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「大学生がぼくの日記を読んだ感想が面白かった」 Posted on 2020/09/16 辻 仁成 作家 パリ

これはぼくがそうしてほしいとお願いして書いてもらった感想文ではなく、帝京大学の一つの授業で、外国語学科の生徒たちがぼくの日記「JINSEI STORIES」を読んで、感想文を書くという授業があったようで、指導教員の鵜飼先生がこの原稿を送ってくださり、軽い気持ちで目を通したのだけど、なんだか嬉しくなり、生徒たちの許可を得て掲載させてもらうことになった。

20歳そこそこの若い子たちが還暦のぼくの日記に何を思うのか、これもとっても面白い経験となった。
笑いを誘われる箇所もあり、なるほど、と思わされるところもあって、日記を書いてよかった、と思ったので、読者の皆さんにもぜひ、読んでもらいたい。全部を掲載できないのが残念だけど、…

「大学生がぼくの日記を読んだ感想が面白かった」



この生徒が読んだぼくの日記は滞仏日記「人が思う自分でいなきゃと思うことくらい生きにくくさせることはない」で、LGBTについても語っている。自分と他人の違い、普通とは何か、について考えた日の日記をもとにこの生徒はこう記している。

【フランス語コースD・Aさん】
現代ではどれほどの人達が自分らしく生き、自分という人間を理解しているのだろう。私が選んだこの日記には、このような内容を様々な角度から説いている。ここには、私が日々抱えていた思いと共通する点が多く記されていて、何か現状の問題を解決する手立てになるのではないかと考え、選んだのが主な理由である。初めに筆者は、本人が様々な人から変わっていると言われた出来事を語っている。彼の息子や昔好きだった人、更にはとある作家でさえも彼にそう言った。また知人の女子大生からは「辻さんは何をやっても大丈夫、無敵です」と言ったそう。筆者はこの事について「自分」を生きる事を楽しんでいるから無敵であると考察している。しかしその反面筆者は自分らしく生きる難しさを綴っている。人が思い描く自分として生きる事は自身を苦しめる行為であると謳う事は簡単だが、それを実行する事は容易ではないが、同時に人の放った言葉の殆どに責任が無い事を語り、自分ではない人が思い描くように生きる無意味さを指摘している。しかしある時、筆者はLGBTを抱える友人と口論になり、筆者とその友人はお互いに自らの考えをぶつける形になってしまった。友人の「差別を受ける人々は力を合わせて権利を勝ち取らないといけない」という主張に対し筆者は「それは自分をカテゴライズしているだけで更に少数派の人々はグループに入れてもらえないのか」と主張した。結果は平行線となってしまったが、筆者にはLGBTとしての彼ではなく、彼本人と向き合いたいという思いがその主張に込められていた。世の中には様々な人間が存在し、理屈で生きる人とそうでない人、仲間と共にいる人と一人でいる人、時間に縛られている人とそうでない人など人の数だけ各々の持つ特徴と生き方があり、それは一概にまとめられるものではない。その為本来、「普通」という概念が通用しない事をここで筆者は証明している。それから誰がその決まりというレールを作ってしまったのか、そのレールから外れた人間は普通では無いのか、そして「普通」の基準は何であるのか考えて欲しいと読者に訴えた。今日では「〜らしさ」という言葉が数え切れない程にあるが、自身を囲いの中に閉じ込める行為に意味は成さず、かえって本来の自分とかけ離れてしまう。そんなカテゴリー化に捉われずに生きていく事で世界の見方が変わっていき、何事にも前向きになれる事、そんな自分を認めてくれる人がいる事実を最後に主張した。この記事を読み進めていくうちに、私は自らの幼少期を思い出した。物心ついた頃から人と違うと言われては変わっていると思われ、時には疎外感を感じる事があった。それから私は自身に原因があると考え、一定期間塞ぎ込んでいた時期もあった。丁度この過去を思い出し、苦しんでいた時にこの日記を見つけ出した。すると様々な人から変わっていると言われた経験を持つ筆者に対する親近感以上に、周りに流されずに自分らしく生きるという強い意志に胸を打たれた。それにより自分らしく生きる勇気を貰い、過去の蟠りが嘘のように解けた。今後何かに躓き、悩んでしまう時があればこの日記を定期的に読み直して私自身の意志を振り返り、見つめていきたい。

