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「サグラダ・ファミリア、生誕のファサードの秘密」外尾悦郎氏との対話。 Posted on 2022/04/10 辻 仁成 作家 パリ

※ このインタビューは2017年2月にバルセロナの外尾氏を訪ね、対談した時のものです。今、再び、大きなうねりの中に浮上するサグラダ・ファミリアの実態がここから見えてきます。

サグラダ・ファミリアが2026年に完成するというニュースが世界中を駆け巡った。
完成までに300年かかると言われていただけに衝撃的なニュースであった。
驚くべきことに予定されていた工期を150年短縮することになる。完成までに、わずか9年しかない。
いまだ姿を現していないイエスの塔は173メートルもの高さがある。
正面玄関となる栄光の門はいまだ何一つ着手されていない。
現代の技術をもってすれば、9年もあるじゃないか(現在は残り4年・・・)、ということになるのかもしれない。しかし・・・。

完成というコトバの先にあるサグラダ・ファミリアの未来について、芸術工房監督の外尾悦郎氏に訊いた。
 

「サグラダ・ファミリア、生誕のファサードの秘密」外尾悦郎氏との対話。

 
 サグラダ・ファミリアが2026年に完成すると言われてますけど、これ簡単なことではない、いや、もしかすると無理なんじゃないかって思うことがあるのですが・・・。ホラティウスの名言が『ガウディの伝言』(外尾悦郎著)の中でも引用されていましたが、「明日のために生きるよりも、今日できる最大限のことをやる。それを重ねることが大事なんだ」と。ここね。何となく、外尾さんは、2026年に完成しないと思っているのじゃないかって、深読みできなくもない。これを完成させてしまうことが良いことなのか? 人類が次を目指さなくなるのじゃないか・・・と危惧されているように感じ取れなくもない。僕はこの20年でここに5回ほど足を運んでいます。何回か訪れているうちに毎回少しずつ変わっていく様を見てきました。その変容の中にガウディは人類へのメッセージを込めているようにさえ感じた。サグラダ・ファミリアそのものがある種キリストの教えに沿うもので、ガウディによって計画された。その思いや遺志を弟子たちや外尾さんが受け継いできた。遺志が受け継がれていく中でサグラダ・ファミリアも出来上がってきた。まるで大きな1本の樹木のように。そういう意味でこれが完成してしまったら、人類は次を失ってしまうような気がしないでもない。

外尾悦郎さん(以下、敬称略) 辻さんが仰りたいことはよくわかります。それは大変重要な気づきで、何か大きな腱を切る、筋肉と骨を繋げているものが切れちゃう。そんなことなのではないかなって思います。でも、僕も内部の人間だからね(笑)。 

 お話できる範囲で結構です。僕は個人的に、完成を寂しく思うファンのひとりに過ぎません。完成させたくないわけじゃない(笑)。
 



「サグラダ・ファミリア、生誕のファサードの秘密」外尾悦郎氏との対話。

 
外尾 大きなはき違いをしてしまうことになるでしょう。なぜ2026年に完成すると言いだしたかっていうと、まず、はき違ってる人がいるわけね。人間の中には、お金があれば何でも出来ると思っている人がいる。だけども、マタイによる福音書にもありますが「パンのみに生きるにあらず」ということ。パンのために生きている、パンだけ食べていれば幸せかと言えば、そうではないんです。もしパンを持っていない人がいたとしたら、パンを半分あげる。それがサグラダ・ファミリアの本来の名前なんです。
サグラダ・ファミリア、「贖罪教会」っていうのは、パンは一日分しかないんだけど、サグラダ・ファミリアはその半分をあなたに与える。パンの半分なんて何でもないことなんだけど、半分なんて価値ないじゃないか、サグラダ・ファミリアに用はないという人間と、お腹の空いた子供がそれでもそのパンの半分をあげると言ってくれる、その重みを理解できる人間がいる。後者が、サグラダ・ファミリアを維持していく人間の価値なんですよ。サグラダ・ファミリアなんて、石で何百メートル造ろうが、そんなことどうでもいいんです。サグラダ・ファミリアを造る価値、意思、何のためにやっているのかが大切。サグラダ・ファミリアは芸術作品じゃなくなってもいいんですよ。
受難のファサードの彫刻家スビラックスがガウディの遺志があるにもかかわらず、全く違うものを作りましたよね。今でこそ僕が意見を言って聞いてくれる人はたくさんいるけれど、このサグラダ・ファミリア自体が自分を傷つけてガウディがこうしなきゃいけないって言った、こうしたらどうだって言ったということを体現しているんです。生誕の門と受難の門はね、一つになるんですよ。意味が。生誕の門に慈悲、希望、信仰があったら、受難の門には道があり、命があり、真実がある。一つになるんですよ。一つに繋がって、屋根がかかってなくても、離れていても、一つのものを作るのね。だから人間がもし、自分だけ良けりゃいいって、どっかの国みたいなことを言い出すと、それは自分が決してよくならないということを言ってるということ。何千年の歴史で人類が教えてきたことを教わっているはずなのに。でも、知恵がある人は、それじゃあ君のためにならないよということがわかる。これこそが人間の知恵なんだけど。サグラダ・ファミリアもお金というものができてしまったから、2026年に完成できますと言い出してるわけですよ。

