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文化を創る建築家 佐野文彦「おもしろき こともなき建築を おもしろく」 Posted on 2017/11/18 辻 仁成 作家 パリ

 
世界各国に「茶室」を創る男がいる。
新しいビルをどんどん増やす建築なんておもしろくない! 昨今、失われつつある古き良き日本の文化、精神を、男は建築を通し世界に発信し続ける。「茶室」を鍵に、日本のみならず世界に ”文化” を植え直していこうとしているのだ。

建築をおもしろく。ザ・インタビュー、若き建築家 佐野 文彦の建築とは文化を創ること。
 

文化を創る建築家  佐野文彦「おもしろき こともなき建築を おもしろく」

 
 佐野さんはどうしてオランダ・アムステルダムへ行かれたのでしょうか?

佐野 文彦さん(以下、敬称略) 昨年末に文化庁から「文化交流使というものに指名され、派遣する人材の候補に入っているので、興味を持っていただけるなら打ち合わせをしたい」という連絡を頂きました。世界中を回って海外の人たちと交流して来てくださいというプログラムなんですけど、その交流を通して日本文化を海外に広めるというのが目的です。行く場所などは僕自身が選べますし、良くも悪くも放置されるので、自分で全てのプロジェクトを作る感じなんです。その時ちょうど駐日オランダ王国大使館の広報・政治・文化部の方から、「どうしてもヨーロッパで何かをやるというとパリやロンドンで、オランダのような小さい国はなかなかフォーカスされない、だけどデザインでも色々なことをやっているし、昨年は日本オランダ国交400年ということで日本とも交流があるから、ぜひオランダに行って欲しい」というようなことを言っていただいて、アムステルダムに行ってみようということになったんです。文化交流使は最短1ヶ月、最長1年という期間が決められているんですが、僕はトータルで9ヶ月くらい行きました。

 文化交流使はどこからお話が来たんですか?

佐野 文化交流使に関しては文化庁から突然メールが届きました。審査委員会のようなものがあるようで、そこに何人か候補の名前があがって、2人以上の推薦があれば決まるそうです。委員自体が誰なのかもわからないので誰から推薦して貰ったのかもわからないんです。公表されていないので。

 そんな組織があるの知らなかったです。文化交流使を務めた9ヶ月間に何をされたんですか?

佐野 職人になってから今までいろんな伝統工芸や職人、材料などの世界に触れてきましたけど、日本ってこの数十年で本当にたくさんの技術、素材、知識などの文化が失われてしまったと感じていたんです。職人の平均年齢は60歳を超えていて後継者問題が目の前にあるのにクールジャパンとか言っている場合ではないし。そんなところにこの海外派遣の話が来て、世界中の、ローカルな文化を見て肌で感じたいと思った。そこで、世界中のいろんな国で、現地の材料を使って現地の人と、現地スタイルの小屋を建てる。そうやってできた空間で、お茶の本質であるもてなしを、現地流の形でやってもらう。そんなプロジェクトを始めました。それを実現するために、世界の16か国、32都市へ行きました。もっと行ったかもしれないです。まず打ち合わせをしにいって、そこから話が進まなかったものもたくさんあったけれど、いくつかは実現するところまでいきました。アムステルダムに行くと決まったらオランダ駐日大使が美術館やロイドホテルなど、いろんな施設を紹介してくれて、僕が考えているプロジェクトの話をしたら、それをロイドホテルで実現できたらいいなという話になりました。
 

文化を創る建築家  佐野文彦「おもしろき こともなき建築を おもしろく」

ロイドホテル、オランダ

 
 ロイドホテルというのはオランダのアムステルダムにある有名なホテルですよね。実際にロイドホテルでされたことをお聞かせください。

佐野 ロイドホテルはアムステルダムの中でもデザインやアート関係では知らない方はほぼいないような、ホテルだけれども文化施設として人々のハブになっているような場所です。ロイドホテルの特徴は、ホテル自体が1つ星から5つ星まで全てのランクの部屋があることと、部屋の内装が全て違うということですね。シャワーがない部屋もあるし、メゾネットになっていてグランドピアノがあるようなすごい部屋もあるという。そこで、一部屋の内装を任され、デザインして、プレゼンして、施工まで自分たちで全部やることになりました。もう完成して、今はお客さんが泊まっている状態ですが、これからも僕が日本から行く度に何かを少しずついじっていって欲しいと言われています。「変わり続けるホテル」というか。それがコンセプトです。部屋自体は120室ほどありますね。

 聞いたことない仕組みですね。それにしても、すごい好意的に受け入れてくれたのですね。珍しいケースじゃないですか? いきなりポンと行った国で、有名なホテルの一室を任せられる。どうやって9ヶ月間で内装のデザインから施工までされたんですか? 何日くらいで完成したんですか?

佐野 それが、打ち合わせをしてリサーチ、コンセプトを決めて、プレゼンも終わり、いざ実際に作る段階になった時点でVISAが全然足りなくなってしまって、19日間で仕上げました。材料を加工するところから、完成まで。

 え? 9ヶ月間いた中の19日間?

