地球カレッジ DS EDUCATION

自分流塾「潮時は実は悪い意味ではない。潮時を見誤らないために」 Posted on 2022/03/21 辻 仁成 作家 パリ

30年ほど前、詩人の谷川俊太郎さんがおっしゃった言葉で忘れられないものがある。
はじめての依頼は引き受けてみることにしているんです、というようなことであった。
それがぼくの生き方に少なからず影響を与えた。
詩人として尊敬する谷川さんのその生き方をぼくも真似て、これまでいろいろな仕事を引き受けてきた。
もう今は出演することはないがバラエティ番組に出たこともあるし、もう今はほとんど引き受けないけれど講演会をやっていた時期もある。
とりあえず気になるならやってみるという人生を実践してきた。
そして、違うなと思ったらとりあえずやめるのは自由だから、それ以降優柔不断にならないよう、やらない線引きだけはしっかりと自分の中で決める。
たぶん、谷川さんがおっしゃりたかったのは、最初から間口を狭めない生き方、であろう。その結果、自分の経験や視野を広げることも出来たし、その結果、自分に何が向かないか、もわかるようになって、自分という域を認識できるようになった。
その結果、これが「ぼく」である、という範囲を知ることが出来た。

自分流塾「潮時は実は悪い意味ではない。潮時を見誤らないために」



もう何十年と、たぶん30年ほど、谷川さんとはお会いしていないのに、とりあえず引き受けてみて、という好奇心に動かされた谷川流人生を特に最近は選んで実践しているように思う。
それから次第に「とりあえずやってみる。とりあえずやめてみる」というぼくなりの解釈へと傾いてきた。
面白そうな仕事や遊びの誘いがあり、迷ったら、とりあえずやってみて、しかしこれはお試し期間なので、経験したことのない世界の視野が見えたらよく考えて、これは自分がやることじゃないんじゃないか、と思えば、とりあえずやめてみる。
そして大事なのはその後だけど、「はじめてやめた」これらの運動が何だったのかを検証し、間違いだったと判断できたら、二度とやらないという強い姿勢を保つことも大事なのじゃないか、と思った次第である。
世界を狭めず、しかし、人生を広げ過ぎない。適度な自分を中心に置いての生き方が、無理なく生きる上で大事なことになるのかもしれない。



「潮時」という言葉がある。
「ものごとの終わり」のように解釈され、「もう潮時だからやめよう」などの意味で使われる場合が多いが、これは間違いである。
「体力の限界で、潮時かと思いまして」という発言をよく聞くけれど、実は、潮時の本当の意味は、「やめるのには今がちょうどいい時」ということなのだ。
昔、漁師さんたちがこの言葉を作ったと言われている。
漁師たちは潮の満ち引きをよくみて漁をする。潮の変わり目が実は絶好のタイミングであることから、これを「潮時」と呼んだ。
つまり、本来の意味は「好機」なのである。
しかし、時が流れて人々はマイナスの意味での「やめるタイミング」を「潮時」という言葉に重ねてしまったのである。
やむを得ず終えないとならない時の終わり、マイナスの終わりを相手に伝えたいのであれば、「引き際」を使う。
とりあえずやってみるとは「好奇心を伴う前進」のことであり、とりあえずやめてみるには「潮時の終わり」と「引き際の美学の終わり」の二つがついてまわる。
人間には「向き不向き」というものがある。
これは分かっているようで分かっていない、もう一人の自分の意向でもある。
自分を知らないと自分の可能性を広げることが出来ないので、「とりあえずやってみる。とりあえずやめてみる」はとっても重要な人生の幅の広げ方なのかもしれない。

自分流塾「潮時は実は悪い意味ではない。潮時を見誤らないために」



お知らせ。
2022年4月24日は、オンライン・文章教室の第三弾、エッセイ編です。
詳しくは、下の地球カレッジのバナーをクリックください!

地球カレッジ
自分流×帝京大学

posted by 辻 仁成

辻 仁成

▷記事一覧

Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。