 サグラダ・ファミリアというのは未完であることがとっても大事だということを、ガウディはどこかで考えていたのじゃないか、と思う時があります。完成してしまったら、先ほど外尾さんが仰った「腱が切れる」っていうことになるような気もします。スビラックスさんも亡くなったし、いつか外尾さんもいなくなったその後、ここに若い世代の人たちがやって来て、これを見上げた時に「まだできてないんだよ」って言う方が夢はあるし、未完であるからこその未来がある。今人類が抱えている様々な問題がここに託されてる気がするんです。僕はどこか心の底で、サグラダ・ファミリアは完成して欲しくない、と思っています。

外尾 要するに、切っちゃうことは非常に簡単です。1本の木に育てることはできない。人間は時間と共に歩いていくしかない。一歩一歩。それを人間が何でもできると思った時に、何か別の世界に行ってしまう恐ろしさですよね。
 

「サグラダ・ファミリア、生誕のファサードの秘密」外尾悦郎氏との対話。

 
 ガウディのことはあんまり知りませんが、彼は特に、重力と時間と自然に対して非常に強く考えた人じゃないでしょうか?

外尾 重力に限らず、目に見えない力。

 ガウディ作品もいろいろとありますが、それらが強く結実されているのがここ、サグラダ・ファミリアじゃないかと。

外尾 なぜならばね。ガウディは単に、カサ・ビセンスにしても、カサ・ミラにしても、オーナーが幸せになるようにデザインしているわけね。此処のオーナーは神様だから。神様を幸せにするにはどうしたらいいか、と、ガウディは考えたわけです。どうしたらいいと思う?
例えば、息子さんがいるでしょ。息子さんがもしお父さんを幸せにしたいと思ったら、プレゼント持ってきたり、満点取ったよーとか、お父さんを喜ばせるように一生懸命するんだけれども、本当にお父さんが嬉しいのは、息子が本当に幸せな瞬間を持つことなんです。ということは、神様が本当に幸せな瞬間というのは、人間が本当に幸せな瞬間を過ごした時なんですよね。例えば、息子さんがある年代になって、「パパ、僕はなんでも知ってるんだから」って言いだしたら何よりも不安になる。「お前、まだ何にも知らないんだよ」って思ってるんだけど、言いたくても言えない。何でも知ってると言い張って出て行って、後で泣いて帰ってくる。それを見るのは親にとっては一番つらい。

 完成したら、信徒の人たちだけではなく、世界中の人たちが喜ぶでしょうね。でも、逆を言えば、もう次がないわけですから、その後、その喜びや幸せは遠のくじゃないですか? 幸せって、つねに満たされる少し手前にあるものだと思うんですよ。達成してしまうと未完が完になってしまう。終わりなんです。逆を言えば希望を失うことになるのかなって想像してしまう。

外尾 本当にものを作る人間に、あなたがものを作って完成した時一番嬉しいですか? って尋ねて、嬉しいと答える人はものを作ってないですよ。いつ楽しいかって言ったら、作り始める前が一番楽しい。できてくればできてくるほど、なんか寂しいって。そして、できた時、ああ、見たくもないから早く次の仕事を始めよう、って。だから、完成した時に喜ぶのは第三者なんです。本当に心から愛している人は喜ばないはず。