「大学生がぼくの日記を読んだ感想が面白かった」

続いての生徒は暮らしの日記「日本人もびっくり。ボンジュールの真実」について感想を書いた。微笑みが零れてしまった。挨拶は大切だね、という話しである。

【フランス語コース、K・Rさん】
フランス人の客は黙って店に入らない。必ず店のスタッフに「ボンジュール」と声をかけるのがマナー。そうすれば笑顔で「ボンジュール」と返ってくるから、と去年のフランス事情の授業で教わった。客とスタッフがお互い気持ちよく買い物出来る良い文化だと思う。私も辻さんと同じくお互いに「怪しい者ではない」、と確認し合う為の一つの儀式でもあるのかな、と考えていた。JINSEI STORIESを読んでからは、お互いが出会えた縁に感謝する時間でもあるのではないか、と思う。生きている間のその時の瞬間は二度とないし、やっぱり挨拶は気持ちが表れるものだと思うから。構内でフランス人留学生に会った時も「ボンジュール」は大きく笑顔で言うようにしていた。周りで日本語が飛び交う中、母語を話す機会が少ないのは心細いだろうし、色々な人に「ボンジュール」や「メルシー」を言う素敵な文化を知って貰えないのはもったいない。嬉しそうに手を振って大きな声で「ボンジュール」を返してくれるのはすごく嬉しかった。フランスを訪れた際も、フランス人はよく「ボンジュール」を言っていた気がする。ホテルのビュッフェスタッフのお姉さんに、バスの運転手さんに、色々な人から声を掛けて貰った。皆明るく優しかった。私達も片言の「ボンジュール」からはじまり、拙い英語や単語を組み合わせて辿々しいけれど会話をした。彼らからしたら非常に子供だし、ただの観光客に見えただろう。でも私は「ボンジュール」から世界と少し繋がれた気がしてとても嬉しかった。「君は朝起きたら、おはよう、くらい大きな声で言うべきだ。自分の一日を朝から台無しにしている君は、大馬鹿野郎だ」と息子に言っておいた。とあるが、自分に言われた気がした。例えば、一限があるのに寝坊した日は急いでいるし不機嫌になるので、家族の誰かに「おはよう」を言う時なんとなく適当になってしまうことがある。辻さんに言われたと思って(笑)、大馬鹿野郎にならないよう気を付けなければ、と思った。辻さんのボンジュールを言うぞ感が半端ないことは素晴らしい。相手に「ボンジュール」、と自然に言わせるくらい皆に幸せをばら撒いているということだし、辻さん自身が人を引きつける魅力を持っていると思うから。それは「メルシー」を忘れないのと同じで日頃から感謝の気持ちを大切にしているからだと思う。そういう相手を敬い、思う気持ちは顔に出るし、言葉にも表れると思うから。日本では自分に関わりのある人にしか挨拶をしない。それもまた文化だと思うが、会話の冒頭で「ボンジュール」を付けないとまともに応えてもらえないぐらい挨拶に厳しいフランス人を見習ったほうが良いと思う。口頭での挨拶や感謝の言葉は異なる言語であってもたった2,3秒の会話で成立する。相手を敬う、人権の国の礼儀作法である、と辻さんが言うように、たった2,3秒の短い時間で不思議なくらい気持ちは伝わる。挨拶と感謝の言葉は同じなのかもしれない。人生において大切なことだと改めて考えさせられた。