佐野 はい、EUに滞在していられなくなって、文化庁、オランダ大使館、日本大使館などいろいろネゴシエーションしてもらったんですが、移民局へ行けと言われて。移民局のアポを取ると言ってもアポが取れるのは1ヶ月先とかですから……行ってられないと思って。

 それで、さらの状態から完成までを19日間で……。

佐野 むちゃくちゃですよね。もちろんそれまでにいろんなところを紹介してもらってリサーチしたり、図面を作ってプレゼンしたりだとか、ロイドホテルの人に洗面やシャワー、照明など設備に関わる部分は準備してもらいましたが、実際に着工してからは19日間で終わらせました。その間に他国でやっている他のプロジェクトも動かしつつ……。
 

文化を創る建築家  佐野文彦「おもしろき こともなき建築を おもしろく」

ロイドホテル、オランダ

 
 アムステルダムのロイドホテルと他にも何かされたのですか?

佐野 フィリピンのネグロス島で、材料が全部ヤシの木、屋根もヤシの葉でできた家を建てました。そちらも現場で施工したのは10日くらいです。土地や近くの半島なんかを持っているフィリピン人のマダムを紹介してもらったんですが、その彼女の家や半島の管理をしている人が3人くらいいるんですね。自分が歳をとって死んでしまったら土地や半島を売らないといけなくなるかもしれない。そうすると彼らが生活に困ってしまう。だから、カフェを作っておけば彼らは料理や接客をして生活していけるだろうということで、自分の敷地内にカフェを作ったんです。それでも敷地はまだまだ余っているので、そこに僕が何かを作ったら話題にもなるし、日本とフィリピンの交流として注目されるだろうということで茶室を作らせてもらいました。

 彼らは茶室を理解しているんですか?

佐野 理解はしていないですけど、僕もオーセンティックな日本のお茶を押しつけるつもりはなくて、ただそこに定義された空間があるということ、そこで彼らが最終的に違うもてなしのパーティーをやってくれたらいいと思ってます。

 ステージのような感じなのですかね?

佐野 そうですね、「晴れの場」ですね。

 同時にいくつくらいのプロジェクトを実行したのですか?

佐野 結局、6個くらい建ちました。展覧会の中に参加したものが2つ、今も残っているもの、まだ工事を続けているものが4つです。まだ最後の部分が仕上がっていないというのがあるんです。
 

文化を創る建築家  佐野文彦「おもしろき こともなき建築を おもしろく」

フィリピン、ネグロス島

文化を創る建築家  佐野文彦「おもしろき こともなき建築を おもしろく」

フィリピン、ネグロス島

 
 ひょっとして、その期間中にパリ、サンジェルマン地区にある文化サロンMIWAもされたんですか?

佐野 MIWAは文化交流使になる前ですね。2012年くらいです。MIWAは、名目はラッピング屋さんなんです。「折形(おりがた)」と言われる、日本の「のし」に代表される、神様に食事を包むカタチというのがあるのですが、食べ物を包むときに2千種類くらい折形のカタチがあるといわれているんです。包みをもらったときに相手が、「あ、もうこんな季節ですね、こんなものを頂いて、ありがとうございます」と、包みを開けずに会話ができる、そういう無言のコミュニュケーションができるような洗練された文化が、戦前の日本にはあったんですね。今ではもう失われてしまったその文化をパリに持って行こう、最後はフランス人に教えてもらえるくらいになるまで大きく広まれば素晴らしいな、というのがクライアントのコンセプトで。折形だけではなく、現地の人と交流していろんな文化を教え合える場所を作りたいと思ったことからMIWAができました。

 そこはどれくらいかかったんですか?

佐野 あそこは結構かかりましたね。数か月かけて日本からヒノキを輸出して、現場で施工しただけでも3ヶ月かかってますから。1回にヨーロッパに滞在できるのが3ヶ月なので……。

 そちらはどこからお話が来たんですか?

佐野 クライアントが日本人なんですけど、彼はもともと映像制作などをやっていた方で、日本で知り合いました。

 なるほど。その後、9ヶ月間、文化交流士としてフルで活動されたのですね。今現在、東京に帰られて、それは大きな刺激になりましたか?

佐野 日本が全てじゃないし、日本にいることだけが大事でもないというか、少し外側から見られるようになりました。
 

文化を創る建築家  佐野文彦「おもしろき こともなき建築を おもしろく」

MIWA、パリ

文化を創る建築家  佐野文彦「おもしろき こともなき建築を おもしろく」

MIWA、パリ

 
 佐野さんにとって建築とは何ですか?

