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自分流塾「もう一度、我が道を行け」 Posted on 2023/11/08 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくのように長く生きた人間であっても、しかも作家で、父親であっても、つい、感情的になって、人の悪口を口にする時がある。
「あいつ、ほんとうにダメだな。やってることがあまっちょろい。あんなに偉そうにされると、いやになるよ」
みたいな実に小さな悪口を、ぼくの場合、友だちが少ないものだし、みんなより、だいたい年上なので、愛犬の三四郎にぶつけたりしている。
次の瞬間、ハッと我に返り、しまった、と思う。
そして、いかんいかん、人様の悪口はいかん、と頭をぶるぶると左右に振って、どこだかわからない天に向かって、ごめんなさい、をしている。
愛犬にもごめんなさい。
要は、人の悪口を言ってる時は、自分に負けている、証拠なのだ。
自分が調子よくて、やるべきことがうまくいっている時に人はあまり悪口を言わないし、周囲の人と自分を比べることもない。
つまり、自分に負けているからこそ、外に怒りをぶつけてしまうという情けない状況が生まれているに過ぎないのである。
ごめんなさい、と天にあやまり、よし、負けるものか、とぼくは自分に言い聞かせて前を向くようにしている。

自分流塾「もう一度、我が道を行け」



80億もの人間がいるのだから、小言も仕方ない。
自分がうまく言ってない時に、周囲で成功している人、もしくは、でしゃばっている人、そこら中に嫌味を言う人に対して、過剰に反応してしまうのは、人間だからだ。
しかし、そこで、矛先を外に向けるのは、あまりいいことではない。
でも、大事なことは、悪口を言っている自分に気が付くことが出来たら、そして、もしも、いかんいかん、と思えたなら、空に向かって、ごめんなさい、と言えばぼくは許されると思っている。しないよりは、いい。
それをするかしないか、で、ずいぶん、と心はまろやかになるものである。
小言を言うのは仕方がない。生きていれば悪口も出る。
普通に真面目に生きていても、火の粉がふってくるこの厄介な世の中だ。
ならば、たまにガス抜きも仕方がない。でも、自分が弱っているからこそ、うまくいかないことが多いからこそ、そういう悪い言葉が出るのである。
こういう時、天に謝って、よし、負けないぞ、と思えるなら、あなたは、きっと大丈夫だ。思えなくても、思えるように自分を高めていくことが大事だと思う。
人間は、とくにぼくなどは、未熟者である。嫌な言いあいをしたあと、落ち込む。
なんて、未熟なんだ、と暗くなることが多い。
そういう時、ぼくは自分に「自分が負けてる時や。勝ってるなら、こんな汚い言葉は使わない」と言い聞かせ続けている。
とはいえ、いっこうに、小言はなくならないが、言い続けて、毎回、浄化している。
悪い言葉を吐き出すのは、邪気を吐き出しているのと一緒である。
そういう時は、自分をキレイにしていく必要がある。
「よし、周りは関係ない。ぼくはぼくらしくいくぞ」と思うことである。
人間は、誰かに負けるのじゃない、結局、自分に負けているのだ。
そういう自分に勝つことが、長い人生で大事なことかもしれない。
誰かの悪口を言うというのは、その人に支配されているということにもつながる。
そういう関係は絶つべきであろう。
自分は自分、我が道を行け。

自分流×帝京大学

自分流塾「もう一度、我が道を行け」



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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。