社長、リシャール・コラス

ⓒCHANEL

 
 シャネルは非常に文化的にも哲学的にも精神的にも安定しているし、歴史もあるし、一代でずっと続いている老舗の会社。だからこそ、こういう独創的なことをやっても評価されるんですよね。

コラス この会社だからできる。他の会社で私が単独で誰にも何にも言わないでそんな商品というか、機械を開発したりしたら、クビ、絶対!

 そりゃそうですね。

コラス 他の会社で私が小説家になるって言ったら、「お前やめろ。どっちかにしろ」と言われるでしょう。うちの会社には、そういうことができる文化があるから。私はシャネルに来て33年になるけど、間違ってなかった。自分に合ってる会社。

 コラスさん、ところで、毎日どんな仕事をされてるんですか(笑)? 一日、会社に来てから、帰るまで何をされてるんですか?

コラス (スタッフに)私、なんの仕事してますか(笑)?

スタッフ 私、説明できないですね(笑)。

コラス 何もしてないよね(笑)。辻さんは、たいへん面白い質問をしているよね(笑)。私が一日、何をしてるかっていうと…、うーん。いろいろなリーダーの見方で違いがあるかもしれないけれど、アイディアを発信して、会社の人間がそのアイディアに乗って、それが実現することによってうちのビジネスが良くなるっていうこととか、そのきっかけを与える。ただ、人によって、経営者が決めてしまった方がうまく行くと思うけど、私はどっちかというとそうじゃない。社員たちにはフォローしにくい部分があるかもしれないんだけどもね。我々のオーナーが「コラスくんみたいな人は会社に一人いるのはいいんだけど、二人いたら、会社はつぶれてしまう」と面白いことを仰っる。でも、私もそう思う(笑)。

 なるほど。僕は本当に、毎回コラスさんに会うたびに不思議なんです。コラスさんってこんな立派なビルで何をしてるんだろうって。日本法人の会社ですから、製品はフランスから来るわけですよね? そうすると一番の仕事は何ですか? 商品を売るということですか? それともイメージを日本に伝えるということですか?

コラス 商品を売るっていうことは当然ですけど、そうではなくて、いかに我々のブランドイメージを我々の理念通りにお客様に分かってもらえるか、ということが根本的な仕事です。
 

日本をこよなく愛するシャネル日本社長、リシャール・コラス

ⓒCHANEL

 
 その理念というのは、簡単に言うとどういうことですか?

コラス シャネルの理念とは、消費者の頭の中ではいつもTop of Mindであること。シャネルが一番素晴らしいブランドであるということ。あとは我々の創業者の理念を伝えるということ。例えば、私がなぜネクサス・ホールを作ったかというとそれなんですよね。なくてもうちの商品は売れると思うし、あるから商品がもっとたくさん売れるということでもない。それは、我が社の根本的な哲学を理解して頂くためなのです。

 つまり、シャネルの商品というのは、シャネル社の根本的な精神が注入されているものだから長くブランドとして愛されている、ということですよね?

コラス はい。我々はアルチザンとして、ものづくりにすごくこだわっている。結局、自分でクリエイションして、自分で作って、自分でお客様に渡したい。

 全部をやってますよね。宣伝まで全部自分たち。

コラス はい。それがヴァーティカル統合と呼ばれるものなんですけど。まず、いいものを作るというのがものづくりで大切ですよね。この建物を建てた時、私は300回ほど工事現場に来たんです。自分の目で見て、見ながらうちの建築家と話をして、いろいろアイディアを出しました。私はただ座ってお金を払うだけでは、自分の仕事じゃないと思っていた。建物を建てるだけなら、建築会社があって、エンジニアがいて、建築家がいて、デコレーターがいるけれど、私は何もしないでただ予算をコントロールするだけでいいかも知れないけれど、それは一般的な経営者のやることだと思います。私は、自分で見ながらどうやってベストを尽くすかということを考えている。
 

日本をこよなく愛するシャネル日本社長、リシャール・コラス

photo by nagi

 
 コラスさんはそういう一般的な経営者ではないということですよね。

コラス 建築家でもないし、建設会社でもないし、自分の考え方を通用させるには自分で見ないといけないよね。だから工事現場には最初から顔を出していた。穴を掘ってる時から。何にもない鉄骨しかない時に、真夜中に頂上のところへ命綱をつけて上がった。建設会社は「落ちたら大変だ」とすごい心配していたけど、私は「落ちたらタダのPRになるからいいじゃないか」と冗談を言っていた。若い職人たちが上がって鉄骨をつけるのね。それを真夜中に見ていて、その時まで私は建物を建てたことも作ったこともない。車でただ横を通る時も、「あーすごいな。機械がつくるんだ」と思っていた程度だった。でも実際、中に入ったら機械じゃなく人間が作っていることに初めて気が付いたんです。若い職人たちは、自分の仕事にすごく誇りを持っていると感じた。その時に、5年か10年経って、自分が結婚して子供が出来て銀ブラした時、「パパがこの建物を作ったんだよ」って言いたいだろうって、頭の中にイメージが浮かんで来たんです。この人たちの名前がどこかに刻まれていて、息子や娘に「ほら、パパの名前がここにある」と伝えるイメージが浮かんだ。それで、建設会社の方にお願いして、一番見えるところにプレートをつけて、そこにこの建物を作った人たち全員の名前を載せることにしました。

 関係した人たち、全員? 何人ぐらいになったんですか?

