地球カレッジ DS EDUCATION

自分流塾「人にバカにされても気にする必要はない。ひそかに山頂を目指すあなたへ」 Posted on 2023/03/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくは自分を否定しない。
否定から始まる自分が嫌いだから。
ぼくはどんなことでも、まず、自分を褒めることからはじめる。
自分くらいしか、自分を褒めてくれる人がいなかったから、ぼくはずっと自分を褒めてきた。
とくに周囲にバカにされた時とかは、自分が率先して、自分を擁護した。
自己否定からは何も生まれないというのは事実で、自分を愛せないことが一番の不幸なのである。他人は関係ない。
まず、どんなことでもいいから、自分を褒めることをやってみるといい。
「すごいな、俺は天才だな」
はたから見ると笑われそうなくらい、自分を肯定してやればいいのだ。
世の中は基本冷たいので、そういう冷言をまともに受けてはならない。
世の中の意見を謙虚に聞きすぎると、自分がもたなくなる。
「よくやった。お前はよくやった。今日はご褒美に美味しいもの食べに行こう」
くらいがちょうどいいのである。
自分を上手に褒めて、自分を盛り上げていく。
これしかない。

自分流塾「人にバカにされても気にする必要はない。ひそかに山頂を目指すあなたへ」



ぼくは今日まで、だいたいバカにされてきた。
「辻なんか、邪道なんだよ。みんなに笑われてるんだよ」
ぼくはずっと独学だったから、こう言われ続けてきた。
そういう時、ぼくはぼくに言い聞かせた。
「いいか、あいつらはやきもち焼いているだけで、よく見てみろ、根性と勇気のないえせ冒険家なんだ。自分を持ってないだろ? 冒険が出来ないあんなのにバカにされたからって、気にする必要はない。続けた者が勝つ。それが証拠に、前に批判していた奴らはもうどこにもいないじゃん、影形さえないだろ。続けた者には叶わない。俺は続けている。気にせず、自分を信じてやりつづけろ」
こうやって続けていると、バカにしていた人たちは、どんどん遠ざかっていく。
でも、必ず、またバカにするやつが出現する。それが世の中だ。
「それは、仕方ない。俺が目立っているからだよ。必ず、なんくせ付けてくる奴はいるが、よく見てみろ。あいつらが批判している場所は、井戸の中だ。だからよく響くんだけれど、でも、井戸から這い上がることの出来る人間じゃない。そこで一生、叫んでいればいいんだよ」
こう唱えていると、本当に、いなくなるのだ、そういう否定者というものは・・・。
なぜかというと、彼らは人の批判だけしかしないで、努力もせず、烏合の衆の中で、胡坐をかいているからである。
こっちは一人だが、頑張っている。黙々と前進をしているのである。
その動きがのろくても、間違いなく前進している者には、誰もかなわないのである。
ものを生み出すことがどんなにすごいことか、自分に教えた方がいい。
「俺は頑張ってるじゃん。それでいいんだよ。前進しているじゃん。どんどん生産されてるじゃん。ぜったい、誰にも負けないんだよ。今日もめっちゃ頑張った。それでいい。ゆっくりやすんで明日に備えろよ」

自分流塾「人にバカにされても気にする必要はない。ひそかに山頂を目指すあなたへ」



気が付けば、バカにされたことなど、もはや関係なくなって、もっと高い目標が自分の前に聳えているということになる。
その険しい山を上って行けば、批判者は山の麓で叫んでいるけれど、もはや、耳にも届かないし、眼中にも入らないということになる。
見えるのは頂上だ。そこまで、自分との二人三脚で上って行けばいいのだ。
口先だけじゃなく、何を残しているか、そのことだけはわかっている。
見るのは自分の足元だけでいい。
もっと遠くへジャンプできるはずだ、と言い聞かせて登っていこう。
1年後、5年後、10年後に、気が付くことが真実だ。
それが成果というものだ。
「よくやった。俺は天才だな」
笑っていよう。これでいいのである。

自分流塾「人にバカにされても気にする必要はない。ひそかに山頂を目指すあなたへ」



地球カレッジ
自分流×帝京大学

posted by 辻 仁成

辻 仁成

▷記事一覧

Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。