 サグラダ・ファミリアが完成しないで欲しいという希望です。

外尾 多くの人がそれを感じているんだけど、なぜかはわからない。

 たぶん僕は個人的にですが、希望を先延ばしにしたいんです。

外尾 先というか、例えばソクラテスが人類最大の哲学者であり得たのは、自分は何にも知らないと言い切った。その当時、哲学者同士が俺はあれを知ってるこれを知ってると討論しあっていた時に、ソクラテスは一言、「僕は何にも知らない」と言った。だから一番偉大な哲学者になれたんだけど。人間は全部ができると思った瞬間に、ああ、何にも知らなかったということに気づく。僕たちはそのことに気づく前夜にいるんでしょうね。

 神のみぞ知る、ですね。

外尾 そうでなければならない。どんなに偉大な科学者も、ここから先は神様の世界だよって言ってるわけですよ。ちっぽけな科学者のみが、どこだって行けるんだって言って騒いでる。

 生誕のファサードで絶対に見るべきはロザリオの間である、と今日教えてもらいました。元々あそこはスペイン内乱があった時に全部破壊されてしまいました。そこを外尾さんがガウディの遺志に忠実に、というか、図面も何も残っていないので、ガウディを想像しながら再現された。個人的に、ここが一番衝撃的でした。ロザリオの間は外尾さんの最初の仕事になるわけですか?
 



「サグラダ・ファミリア、生誕のファサードの秘密」外尾悦郎氏との対話。

 
外尾 ほぼそうです。最初の仕事は20数メートルのベランダ彫刻と高さ5メートルの7本の塔を全部一人で、デザインを考えて彫っていくというものでした。しょっぱなの仕事にしてはちょっと大きすぎるんですけど。これは1年くらいかかったかな。言葉も何もわからない時にガンガン彫りましたけど。このフルーツにしたって、1トン近くある石を5日で彫るわけだから。そういうもんですよ。日本だったら1トンの石を半年くらいで彫ってるけど。月曜日に原石が来て、金曜日には渡すという。それを1回だけするのなら次の週に休めばいいんだけど、それを二百何十週続けるってのはね・・・。

 凄い集中力ですね。でもその仕事が当時の上司に認められ、ロザリオの間を任されるわけですね?

外尾 というのは、ガウディの弟子は高齢だったのね。自分が図面をここに置いて、自分のせいで図面を失ってしまったという痛みをずっと抱えて生きてきた人だった。でも、図面は戻らないけど、死ぬ前にこれだけは残しておこう。元に戻しておこう、と。だから、誰かを一生懸命探してたんだと思うんです。で、僕にでっかい仕事をさせてみて、こいつだったらできるんじゃないかってことで。

 アジアから来た、何者かもわからない男に、託すだなんて、その人も器の大きな方ですね。しかも、ロザリオの間は、表向き地味ですが、とっても重要な場所です。

外尾 切羽詰まってたんじゃない?(笑)彼らは自分がいつ死ぬかわからないから、生きてる間に何とかさせたかった。ガウディの図面があったから全部破壊されたのかもしれない、自分たちのせいかも知れない、と思ってた。でもね、僕はそれはガウディの意思だったと思うの。ガウディも図面を書くのは嫌いだったんですよ。なぜならば、現代人は「図面がないのになぜできるんですか?」と思うのだけど、図面が人にいいものを作らせないわけ。なんで音楽の世界で楽譜があるのに弾く人によって違うのか。音楽が常に活き活き人を惹きつけるのは何か。楽譜の意味がないとは言わないけど、弾く人によって全部変わってくるんですよね。その自由が楽譜にはあるわけでしょ。強制させない。図面も本来はそうなってなければいけなかったんだけれども、どんどん図面というのはシステムを変えていって、見た人が読めなきゃいけないし、今はミリ単位、ミクロン単位で全部決まっていってる。ナノシステムだって建築の中に入ってきてるんだから。そういう時代がどんどん来るのをガウディは知っていて、その人の120%を引き出すためには、その人に合った図面を渡せばいいんだと思っていたんじゃないかな。図面は神ではないんですよ。

 ガウディが図面に頼らず、というか作らず、職人たちにはデッサンや模型を使い、こういう風にやれって指導していたのは本当ですか?