「大学生がぼくの日記を読んだ感想が面白かった」



続いての生徒は、「打たれ強くなりたい時に読むことば」というタイトルの日記について考察している。彼氏まだいりません、という最後の一文、うるっときた。

【フランス語コース、S・Sさん】
私は文章を読むことが大嫌いです。しかし辻仁成さんのこの文はすらすらと読み進めることができました。それは今の自分と重なることが多いからです。世の中には様々な人がいて、100人いたら100通りの考え方があります。表現の仕方も感じ方も違います。そんなことわかっているけれど実際に指摘されたり、批判されたり、攻撃されたら傷つきます。何度打たれ強くなりたいと思ったか、気にしないようにしようと思ったかわからないくらいです。私の解決策は人に合わせることでした。合わせることで批判されないし、傷つくこともないからです。中学生くらいまでは通用しましたが、高校生なると通用しなくなりました。顧問の先生からは、人に流されすぎ、自分が傷つかないようにしているだけと、何度も助言をいただきました。最近も友達に同じようなことを言われ、図星過ぎて言い返すことができませんでした。何がそう思わせたのか聞いておけばよかったと後悔しています。この文はそんな私にいい機会をくれました。「誰の人生だよ。打たれ強い人というのは自分の生き方を大切にしている人なのです。」この一言で私は決めました。もっと自分の意見を大切にし、ポジティブに物事を捉え、一回しかない自分の人生を後悔しないようにしていこうと決めました。世界というのは私の周囲、周りの人間たちを含めた社会です。いちいち気にしていたら、命がいくつあっても足りません。もちろん私自身に問題があります。助言をくれるというのはありがたいことです。私が気付かなかったところを指摘してくれ、自分を見直すいい機会です。これから先、社会の一員となって働いたときにそれは今よりも多くなっていくので転機にしていけたらなと思います。人生全てが思い通りになるわけないです。そうなってもつまらないです。失敗を乗り越えてこそ成長できるし、常にポジティブでいれば自然と周りにはポジティブな人が集まってきます。ポジティブでいるためには目標や夢を持つことが大切だと思います。常に目標、夢に向かって精進していきたいです。この「打たれ強くなりたい時に読むことば」は私を変えてくれました。読む前よりポジティブになることができました。辻仁成さんにはなれません。なる必要はないです。私は私として生きていきます。自身の人生どうするかは私次第です。これからが楽しみです。二十歳の代、今は彼氏もいりません。自分磨きのために稼ぎ費やしていきます!辻仁成さんありがとうございました。『未来は自力で引き寄せたい。』引き寄せていきます。

「大学生がぼくの日記を読んだ感想が面白かった」

続いて、滞仏日記「人が思う自分でいなきゃと思うくらい生きにくくさせることはない」についての感想。他人からどう見られているかばかり気にすると自分がなくなるという日記であった。

【フランス語コースT・Sさん】
このコラムの中で三つ強く印象に残った箇所がありました。≪ほとんどの人が他人からどのように見られているか気にしながら生きている、けれど他人は人のことに口を出すのに実はあまり見ていない。気にするだけ無駄である≫≪人の数だけ人生がある。その中での普通とは何なのか≫≪男らしさ、女らしさとかくだらない≫これらの三つの事柄全ては私がこれから大切にしていきたいと思ったことでもあります。私自身昔から周りの目を気にしすぎて自分の首を自分で絞めて苦しい思いをしたり、両親からは女の子なんだからあれをしなさい、これしなさいと言われ、周りの同年代の人たちからはあなたって本当に変わってると言われたりしてきたため、辻先生のこのコラムを読んで自分が生きづらくなっているのは周りの誰でもない自分自身であり、枠にカテゴライズしているのも自分自身なんだと気づき、周りの環境に変わることを求めるのではなく、自分自身が変わることで世界の見え方、捉え方も変わるのだと思いました。また周りの考えや価値観に流されないよう自分の芯を強く持つことも大切なのかもしれないとも思いました。これから生きていく中で上記の三つの事柄を大切にしていくといってもただ大切だ、と思ったままにしていくのではなく、意識するのとしないのでは全く変わってきてしまうので、難しいことではあるけれども念頭に置いて毎日生きていきたいです。また、自分のことについて意識をするのが身について習慣になってきたら、周りの人、他人についても意識をし、人物をカテゴライズしない、個々のことを理解できる人間になっていきたいです。

続いてはちょっと長いので、抜粋になりますが、滞仏日記「迷ったら、自分を大事にしなさい」について。たくさんの生徒からたくさんの感想文を貰ったのだけど、ぼくが毎日思うくだらないことでも、若い学生たちが、人生の何かの指針の台座くらいにしてもらえるなら、書く甲斐があったかもしれない。

