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自分流塾「苦手だったフランス人から、ぼくが学んだこと」 Posted on 2021/12/10 辻 仁成 作家 パリ

ぼくは実はフランスでこんなに長く、暮らすことになるとは思ってもいなかった。
気が付けば、ぼくは人生の三分の一をフランスで生きてしまった。
自分が一度も描いたことのなかった人生を、自分で選択することなく、生きてしまう時、それを宿命というのかもしれない。

ところで、最初、フランス人が苦手だった。
考え方が日本人とはぜんぜん違うので、正直、戸惑った。
どう対応していいのかわからず、嫌いになりかけたこともあった。
日本に戻りたいと思いながら、でも、息子を育てきるまでは意地でも帰れないと頑張っているうちに、フランス人のいい面、参考になる面、勉強になるところ、なるほど、と思わせられる生き方を知ることになる。
とくに、彼らの生き方、死生観、人生観というのはユニークで面白い。
「セ・ラ・ヴィ」(それが人生さ)
という言葉はよく耳にすると思うが、人が死んでも、セ・ラ・ヴィ。
事業に失敗しても、離婚しても、なんでもかんでも、セ・ラ・ヴィで片づけてしまう。
でも、この魔法の言葉に救わることも多い。
最近、身近な人が死んだ。すると、日本の友人・知人から長文の想い出の言葉が送られてくる。でも、フランス人は「セ・ラ・ヴィ」と呟くだけだ。
それが人生だよ、というのは、突き放しているようで、やさしさがある言葉だと最近、気が付いた。
苦難を乗り越えていく時に、自分や周囲の人を励ます、心強い言葉なのである。

自分流塾「苦手だったフランス人から、ぼくが学んだこと」



個人主義が徹底した国だから、全員の考え方が違っている。
それは世界どこの国もそうなのだけど、ここまでバラバラの思考だと小気味いいくらいの自由度である。
まず、人は人、自分は自分というのが徹底しているので、我慢というものをここの人たちはしない。
なので、イジメ、という概念もなく、最近は日本語の「イジメ」が仏語に登場している。
集団的な行動をとりたがらないので、昔、日本で流行った「会社命の猛烈社員」みたいな世界観も存在しない。
自分を中心にものごとを考えているので、会社をそういう理由でどんどん変えていくし、まず、自分のために生きる、というのが根本で、会社や社会はその次にあり、そこがはっきりしているので、「でも、一般的にこうじゃないか。そういう集団を無視する身勝手な人間のことを日本では自己チューって呼ぶ」とぼくが反論をすると、「それぞれだから、そういう風に決めつけるな」と喧嘩になることしばしばであった。

自分流塾「苦手だったフランス人から、ぼくが学んだこと」



一方で、ここぞという時の連帯感は半端なく、一例だけど、交差点で、盲目の人が困っていると、どこからともなくフランス人がかけよってきて、みんなで助ける。
見て見ぬふりというのが本当になくて、ぼくなんかだと、どうしようかな、あの人困ってそうだけど手を差し伸べるべきなんだろうか、と躊躇するところで、彼らはしないし、一瞬でどこからともなく集まって、そこではハチのような集団活動をとる。
デモがやたら多い国というのも頷ける。革命で王制を倒した国だからかもしれない。
バラバラの人間なのだけど、何がバラバラのフランス人を結びつけるのか、その要因については、いまだよくわからないのだけど、ある瞬間に集団行動に出る。
もしかすると、自由を守るため、自分を貫くために、共通の意識が芽生えて、強く連帯をするのかもしれない。
この連帯(ソリダリテ)感が、半端なく強いのがフランス。
政治への関心が強く、それを見ている子供たちもみんな政治的なのだ。個を守るために連帯をしているようなところもある。

自分流塾「苦手だったフランス人から、ぼくが学んだこと」



フランス人の喧嘩の仕方は面白い。
一度、絶交をすると決して元のさやには戻らない。
日本人同士の喧嘩というのは仲直りというのか、お互いの非を認めあい、理解しあおうというところもあるが、フランス人はひとたび絶交をすると縁が切れる。
視界から消されてしまう。ぼくも何人かの視界から消された。
それも、今思うと、自分の信念を曲げないための、彼らなりの生き方なのかな、と思う。
ただ、彼らが持つ自由度を意識するようになり、ぼくは生きるのが楽になった。
集団から離れても生きていけるようになったし、いろんな人生があるのだから、どうにかなる、とフランス人を見ながら思うようになった。
フランスは実は半分社会主義のようなところがあるので、どうやっても人権が守られ、貧しくても、そこそこ普通の暮らしが出来てしまう。
そういう政治社会的な背景が、フランス人を生んでいるということも一因あるのかもしれない。

自分流塾「苦手だったフランス人から、ぼくが学んだこと」



20年、この国で暮らして、ぼくは今、ようやく、フランスが好きになった。
好きじゃないと20年も暮らすことが出来ない。
「おフランス」ととかく世界中の人に揶揄されるフランス人だけれど、とくにぼくのアメリカ人の友人たちは「あいつら、めっちゃ変わってるよな」とバカにするが、ぼくは少なくとも、ここでは楽に生きることが出来ている。
それは、個人が強く守られているので、周囲を気にしないでぜんぜん構わない社会が出来上がっているからかもしれない。
対面を気にする必要がない。
ここのところ、繰り返されるテロの影響で、移民問題が社会問題化しており、極右政党の台頭が目立つようになった。
ところがそれに反発する人たちも大勢いるので、大統領選挙があるたびに、この国は様々な形で個人が立ち上がっている。
気が付くと、ぼくはシラク大統領、サルコジ大統領、オランド大統領、そして、マクロン大統領まで、4人の大統領の政治手腕を見てきたことになる。
さて、来年、誰がこの国の大統領になるのであろう。

自分流塾「苦手だったフランス人から、ぼくが学んだこと」



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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。