コラス 2,500人です。例えば、交通整理したおじいさんも。交通整理を一所懸命してくれたおかげで事故はなかったし、無事にこの建物が出来たから、この人の役割も大切。

 それどこかにあるんですか、ビルのどこかに?

コラス はい、後でお見せします。大成建設の社長は、私がこのお願いをしたとき、まず困っていた。なぜかというと、下請けの下請けの下請けのって全部の人の名前を探さなくてはならないから。私は「一人でも抜けては駄目」と言ったんです。そしたら、彼は感動して泣いてしまった。こんなことを聞かれたことがない。そこまで自分達の仕事を分かってくれるクライアントに会ったことがない、って。だから、名前全員分書いてあります。

 すごいですね。

コラス 今は、もう一つ建物を建てる途中なんですが、同じく大成建設にお願いしています。どうも最初から彼は職人の名前を書いたノートブックを作ってるみたいです。これはシャネルのスピリットなのです。我々の会社というのは、うちのオーナーの考え方もあるんですけど、「あなたの成功のもとは何ですか?」と尋ねると、オーナーは2つの言葉をあげます。一つは「クリエイション」。もう一つは「人間」です。だから彼は人間をものすごく大切にします。もう一つ私は、オーナーに聞いたことがあるんです。だいぶ昔に、「人を採用する時、面接では何が大切なポイントですか?」と。どんな価値観を求めているのかと聞いたら、すごいびっくりしたんですが、彼が「優しい人」と答えたんです。

 優しい人であるべきだと言ったんですか?

コラス ビジネスって決して優しくないじゃない? ビジネスはタフでなければならない。ネゴシエイションのハードさとか、そうじゃない? でも、「優しい人」というのが答えだった! 優しい人こそ「人」にアプローチするし、人と心を開ける。我々が売っているものは商品だけではなく、一つのロマンでもあるから。

 そうですね。シャネルにはロマンがある。

コラス それぞれのお客さんがシャネルに近づくと、どっかにね、ココ・シャネルが浮かんでくる。だから優しい人のほうが非常に我が社に合っている。我々のブランドの正しいところが伝わっていく。

 ちなみにオーナーの方も、名前はシャネルなんですか?

コラス いえ、違います。彼のおじいさんがココ・シャネルと出逢って、友達になってビジネスを一緒にやっていたんです。もう長いストーリーになるんですけど。今は3代目です。

 いい話ですね。ここで一つ本質的な質問をします。お答えにくいかもしれませんが、今ブランドは厳しい時代じゃないですか。どっちかっていうと、全世界的には。特に日本はブランドは冷えてるんじゃないのかなって思う。名前は出せませんけど、大衆受けするファストファッションが日本では非常に流行って、まあすでに下火ですけれど、一時期それがブランド離れみたいな感じもあったじゃないですか、十年ぐらい前とか。シャネルがずっと維持できたっていうことは、そういう理念を持って続けてきたからということですよね。

コラス そうですね。僕だけじゃなくシャネルの社員にとってもそうなんですけど、私がいつも新卒社員に言うことは「君たちの仕事はブランドを『守る』のではなく、ブランドを『生かす』ことです」と。ブランドを「守る」というと、すごく引きこもってしまう。

 ブランドを守るのではなく、生かしていく。

コラス それが答えだと思います。いかに我々のブランドが生き生きして、いつでもお客さんが来るとドキドキして。一つはね、お客さんはシャネルからサプライズを待ってるんだ。いつでもね。次はどんな風に驚かせてくれる?って。だから「リップゲート」もそれなんですよ。「あー、やっぱりまた、シャネルは驚かしてくれたんだ!」ってね。すごくエキサイティングで。

 エキサイティングでサプライジングで。

コラス 結局、ブランドが「生きてる」ということ。それが私だけじゃなく、社員のみんな一人一人の役割なんです。だから最初はもちろんブランドの理念、我々の哲学、また我々が絶対にやらないこともあるんですよね。それを理解してよく勉強したうえで、「生かす」ようにしなさいって。私が唯一リーダーシップをとっていることがあるとすれば、社員たちにその道を見せるということ。自動販売機を作ることを怖がらないでください、と。自動販売機をシャネルが作ることは従来であれば考えられないこと。でも考えることはできるし、自分の仕事の中で、「これはできるかな」ということがあれば、怖がらず自分のレベルでやってみてほしい。行き過ぎないようにしながら、いかにシャネルらしく見せるかということ。それが私たちの大切な仕事なんだと思います。

 ありがとうございました!

          

日本をこよなく愛するシャネル日本社長、リシャール・コラス

 
 

Portrait photography by Kazuhiro Watanabe

posted by 辻 仁成