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自分流塾「辛い時にこそ、本当の味方がだれか、わかるというものだ」 Posted on 2024/02/06 辻 仁成 作家 パリ

人間は、生きていると辛く苦しい局面に立たされる時がある。
そして、そういう時に、人の本当のやさしさや、気質、本質が見えるというものだ。
ぼくも長い人生で、良い時と、悪い時があった。
調子のいい時には、どこからともなく大勢の人が集まってくる。次から次にやってきて、握手を求められた。
しかし、これは気を付けないとならない。
みんな笑顔でやって来るが、本心は見えないし、誰が本当の味方か、そこで見失ってしまうとその後が、大変になる。
逆の時、人生に失敗をし、苦しく辛い局面に立たされた時、笑顔で近づいてきたあれほどの人たちが、面白いくらい、すっと返す波のように消えていくのには、驚かされた。
ぼくは、離婚の時、こちらから何も言えない辛い時に、多くの人に去られた経験がある。長年準備してきた仕事も呆気なくなくなり、手のひらを返された。
人間の本質がよくわかる、というものだ。
人間なんて、驚くほどに脆く、弱い。
人間なんて、自分のことしか考えていないものなのである。
しかし、だ。そういう悲惨な時期に、歯を食いしばって乗り越えようと頑張っていると、どこからともまく手を差し伸べてくださる人が、数は少ないが、いたことは事実だった。
ぼくの場合、離婚のあと、子供を託されたので、本当に大変であった。
世の中は好き勝手なこといい、SNSの時代なので、一方的な誹謗中傷の雨あられであった。
周囲にいた人間からも、ひどい仕打ちや視線を浴びることになった。
しかし、子供を守らないとならない。
そういう暗黒の時期だったが、実は、ちゃんと世の中のズレを見抜いている人もいた。
そして、耐えていると、ある時、すっと手が伸びてきた。
その時の、感謝を忘れてはならない。
逆に、人間はむやみに信用してはならない、と気が付いたし、逆に、人間に救われるのだ、ということも悟ることができた。
「パパはすぐに、あの人はいい人だ、と信じるけれど、そうじゃない」
と息子に叱られたこともあった。
辛い時にこそ、人間の本質が見える、ということだ。

自分流塾「辛い時にこそ、本当の味方がだれか、わかるというものだ」



そういう経験を一度でも持つことは重要なことかもしれない。
人に手のひらを返された時に、気が付くことができるならば、それは良い経験といっても過言ではない。
自分が強くなる瞬間は、そういう時にこそ、訪れる。
ぼくは苦しい、辛い時期にこそ、人間をよく見ることができたのじゃないか、と思っている。
今の自分が強く維持できているのは、人の笑顔に騙されなくなってきたこと、本当の笑みには翳りがないことを知ったこと、そして、倒れて動けない時にこそ手を差し伸べてくれる人間が多くはないが必ず存在している、ということを知ることができたこと、・・・これは、人生における財宝といってもいいだろう。
そもそも、ぼくは、「人脈」を自慢する人間が苦手だ。
人脈を増やせ、と教える起業家などは近づきたくもない。そろえた名刺の数に何の意味があるのだろう。
本当のところで信頼のできない仮面の微笑になんの意味があるというのか。人間関係が名刺交換だけで成立するはずもない。
自分も、友だちが苦しんでいる時にこそ、支えたいと思う。
さまざまな支え方があるだろう。
でも、友だちならば、その人が窮地に立っている時にこそ、踏みとどまり、あらゆる雑念を払いのけ、一生懸命支えるのが大切だ、と、ぼくはぼくの人生の中で学ぶことができた。
そういう本質の友情は、いずれ、この世界を緑で包み込んでいく。
今、人類に必要なものは、損得のない優しさなのであろう。

自分流塾「辛い時にこそ、本当の味方がだれか、わかるというものだ」



自分流×帝京大学

自分流塾「辛い時にこそ、本当の味方がだれか、わかるというものだ」

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。