外尾 本当です。あらゆる努力を一人一人の職人に合った伝達方法でやってたんでね。最後にガウディが、わかったか? 本当にわかったんだね? と聞いて、少し放っておいて、戻ってきてその通りにやった職人は、わかっていてやる気がある。わかったと言ったのに、全然違うものができていたり、何もできなかったりしたら、それはもう、物凄く怖かったみたいです。

 そういう話を外尾さんは誰から聞いたの?

外尾 僕が来た当時はまだ直接ガウディを知ってた人が生きていたからね。もう今は誰もいないでしょうね。

 貴重な話ですね。ロザリオの間の話に戻ります。外尾さんから今日ロザリオの間の説明を受けました。スペイン内乱の時にほとんどが破壊され、マリアも幼いキリストの頭部もなくなった。図面さえ残ってない。たった1枚残っていた当時の写真から想像して外尾さんは復元された。ロザリオの間がまさに生誕のファサードの原点のような場所ですよね? とくに僕が感動したところは、魔物たちの誘惑により、身売りを迫られる少女と爆弾を持つ男の2か所です。あの少女と男はマリアを見あげています。まさに誘惑を振り切ろうとしてるんですよ。つまり、魔物たちからいろんな誘惑があって。これは人間の信仰というか、生きることの基本みたいなことで、人間には欲がたくさんありますからね。その欲望をどうやって振り切っていくのかということをロザリオの間で解いている。あそこに描かれている少女と、爆弾を持とうとする男。移民を取り巻く現代の問題やテロリストの攻撃で揺れる欧州を予言しているようにも見える。非常に予言的な構図です。彼らがマリアを見ることによってその誘惑を振り切っていくことをガウディが切望しているように受け取れました。ロザリオの間は予言の間じゃないでしょうか? 同時に、そこが生誕のファサードへと繋がる。まさに始まりです。あそこを出た後もずっと少女の像と爆弾持った男の人のことを考えてた。僕の位置からは顔がちょっとはっきりわからなかったんですが、横顔がすごく印象に残るんですよ。
 

「サグラダ・ファミリア、生誕のファサードの秘密」外尾悦郎氏との対話。



「サグラダ・ファミリア、生誕のファサードの秘密」外尾悦郎氏との対話。

 
外尾 まさしくその通り。しっかり書いてください。

 欲望を解き放つためにイエスとマリアが現れる。その始まりをガウディが大きな叙事詩のごとき物語として描いた。だから、あそこはサグラダ・ファミリアの中でも本当に重要な場所でしょう。しかし、なんであそこがレセプションになってるんでしょうね? オーディオガイドを借りるためにずらっと並んでいて、びっくりしました。誰一人、そこがロザリオの間だと気がついていない(笑)。 

外尾 ガウディの遺言なんです。ロザリオの間は。

 そういえば3年前、2014年の2月に、外尾さんの工房で、青銅製の慈悲の門扉を作っているところを僕と息子は見学させていただきましたね? 慈悲の扉の裏には金の葉っぱがカタルーニャ民謡の鳥の歌の楽譜になっていて。希望の門の裏は荒野から始まって上に海があって魚がいて。魚は信徒を表しているという、壮大な絵巻に。あそこはガウディが生きていた時にはまったく構想さえ持ってない。つまりあの門扉に関しては、ガウディの遺志を受け継いだ外尾さんが自ら発案して作られた・・・。
 

「サグラダ・ファミリア、生誕のファサードの秘密」外尾悦郎氏との対話。

 
外尾 僕はただ道具になっただけです。

 3年前、工房でたくさん作業風景の写真を撮りましたが、こうなるものだとは想像もできませんでした。それが何か、実は今日やっとわかったんです。あの三つの門の門扉だったんですよね。偶然、制作過程から見ることができたのはラッキーでした。だからこそ、感動もあった。個人的にはロザリオの間とこの門だけが強く印象に残っています(笑)。

外尾 それでいいんです。我々は幸いにも全てを完全に知るわけじゃないから、少なくとも一部を与えられたとしたら、それを確実に自分のものにするっていうか、その中で生きるということが、人間に対しては必要なんじゃないかなと思います。自分に与えられた空間と時間を大事にするんじゃなくて、神のように振る舞った時に大きな間違いを犯すわけ。

