地球カレッジ DS EDUCATION

自分流塾「生き抜くための弱音の吐き方」 Posted on 2022/03/16 辻 仁成 作家 パリ

ここ最近、世界が不穏だ。
やっとコロナとの向き合い方が分かってきた人類だけれど、ウクライナとロシアの戦争のせいで、第三次世界大戦の足音さえ聞こえてきそうな、2022年である。
メンタルが強いぼくでさえ、未来が見えず、前向きに生きることに息切れをおこしつつある。
たまたまカフェで隣り合わせになった人たちが、「戦争のせいで、憂鬱な毎日です」と口を揃える。
快晴でも、どこか心が晴れない日が続いているのだ。
世界中で・・・。

コロナ禍や忍び寄る世界大戦への不安だけじゃない、テロや地球温暖化や、この世の中には気持ちを暗くさせる要因が後を絶たない。
様々な要因のせいで、寝付けない日々が続いている。そこで、たまらず息子に、「パパはどうもおかしい。パパはもうだめだ。パパは苦しい」と弱音を吐いてしまった。すると息子はじっとぼくの顔を見つめて、いいんだよ、人間なんだから、と小さく告げた。
この何気ない一言は、不思議なことにぼくを楽にさせた。
息子も何気なく、思いついたことを口にしたに過ぎない。
そう呟き、自分の部屋に戻って行った。
しかし、言われた方のぼくは、「いいんだよ、人間だから」というフレーズが心に強く残ってしまった・・・。
なんとも素晴らしい答えではないか。その通りだ。



不思議なものだけど、愚痴は嫌がられる。しかし、弱音というのは逆に認めてもらえるものだったりする。
誰かに対して憎悪をぶつける愚痴とは異なり、弱音は自分の弱さを正直に吐き出すからか、相手に受け入れられることが多い。
愚痴は邪気のようなものであり、弱音は自分の真の姿なのである。

息子の一言に安心することができた。
弱音は本当に親しい人間、親友や身内にだけ吐き出すものかもしれない。
誰にでも彼にでも弱音を吐くとただの弱い人間になってしまう。
しかし、本当にきつい時、一番信頼できる人に、ぼそっと、自分の弱さをみせるのはいいガス抜きになる。
このような異常事態の日々、弱さを隠さないことも必要かもしれない。
その弱さは自分の底力を引きだす強さの引き金となる・・・。

愚痴を言っても人生はきっと変わらない。
たぶん、愚痴というのは憎悪だからだろう。人に責任を押し付ける行為だからである。
ところが、弱音を吐くというのは、ダメな自分を見つめる力でもある。
自分の弱さを知っている人は強い。
逆を言えば、自分を知っている人間の正直な姿なのである。



愚痴を吐いても、状況は変わらない。
もちろん、弱音を吐いても劇的に事態が変化することはないだろう。
しかし、弱音を見せる相手によってはその吐露は人生を再構築させるための第一歩になる。
誰にでも彼にでも弱音を吐いてはいけないけれど、時には弱音が自分を切り替えるスイッチになる場合もある。
たぶん、弱音を吐く相手というのは、決まっているはずだ。
その人は頼れる人間なのである。
そういう相手がいるというだけで、あなたの人生は素晴らしい。
叱咤激励を受ければよい。

自分流塾「生き抜くための弱音の吐き方」

自分流×帝京大学
地球カレッジ

posted by 辻 仁成

辻 仁成

▷記事一覧

Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。