佐野 文化ですかね。建築物というよりは、どんなものを作って残していくのか、というようなことを考えるようになりました。

 僕は勝手に佐野さんに対して職人というイメージを持っていて、日本独特のカンナで木を削ったり、そういう和のイメージがとても強かったのですが。

佐野 僕が他の建築家と全然違うところは、もともと数奇屋大工というお茶室や料亭を作る大工出身であるということですね。なので、おっしゃるように自分でカンナで仕上げることもできる。

 大工をされていて建築家になっていくわけですよね。

佐野 はい。昔スポーツ、競輪をやっていたんですけど、挫折して、この先何を目指して生きていこうかと夢を失っていたんです。その時に、たまたまずっと気になっているけど、ものすごく入りにくい建物があって、ある日思い切って入ってみた。そしたら、そこが家具屋さんだったんです。薄暗くて何を売ってるのかわからないようなお店だったんですけど、上のフロアに案内されて行くと北欧家具のアンティークがゴロゴロしていて。フィンユールのオリジナルなんかもたくさん。京都の興石というお店です。北欧家具の知識がなくてもすごいなって思いました。それで、そのとき突然、お店のスタッフの方から、「もしよかったらアルバイトしませんか?」と言われたんです。それで、北欧家具を並べたり梱包したりするアルバイトをすることになって、いろいろ調べていくと建築が面白いなと思い始めました。たとえば、プロダクトで有名なアルネ・ヤコブセンはとてもメジャーなデザイナーですけど、ヤコブセンは建築家なんですね。建築家になると彼のようにいろんなことをやれる可能性があるんだ、と思いました。それで、これも偶然なのですが、その家具屋の社長は工務店の親方でもあったんです。工務店が家具屋もやっているという。数奇屋建築の茶室や料亭、住宅を作ってるんですけど、工務店の作品集の施工履歴書みたいなところをみたら、クライアントにはジョン・レノンや松下幸之助、世界各国の大使館や美術館の名前があって驚きました。それで、家具屋の裏口にあったその工務店に弟子入りすることに決めたんです。

 いきなり競輪からそこに入っちゃったんですね。そこでどれくらい修行されるんですか?

佐野 住み込み寮で5年ちょいくらい働きました。それで、弟子から職人になるという時期を機に建築家になりたい、と親方に思いを打ち明けてやめました。そこから2ヶ月間初めての海外旅行に出て、ヨーロッパの建築を見て回ったんです。その後東京の設計事務所に通い、退社してからはデンマークの友人のところに連絡して、またデンマークにいくことにしました。海外を旅行したことはあっても本当の生活をしたわけではない。どこか外国である程度住んでみたいと思ったんです。でも、行ってみたら友人がPP MOBLER(PPモブラー)で家具を作る仕事を手配してくれていて、2ヶ月働くことになりました。

 建築士の資格はいつ取得されたのですか?

佐野 大工をしている時に勉強して、大工をやめた後に取得しました。

 今現在は何をされているんですか? コンペとかもされているんですか?

佐野 デンマークから日本に帰ってからはずっと自分で建築事務所をしています。今はいろいろなプロジェクトがありますが、一つは滋賀で旅館のコンセプト作りからのリノベーションをしていますね。東京とは違うので、地域の魅力をどう引き出すかが大切です。コンペはやっていないです。自分が大切だと思う仕事を優先して、その積み重ねで大きい仕事が来るようになっていけばいいかなと思っています。
 

文化を創る建築家  佐野文彦「おもしろき こともなき建築を おもしろく」

MIWA、パリ

 
 これからのビジョンというのは? これだけは守っていきたいということがあれば教えて下さい。

佐野 大事にしていることは「文化をどうやって作っていくか」ということですね。今の東京はちょっとつまらない。とにかくデベロップ、デベロップという感じで、新しいデザインが無いまま、人口が減少して地震も控えていて社会システムが大きく変革するという不安に対して、とにかく目くらましのように開発して、どこで破綻するのかわからないけど行けるところまで走ってる、という感じじゃないですか。
そういうモデルを見ていても何も面白いと感じないですし、みんなとりあえずオリンピックがあるからとそこに向かってやってるというだけの感じがする。日本人ってみんな東京が一番いいと思ってるけど、ヨーロッパへ行った時に、ヨーロッパの人と話すと、よく「東京は大きすぎる」と言われる。自分に合った身の丈を知るというか、どういうことが自分にとって合っているかを考えるということ、それが地域が持ってる魅力をどう膨らませるか、ということに繋がっていく。それが、文化を作るということなのかな、と思います。
どんどん大きいものを作るとか、お金を生み出すことだけがいいわけじゃない。自然とか、歴史とか、文化とか、自分の力だけでは作りだせないものをどうやって積み重ねていくかということ、かな。

 佐野さんには神社とか作ってもらいたいですね。日本に新しい風を吹かせて欲しいです。将来は?

佐野 神社とか、オペラとか、物質としてではなくともずっと残っていくものを作りたいですね。自分の名前を残したいとは思ってないけど、「昔、佐野文彦っていう人がいてね…」というくらいに。地元である奈良や京都のためになるようなこともやっていきたいですね。教育とか。あと、ブランドとかも作りたいなと思っています。ただ単に建築家をやり続けるんじゃなくて、新しい表現やビジネス、サービスを探すというのに興味があります。新しい価値をどうやって生んでいくか。骨董屋とかにも興味がありますよ(笑)。
 

文化を創る建築家  佐野文彦「おもしろき こともなき建築を おもしろく」

 
 

posted by 辻 仁成