 虚栄心に繋がるんですよね。

外尾 答えはあるんですよ。でも、それを知ってる人がいない。それを知った人間に自分がなる。最初に手を伸ばした時に、炎の中に手を伸ばすように覚悟をしていないといけない。それを掴んだ人間が答えを得る。頭の中から答えが出るんじゃないんです。

 生誕のファサードは過去。で、受難のファサードが未来をイメージしていると思いました。つまり、外尾さんが手がけられている生誕のファサードは過去を掘り起こすためのもの。過去を大事にしない、無駄にする人間には未来がない。この二つのファサードの間に過去から未来へと流れる風を感じました。

外尾 雨の日は東から風が入るんです。雨が降らなくても東から風が来たらこれは雨が降るなってわかるのね。あそこに風が通ってるのは確かです。だけども、ガウディはすでに考えていて、生誕の門というのは3の倍数。受難の門は4の倍数。もう一つ栄光の門というのが5の倍数。その三つの門があるんだけど。過去、未来、永遠、この三つの門があってあの教会は成り立っているわけ。昔から言っているけど、伝統を否定するっていうのは、伝統を知る知らない、好き嫌いは別にして、自分を否定してるんですよね。自分は嫌でもそこから生まれてきているわけで。だから現代のように伝統を軽く否定する人たちっていうのは、やっぱり文化が非常に浅くなってるなって思いますね。

 栄光の門はまだ何一つできてないんですよね?

外尾 まだです。正面ができちゃったらもうみんなできたと思って寄付してくれないですよ(笑)。どんな教会も正面は最後。

 生誕のファサードの完成度が高すぎて、中に入るとちょっと違和感を覚えないでもない。中に立ってみると、感じる違和感は何かな? ガウディはこういう伽藍を作ろうと思っていたんだろうかって考えてしまいます。みんながステンドグラス綺麗だね、天井が綺麗だねっていうんだけど、僕にはなかなかそうは思えなくて。笑。ステンドグラスならばノートルダムの方が圧倒的に重厚で趣がある。しかし、ロザリオの間から生誕のファサードに至るワーグナーのオペラのような物語を持った彫刻群、建造物には深い価値と感動を覚えます。
 



「サグラダ・ファミリア、生誕のファサードの秘密」外尾悦郎氏との対話。

 
外尾 それを言えるあなたは本当に文化の感性がある。ガウディが凄く賢い人だったなと思うのはね、普通、建物というのは水平に積み上げていきますよね。でもそれをしちゃうと、どの教会も700年くらいかかってるわけで、そこでガウディは新しい方法を取り入れてね。マーケティングっていうのかな、広告塔をポンっと建てればね、そうすればみんな面白がってくるんじゃないか。だから生誕の門は危なっかしいけど最初に作った。

 生誕の門の完成度がずっと奥まで続いてくれていたら・・・。

外尾 だから、最初にお見せしたのはロザリオの間だった。あれを内部に全部彫りこまなければいけない。そのためにガウディは荒彫りのまま残してるんです。

 なるほど、だから教会内部に手つかずの石壁が残されていたわけですね? あれを完成作品だと思う人もいるのじゃないでしょうか?

外尾 今の建築家たちはすごい現代的なデザインだなって思ってるんだけど、実はあれは原石なんです。

 (笑)

外尾 あのステンドグラスが美しいなんてね、ガウディが考えたものはあんなものじゃないんですよ。もっと深い美しいものです。

 全体が世界遺産だと思っていたので、生誕のファサードと地下聖堂だけだと聞いてびっくりしたんですけど、なるほど、よくわかりました。しかし、そういう意味ではロザリオの間をきちんと観光客にアピールしてほしい。奇想天外なガウディの建築様式ばかりが取りざたされてしますが、もっと大事なことをガウディは伝えたかったのでしょうね。逆にそれを聞けて安心しました。ガウディがこの教会に託した思いはイエスとマリア、そしてヨセフの物語だったのだと。観光客の方々が、もちろんこれまでの僕も含め、素通りしていたロザリオの間に今後スポットがあたることを祈ります。

Photography by Takeshi Miyamoto / ©Sagrada Familia

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posted by 辻 仁成