【フランス語コースW・Yさん】
たった一度の人生を後悔をしないために、最期の時に”幸せだったなぁ“と思える人生にするには自分のために好きなことを一生懸命やることなのだなとこの日記を読んで感じました。
「どっちに行くかで迷ったら、自分を大事に生きることができそうな道を選びなさい」。私はこの言葉を忘れません。将来に限らず、自分の判断が正しいのか、誤っているのかというときも、相手の行動に対して思ったことをいうべきかいわないべきかという場面に直面した時でも、私は私らしく自分を大切にできる方の選択をしていこうと思います。私は周りの意見に流されてしまう傾向にあるので、自分の意思を強く持って周りの目を気にしてばかりいるのをやめて、これからの人生を充実したものにしていきたいと思います。そして、自分が選んだ選択に誇りを持ち、一生懸命頑張れる人になろうと思います。また、沢山のことに挑戦をして、素敵な人生を送りたいです。そしてこの考えを、自分の子どもだったり、人生について迷っていたりする友達や大切な人たちに教えてあげられるようなかっこいい大人になりたいです。

「大学生がぼくの日記を読んだ感想が面白かった」



次もちょっと抜粋になりますが、滞仏日記「ぼくは今、これからどう生きるべきか、考えている」を読んだ感想である。コロナで自分の何が変化したかという話しである。

【フランス語コースN・Kさん】
「実は、変わったのは日常だけじゃなく、人間における生きる意味、なんじゃないか」と私も思いました。筆者の個人的な変化について語っている所は私が一番共感している部分です。筆者の言葉を借りるならば「ぼくの価値観が変化しつつあるということであり、このきっかけをぼくに与えてくれたのが新型コロナウイルスだった。」ということであります。「生きることの意味がかつて信じていたものだけじゃなく、もっと違った角度の可能性があることに気づいちゃったってこと。」この一文は私がこのコロナの自粛中に一番感じたことです。このエッセイを読み、私は筆者の考えや言葉に共感することばかりでした。コロナは収まって欲しいし、そもそも出現して欲しくはなかったが、コロナが流行ったからこそ新しい生き方、価値観が生まれたことに違いはないです。「ぼくは今、これからどう生きるべきか、考えている」この時間は大変有意義な時間だと思いました。

最後に、滞仏日記「夢中になるものがあった。毎日が夢中だった。精一杯生きていた」の感想文。そうそう、ぼくはね、3歳の頃のことを今でも覚えているんだよ!

【フランス語コースN・Sさん】
辻さんの言葉はいつも「はっ、そういえば。そうだった。でも今はなんだろう」といつも私を考えさせる。
「夢中」という言葉にとても惹かれた。昔を思い出す、まだ20年も生きていないのに夢中な日々が少しでもあって、それが昔のように思えました。3歳から初めて高校までずっとサッカーが好きで、毎日毎日ボールを蹴って登校したり、学校終わりに練習したり、試合に勝って無邪気になったり。共感したところは、昔のことでも鮮明に覚えているくらい夢中になっていて今の体の一部になっているというところ。辻さんは確実に歳が上で思い出すのももっと昔なのに、昨日あったかのように話をする。とても素晴らしいと思いました、私も鮮明に覚えているのはサッカーのことしかありません。ですが、毎日が夢中で明日が楽しみな生活をもう一度しようと考えると、鈍った体が疼きます。目標があるから夢中なのか、好きだから夢中なのか、改めて考えさせられた気がします。毎日のその淡々の過ぎる時間が精一杯なら何倍になるだろうと考えると昨日までの自分が悔やまれます。夢中になるものを探すのは偶然かもしれないが、もう出会っている気もする。まずは目先のことから精一杯やり、留学という憧れに向け、今好きなフランス語を勉強します。

多分外国語コースの生徒たちから感想文を頂いたので、全部に目を通した。その中から、心に残った幾つか、紹介したいものを選んでアップしてみたけれど、これだけでも7000字になっていて驚いた。
「打てば響く」というけれど、何かを書くと書かれた何かが帰ってくる。
感想文というけれど、人間が生きているから感想があるんだと思う。
ツイートをしてもぼくのツイートには長い返信が戻ることが多い。眠れない夜などに、こっそり全部読んでいる。
ただし、気分が落ちてる時は携帯を消しちゃうので、その時はごめんなさい。ぼくも生きてるし、結構弱い人間なのだ。
なので、生徒たちよ、そして息子たちよ、皆さんも、一緒にこの星で生きていきましょう。人間って、いがみ合い戦争をすることもあるけれど、支え合い助け合うことも出来るのだから。

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posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。