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自分流塾「死ぬ気でやれ、と誰かが命令するが、ぼくは生きる気でやる」 Posted on 2021/09/14   

昔、アルバイト先で「辻、死ぬ気でやれ」と言われたことがあった。
しかし、自分の夢をかなえるわけでもないのに、あなたのためには死ねません、と言って、ぼくはそのバイト先をやめた。
人の命をなんだと思っているのだ、と憤慨をした。
ぼくは生きるために、頑張るだけだ、と自分に言い聞かせ、そこから、自分らしさを探す人生を模索するようになった。

ちょっと話しがずれるが、・・・。
ストレスというのは人間が世界と向きあう時にきちんと向き合えなかったり、ぶれないはずのものがぶれたりした時に生まれるもので、車が車庫に入れないで何度も倉庫の柱に車の角をぶつけて前に行ったり後ろに戻ったりしている状態に似ている。

でも、ちょっとハンドルを切れば車は無事に車庫に入れるのだから、ハンドルをうまく切る集中力が欠けている結果だったりもする。
あるよ、そういう時だって。このようなストレスがそこかしこで溢れているのがここ最近のぼくの周辺ということになる。
ものすごく元気だった人がどんより暗い顔でやって来たので、ああ、ハンドルがうまく切れないんだな、と思って話を聞いてあげると、運転(人生の)するのが怖い、と言ったりする。

自分流塾「死ぬ気でやれ、と誰かが命令するが、ぼくは生きる気でやる」

ぼくもたまに同じような状態になるので、そういう時はまず車のエンジンを止めるべきだろう。
そして、ドアを開けて、いったん、外に出たらいい。
うまくいかないことをいつまでも引きずるからますますストレスが増えていくので、気分を変える。

ストレスは人間を介して、ウツる、ある意味で風邪みたいなものだから、近づかなければ感染しない。
気分を変えるのがいいので、ラジオを付けてみればいいし、窓も全部開けてしまおう。
で、倉庫に入らない車のこと(つまり人生)そのものを一度忘れてしまうのがいい。
さわやかな風が吹き抜けていき、苛立っていたぼくが本来のぼくを取り戻すことができれば、すると、周囲の視界や音が変わりはじめるので、心が落ち着き、集中力がまして、出来なかったこと、苦手だったことが、出来るようになっていく。

自分流塾「死ぬ気でやれ、と誰かが命令するが、ぼくは生きる気でやる」

他人の力を借りるのがこういう時とっても有効だったりする。
好きな仲間との長電話ってのも、結構有効だったりする。
イタリアの友達と、大声で語り合い、また釣りに行こう、と約束をしあって電話を切った。
ここで深呼吸だ。
もう気分は変化し始めている。
あがって動かなくなっていたバッテリーが復活した時のような安心感が打ち寄せる。間髪を逃さずぼくはエンジンをかける。
当然、何事もなかったかのように、車は一発で車庫に入る。

針に糸が通らない時にだって、ドレスに手が入らない時にだって、ちょっと、気分を違う方に向け、心を整えてから、再挑戦すると、一発で針の穴に糸が通ったりするのだ。
ぼくはそうやって、もう何年も、息子のシャツのボタンを直してきた。
イライラしているとできないことは、必ず、一呼吸あけて、取り組みなおす。
やらなければならないものが手つかずになったら、同じような方法でそこから脱出できる。
好きなことだけをイメージする。
うるさく、しつこく言ってくる人間はシャットアウトで構わない。
(親は除く。親はうるさく言うのが役目だから、いずれ、自分が親になった時に、その気持ちがわかる)
ともかく、苦手なもの、ストレスを与えてくるものは、視界から消してしまえばいい。
・・・とっても簡単にやる方法がある。

自分流塾「死ぬ気でやれ、と誰かが命令するが、ぼくは生きる気でやる」

消えろボタンを作って常に携帯しておくこと。
実際に作ってもいいけど、持ってる、と空想したものをイメージするだけでもいい。
ぼくはキッチンの電気のスイッチに「消えろ」と張り紙をしていて、嫌なことがあると、それを消しに行く。笑。
ぼくのポケットにはいつも消えろボタンが入っていて、「辻、この野郎~」とか言いがかりをつけてくる他人は、僕の人生には一切関係ないので、慌てずポケットに手をれ、スイッチをオフにして、さいなら、で終わりだ。
消すというイメージはちょっと怖いけど、でも、大切な人生を周囲の暴言とか、誹謗中傷とか、いやがらせで振り回され、ずたずたにされてまで共存していく必要があるだろうか?
それは、断じて、ない。
嫌なものや人は整理した方がいい。
78億7500万人の人間、すべてを相手にしていきたら、人間は壊れる。
必要なのは、親友一人、恩師一人、で十分だったりする。

人間はみんながみんな強いわけじゃない。
自分のことは自分で守るしかないので、死ぬ気でやれ、とかそういう恐ろしいことを平気で命令しくる前時代的な人間がそばにいたら、消えろボタンの出力を最大にし、その世界そのものを削除するようにしてまえば、もっと楽になる。
もう、見ないのだ。自分の視界から消えたと思えば、ストレスはなくなる。
「辻君、死ぬ気でやりなさい!」
とむかし、偉い人に言われた。
しかし、死ぬ気でやったら人間は死んでしまうじゃないか。
無責任にもほどがある、と笑いながら、ぼくは車庫から車を出す。

これがストレスなく生きる方法だ。その後、窓を全開にして、ドライブに行けばいい。鼻歌でもうたいながら・・・。
今、苦しいなら、重たいもの苦しませるもの嫌なもの見たくないものを、一度、消してみればいいのである。
死ぬ気でやるのじゃなく、生きる気でやれ、とぼくは自分自身に言い聞かせる。
さ、今日も自分の人生を生きましょう。ストレスなんかに負ける必要はない。

自分流塾「死ぬ気でやれ、と誰かが命令するが、ぼくは生きる気でやる」



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